大切な記憶

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章13~41節 タイトル:大切な記憶 今日の聖書はピシデヤのアンテオケの会堂でパウロが語った説教です。 15節で律法と預言者が読み上げられたとありますが、これは旧約聖書全体を指す言葉だと考えていただいて構いません。 会堂での礼拝で旧約聖書が読み上げられて後パウロが指名されたので立ち上がって語り始めたということです。 その内容は先程読んでいただいた通りです。 まず彼はそこにいる人々に呼びかけました。 「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。」(15節) 「イスラエルの人たち」とは、ユダヤ人や、改宗してユダヤ人となった外国人たちのことです。 「神を恐れかしこむ方々」とは、改宗までには至っていないがユダヤ教に関心を持ちこうして礼拝に参加する外国人たちのことです。 ここからわかるのは、パウロがこれから語ろうとすることに関してある程度の予備知識を持っている人たちだということです。 ですから、彼は前置きせず出エジプト記のお話から始めていきます。 イスラエルは過去にエジプトで奴隷生活を強いられていました。 しかし神がその御腕を高く挙げて、彼らをその地から導き出しました。 そして40年間荒野で彼らを耐え忍び、カナンの地に彼らを導きその地を与えました。 その後さばき人とここでは記されている士師たちを立て、サムエルを遣わしました。 そして民が王を欲しがったのでサウロ をあたえ、のちに神の御心を行う正しい王であるダビデを立てました。 ここまではユダヤ人たちがよく知っている内容であったはずです。 そしてここからいよいよイエスキリストのお話に突入していきます。 “神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。”使徒の働き 13章23節 あのダビデの子孫としてイエスキリストが生まれたことを語ります。 この方はユダヤ人たちが長きにわたって待ち望んでいた方でした。 これこそ救いでした。 しかしエルサレムのユダヤ人たちはこれを受け入れずイエスキリストを罪に定めて十字架で殺してしまうわけです。 しかし神はイエスを死者の中から蘇らせて、その復活の姿でイエスは弟子たちに現れました。 これは良い知らせです。福音です。 この福音によってわたしたちは救われるのです。 この説教の特徴はイスラエルの失敗に焦点を当てていないところです。 荒野で40年間彷徨ったのは彼らの罪のためでしたが、それらには触れず、その後の士師の時代も神ではなく自分たちの考えに従って生きていたのですが、そのことも記されず、サウル王を立てた理由も他の国に王がいることをうらやましがったからであり、結果的に失敗するわけですが、そこにも触れていません。 この説教は自分たちの失敗を悔いることを促すというより、神からの招きに焦点を当てているように見えます。 そしてそのためにイスラエルの歴史をどれだけ神が導いてくださってきたのかを語っているのではないでしょうか。 歴史はとても大切です。 歴史を言い換えるなら過去の記憶の連続ということもできます。 過去の記憶は、その人を形作ります。 過去の記憶の連続がその人のアイデンティティーになります。 過去の記憶の連続によって自分が誰かということが出来ていきます。 裏を返せば記憶を失うとアイデンティティーを失うということです。 自分が誰なのかがわからなくなります。 これは自分の名前を忘れるという意味ではなく、たとえ名前を覚えていても、自分の歩んできた道のりを忘れてしまっては正確な自己認識ができなくなるということです。 パウロが語っているのはイスラエルの歴史ですが、これはイスラエルの記憶と言ってもよいものです。 神との歩みの記憶なのです。 神がどれほど良くしてくださったのか、どれほど愛してくださったのか。 そしてどれほど忠実に約束を守ってくださるのか。 その約束を果たすためにこの世に来られた神イエスキリスト。 この方が我々のために十字架にかかり死なれたこと。 我々の身代わりとなって呪われたものとなったこと。 そして三日目に蘇られたこと。 これらすべては神とイスラエルの歴史であり記憶なのです。 そして今わたしたちもその記憶に触れています。 わたしたちはイスラエル人ではありませんが、イスラエルの歴史はわたしたちと繋がっています。 彼らの歴史を知ることは、私たち教会の歴史を知ることです。 それはすなわちわたしたちが持つべき記憶なのです。 この記憶がなくてはわたしたち教会が一体何なのか、わたしは一体誰なのかがわからなくなります。…

ただ信仰のみ

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:ローマ人への手紙1章16、17節 タイトル:ただ信仰のみ これまで荒野教会では特に宗教改革を記念して何か特別なことはしてきませんでしたが、プロテスタントの教会で宗教改革記念礼拝なるものがもたれているところは少なくありません。 それは宗教改革が始まったとされる10月31日の前の主日に持たれる特別な礼拝です。 学校の歴史の教科書などにも記されている宗教改革ですが、そのことの意味と現代の私たちに与える教訓は非常に大きなものがあります。 そこで今日は宗教改革に関するお話をしたいと思います。 宗教改革の信仰を表す標語が5つあります。 ただ信仰のみ、ただ聖書のみ、ただ恩恵のみ、ただキリストのみ、ただ神の栄光のみ、以上5つです。 今日はこの中のただ信仰のみに絞ってお話ししたいと思います。 マルチンルター、この名前は大抵の人が聞いたことがあるでしょう。 世界史の教科書にも記されたこの人は1483年にドイツで生まれました。 父親は鉱山労働者でしたが、やがて精錬所を経営し、ルターは若い頃から良い教育を受けることができました。 1501年に大学に入り基礎学科の学びを始め1505年には修士号を取得しました。 そして父親の希望で法律の学びへと歩みを進めたちょうどその年実家のあるマンスフェルトからエアフルトへと向かう途中激しい雷雨におそわれ雷に打たれそうになったそうです。この日より彼の人生は大きく変わります。 わたしは今年の夏、ものすごい雨に降られたことがありました。 ある建物から数十メートル先の車まで向かうだけでしたが、一面水で覆われ、くるぶしあたりまで濡らさないと歩けないほど水が溜まっていました。 雨が降りはじめた頃から大きな雷がなっていたのですが、明らかに近くに落ちたとわかる音と光でビクビクしながら小走りで車まで向かいました。 足が水につかっているものですから、直接自分におちなくても、近くに落ちたら感電して死んでしまいます。そうおもうと一層怖くなって口から自然と「主よ。主よ。」という言葉が出てきました。 近くに建物がたくさんあったので恐怖が少し軽減されましたが、これがもし広い場所であったらと思うとぞっとします。 ルターが当時いた場所は野原でした。 落雷の危険性が跳ね上がる場所だと言えます。 そんな危険な状況の中、彼は「聖アンナ様、お助けください、修道士になります。」と口走ってしまいます。 当時は困難の中で聖人に助けを求めることは一般的でしたが、ルターは真面目な人だったようで、その言葉を守り2週間後には本当に修道士になっていました。 ルターに法律を学ばせたかった父親はカンカンでしたが、それでもルターの決意は変わりませんでした。 修道士になってからもルターは真面目な生活を送りました。 しかし真面目に生きれば生きるほど自分は神の怒りを免れることができるのか、どれぐらい修行を積めば神に喜ばれる人になれるのかルターは悩みました。 カトリック教会では告解という儀式があります。 これは洗礼を受けた後に犯した罪を司祭を通して神に告白し、赦しを請う儀式なのですが、ルターは小さな小さな罪でも一つ一つ司祭の前に告白しました。あまりにもルターが頻繁に来るので、司祭が面倒くさがって「もっとまともな罪を犯してから来なさい」というほどだったそうです。 このように苦しんだルターに手を差し伸べたのは、シュタウビッツという神学教師でした。 彼はルターの助言者となり、キリストの十字架に示される愛に目を向けることを教えました。 またルターに神学博士号を取らせて、大学の聖書講座の後継者に立てました。 ルターの講義は「詩篇」「ローマ人への手紙」「ガラテヤ人への手紙」「ヘブル人への手紙」と続きました。 ルターは苦悩しながらも聖書研究に打ち込みますが、「神の義」という言葉に悩まされ続けます。 しかしある御言葉に目が開かれて「神の義」とは何かを知ることとなるのです。 それが今日の聖書のローマ人への手紙1章16、17節です。 “私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。” ローマ人への手紙 1章16~17節 この聖書はパウロがローマのクリスチャンたちに宛てて書いた手紙です。 パウロは色々なところに宛てて手紙を書いた人ですが、このローマ人への手紙は他とは大きく違うものでした。 何が違うかというと、パウロが書いた手紙の中で唯一行った事のない場所にあてた手紙だという点です。 したがって彼は相手側のことがよくわからない中で書いたと言えます。 そこでパウロは福音の体系的な理解のために綴っています。 中でも今日の箇所は福音とは一体何なのか。そして神の義とは一体どのようにしてあたえられるのかを書いている聖書なのです。 16節でパウロは福音が信じる全てのものに救いを得させる神の力であると言います。 「力」と訳されているギリシャ語はドュナミスと言って、英語のダイナマイトの語源となった言葉で、物事を成し遂げる力や、体力、戦闘力、政治力など包括的な意味がある言葉です。ただダイナマイトのような言葉の語源となったことも勘案するととてつもない力を表現した言葉と言えるでしょう。 ではそのとてつもない力は誰の力なのでしょうか。 それは神の力です。 福音は神の力なのです。 私たち人間の側の力ではありません。 福音は信じるものすべてに救いを得させる神の力です。 私たち人間が自分の力で得るものではないのです。 そしてこの福音の内にこそ神の義が啓示されています。 その義とは一体なんでしょうか。…

聖霊はマルコとも共に

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章13、14節 タイトル:聖霊はマルコとも共に 最近内側のことばかりを考え、それに集中していました。 今はこの問題があるから他に目を向けられない。 そんな思いを持って過ごしていました。 自分の教会のこと、自分の家庭のこと。 それだけを見て、他のことは後回し。 そんな心でいました。 しかし今日の説教を準備する中で聖霊が私の心を変えてくれました。 今日はその内容を分かち合いたいと思います。 <本論> 1 サウロ=パウロ 13章9節には、”しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、” とあります。 サウロは別名でパウロと言いました。 サウロというのはユダヤ名で、パウロはギリシャ名です。 サウロが主語になっているのはこの箇所が最後です。 以降、彼はサウロではなくパウロとして使徒の働きの中で語られます。 今日の聖書もそうでした。 サウロ一行ではなく、パウロ一行と記されていました。 おそらくユダヤ人同士であれば、これ以降も変わらず彼をサウロと呼んだのではないかと思います。 それが彼にとって母国語の名前だからです。 しかしここから聖書はサウロとは呼ばず一貫してパウロと言います。 これは一体何故なのでしょうか。 これはパウロがどこに向かって伝道旅行をしていたのかを表すためではないでしょうか。 使徒の働き全体もそうですが、ユダヤ人、ギリシャ語を使うユダヤ人、サマリヤ人、そして異邦人へと福音が伝えられ神の国が拡大していきます。また地理的にもエルサレム、ユダヤ全土、サマリヤ、そして地の果てにまでと言われた1章8節のイエス様の御言葉通りどんどん広がっていきます。 まさにここからサウロではなくパウロというのは、彼がユダヤ人に対してではなく、ギリシャ語を使う人々へ、ローマ帝国領土の人々へと伝えていくことを示しているのではないかと思うのです。 常に外へ外へと向かうパウロの姿をよく表している名前ではないでしょうか。 彼はこれからギリシャ語を使う人々に、その文化を持つ人々へと歩みを進めていく人でした。 2 ヨハネ=マルコ しかしこれに対して内に内に向かっている人がいます。 それがヨハネです。 彼のこのヨハネという名前は、ヘブライ名です。 一方ギリシャ名も彼は持っていました。 それがマルコという名前です。 今日の聖書でサウロがパウロと呼ばれて異邦人世界へとさらに歩を進めていくのに対して、マルコは未だヨハネと記されパウロ一行からは離れてお母さんの家があるエルサレムに帰ってしまうのです。 伝道旅行が苦しかったのでしょうか。 それとも従兄弟のバルナバの序列が下がったことが気に入らなかたのでしょうか。 (アンテオケを出発した頃は、バルナバが最初に名前が記されていました。しかしバポスから出発する頃にはパウロ一行となっています。) 何れにしてもヨハネ=マルコはここで伝道旅行を断念しエルサレムへと帰ってしまいました。 時間を少しさかのぼって、使徒の働き12章25節を見ますと、”任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。”と記されています。 エルサレムが飢饉に見舞われた時、バルナバとサウロがアンテオケからエルサレムへと行くのですが、その時にエルサレムから連れてきたのが、このヨハネ=マルコでした。 彼はもともとアンテオケ教会のメンバーではないのです。 おそらく従兄弟のバルナバとその仲間であるサウロに刺激を受けて勇気を出して家族のいるエルサレムを飛び出したのでしょう。 彼にとってアンテオケに行くだけでもひょっとすると冒険だったのかもしれません。 しかしアンテオケに着いてしばらくすると、バルナバとサウロは聖霊の召しを受けてアンテオケを出て行くことになりました。 この後、どのような経緯かはわかりませんが、彼もキプロスへ同行することになりました。 彼はバルナバとサウロがアンテオケまで「連れて」きた人でした。 その人たちが出るのだから私も出ますということでおそらく彼は二人について行ったのではないでしょうか。 しかし行ってみると想像以上に険しい旅でした。 今のように安全な船ではありません。実際パウロが乗った船が途中で沈んでしまう出来事が使徒の働きの終盤に記されています。 そういう船旅を超えてキプロス島に到着し、そこでもまた福音を宣べ伝えながら東の端から西の端まで盗賊が出るかもしれないところを福音だけを持って巡りあるき、到着したバポスには偽預言者との対決が待っていたわけです。その対決にも勝利してやれやれと思ったらもうすぐに出発です。…

今も広がり続ける福音

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章4~12節 タイトル:今も広がり続ける福音 今日も使徒の働きを共に見ていきます。 使徒の働きを見る時にいつも念頭に置いていただきたい言葉があります。 それは使徒の働き 1章8節の “‥聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」”という言葉です。 イエスキリストの弟子たちに聖霊が臨みエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土まで福音は伝えられ、いよいよこれから本格的に地の果てにまで福音を伝えるためにアンテオケ教会が立てられて、そこからバルナバとサウロが派遣される出来事を見ていますが、これらはあくまでイエスキリストが弟子たちに語られた約束の成就なのです。 今日もその視点を持ったまま聞いていただけたらと思います。 <本論> 1 バルナバとサウロ(4−5節) 二人は聖霊の御声に従いアンテオケ教会から出て約26キロ離れたセルキヤへ下りました。 そしてセルキヤから船に乗って96キロ離れたキプロス島の東、サラミスに到着します。サラミスはキプロス島の東側を統括する行政府がある町です。 アンテオケ教会から出ることはバルナバとサウロの意志ではありませんでした。 ある日聖霊が語りかけられ教会はその言葉に従ったのです。 こうしてバルナバとサウロは宣教の旅に出ました。 そしてまずこのサラミスという町でユダヤ人たちの会堂を探しそこで福音を伝えました。 「諸会堂」と書いていますので、ここから二つ以上の会堂が存在していたことと、バルナバとサウロが二つ以上の会堂を回って語ったことがうかがえます。 異邦人への宣教もこの時は問題なくできるようになっていたので、会堂だけではなく他の場所でも宣べ伝えたはずです。 彼らはそのようにして色々な場所で福音を語りました。 こうして東の町サラミスから145キロ南西のキプロス島の行政府がある町パポスまでやって来ました。 パポスはキプロス島全土を統括する行政府の所在地でしたので、キプロス島で最も重要な町だと言えます。 ここではパピアンと呼ばれる女神が崇められていました。 ギリシャの女神アフロディーテと同一視される神でした。 そのような異教宗教の盛んな町にバルナバとサウロは聖霊の導きでやってきました。 たしかにバルナバの故郷の島ではありますが、決して簡単な場所ではないことがお分かりいただけると思います。 まさに異教の地へと彼らは足を踏み入れて宣教活動をしていたわけです。 日本は宣教が難しいと言われますが、田舎にいけばもっと大変です。 わたしの伯母は愛媛の田舎で農業をしてくらしていますが、クリスチャンだとわかる文面で手紙を送ったところ、やめてほしいと言われたことがあります。周囲の目が気になるのでしょう。 宗教の影響力が強い場所で伝道活動するのはとても大変なことだと教えられた出来事でした。 しかしこのように大変な地域に赴いて伝道しようとする人たちが今でもいます。世界各地に散らばっている宣教師はもちろんですが、日本国内でも福音があまり伝えられていない地域、特に田舎で神社やお寺との関わりが深いところへいって伝道する人たちがいます。 関西聖書学院で出会ったAさんは、LINEでよく宣教活動の報告と祈りの要請をしてくださいます。 その兄弟は京都の教会の方なのですが、関西聖書学院の学生さんたちと一緒に田舎伝道をしていました。 京都のある地域で伝道をしたところ出会った人の中で信仰告白をする方もいたという報告をいただきました。 バルナバやサウロも伝道がほとんどなされていない場所へと聖霊の導きでやってきて人々に福音を伝えましたが、そのような働きが実は今も行われていて福音は広がり続けているということを今日は一つ心に留めていただきたいと思います。 そしてそこで終わってしまうのではなくて、自分自身はその置かれた場所でどのようにイエスキストの福音を伝えていくことができるのかを一度思い巡らしてみてください。 そのこともまた聖霊の働きなくしてできませんし、何より今日知っていただきたいのはAさんの働きはもちろんですが、わたしやみなさんがどうやって福音を証するものとして生きていけるかと考えることも、イエス様の約束とつながっているものです。 2 バルイエス(6−8節) この町で二人はバルイエスという人物に出会いました。 彼は偽預言者であったと聖書には記されています。 偽預言者とは、神から言葉を受け取ることなどできないのに、神様がこう言っていると語る者のことです。 それをあたかも本当に神様から受け取っているかのように見せることができる人だったので、そういう意味で魔術師だとルカは表現しているのでしょう。 バルイエスは自称預言者で魔術師でした。 バルイエスは地方総督つまりキプロス島の行政のトップのもとにいました。 「もとにいた」と翻訳されているギリシャ語「エン」が継続と反復を意味する形で書かれているので、バルイエスが総督の相談役のようにいつもぴったりくっついていたことが想像できます。 側近として仕えていたということです。 バルナバとサウロはこの地方総督に対して福音を語ろうとします。 しかしバルイエスがそれに反対しました。 なぜバルイエスはバルナバとサウロが語る福音をきかせないようにしたのでしょうか。 バルイエスは自称預言者でした。 神の言葉を本当は聞けないのに、聞けると総督に嘘をついていたのです。 総督はそれを信じて、「バルイエスは神の声が聞こえるのだ」と思っていたわけです。 そこに本当の預言者であり教師であるバルナバとサウロがあらわれて総督に語ろうとしたのです。…

聖霊に遣わされて

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章4節 タイトル:聖霊に遣わされて 聖霊に導かれる。聖霊に遣わされる。聖霊に送り出される。 この言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。 聖書を読んでいてこの言葉が出てきたら、どんな様子を想像しますか。 神の声が直接聞こえて、「あなたはこれからどこどこに行きなさい。」と言われたから行くことでしょうか。 それとも何か違うイメージを持っておられますか。 もし直接神の声が聞こえることだけが聖霊の導きだとするなら、聞こえない人は聖霊の導きに生きることができないということになります。 では一体これらの言葉はどういう意味なのでしょうか。 <本論> 今日の箇所からパウロの伝道旅行の第一回目が始まります。 1節でアンテオケ教会の5人の中心人物が紹介されましたが、彼らの名前の順番を見てみますとバルナバが最初に登場し、サウロが最後になっています。 そして7節を見ますと、ここもバルナバが先に記されサウロはあとに記されています。 ここから最初の伝道旅行の序盤はサウロではなくバルナバが先導する形で進められていったことがわかります。 バルナバはこのキプロス島出身のユダヤ人でした。 彼にとっては生まれ故郷です。 そこにまずこの福音を伝えに行こうと、サウロやヨハネ(マルコ)と共にやってきたわけです。 バルナバにとって故郷のキプロスはどんな場所だったのでしょうか。 どんな人にとっても故郷は楽しいだけの場所、懐かしいだけの場所ではないと思うのですがどうですか。 みなさんにとっての故郷はどんな場所ですか。 両親や兄弟達と過ごし、また友人たちと共に成長した場所でしょうか。 それともそんな平凡な暮らしすらできなかった辛い場所でしょうか。 みなさんそれぞれに色々なことがあったはずです。 ご自身の生い立ちと重ねて考えてみてください。 みなさんにとって故郷とはどんな場所ですか。 質問を変えてみましょう。 故郷に大切な人はいますか。 バルナバにもきっといたはずです。 しかし一方で辛い経験もそこではあったのではないでしょうか。 彼の本名はバルナバではありませんでした。 彼はヨセフという名です。 しかしバルナバ(慰めの子)と呼ばれていました。 彼が人を慰めることができる人だったからでしょう。 では何故それができたのでしょうか。 コリントの手紙 第二 1章4節をみるとわかります。 “神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。” なぜ人を慰められるのか。 それは慰めを受けたことがあるからです。 バルナバは慰められたことがあるから慰めることができる人になりました。 とするとバルナバは何か慰められなくてはいけないことがあったということになります。 どんなことがあったのでしょうか。 バルナバはキプロス島という外国で生まれ育った人でした。 一体どんな暮らしだったのでしょうか。 彼はユダヤ人です。 周囲にはユダヤ人もいたでしょうが、ギリシャ人やローマ人もいたはずです。 そういう中で生きていくのは容易ではなかったはずです。 彼にとっての故郷とは大切な人たちがいる大切な場所であると同時に、辛く苦しい思い出も眠っている場所だったのではないかと思うのです。 バルナバにとってそういう場所にこれから向かうわけです。 彼の心境はどんなものだったのでしょうか。 行ってこの福音を伝えたいという思いと、避けて通りたいという思いが共存していたかもしれません。 しかしそれでもバルナバは行きました。 なぜなら聖霊に遣わされたからです。…

キリストの心で一致し主に従う教会

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章1~3節 タイトル:キリストの心で一致し主に従う教会 今日は教会の一致と従順について共に考えてみたいと思います。 教会が一致する秘訣は何でしょうか。 また主に従うとはどういうことなのでしょうか。 今日の聖書に登場するアンテオケ教会やピリピの教会にならっていこうと思います。 今日の聖書である使徒の働き13章は大きな転換点とよべる章です。 ここまではエルサレム教会を中心として福音宣教がなされてきました。 使徒の働き1章8節でイエスさまがこう言われました。 “しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」” エルサレム教会はこの働きの中心的役割を担ってきたのです。 それによりエルサレム、ユダヤ全土、そしてサマリヤにまで福音が伝えられて行きました。 しかしここから福音宣教の中心地はエルサレムからアンテオケへとうつり、中心人物もペテロからパウロへとうつります。 これはユダヤ人中心だった働きがいよいよ本格的に異邦人へと向けられていくことを示しています。 当時アンテオケという町はローマ、アレキサンドリアに次ぐ第三の都市でした。 エルサレムとは比較にならない大都会です。 ローマ全土から集まった様々な人々がそこで暮らしていました。 こういった場所は陸路も航路も発達していきます。 まさに世界宣教にはうってつけの場所でした。 ではそんなアンテオケ教会はどんな教会だったのでしょうか。 1節を見ますと、彼らのリーダーだった人たちの名前が書かれています。 “さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。” 使徒の働き 13章1節 わたしたちのよく知るバルナバが最初に記され、最後にサウロの名前が書かれています。 彼らのことはわたしたちは何度も見てきました。 彼らによってアンテオケ教会は安定し大きく成長しました。 彼らこそこの教会のリーダーだったと言えるでしょう。 現代に置き換えるなら主任牧師です。 しかしその間に記されている3人のことはよく知りません。 いったいこの人たちはどういう人たちだったのでしょうか。 ここからアンテオケ教会がどういう教会だったのかがわかります。 まずニゲルと呼ばれるシメオンについてです。 ニゲルとはラテン語由来のギリシャ語で「黒い」という意味があります。 つまりシメオンは黒人だったということでしょう。 当時ローマ帝国の領土は北アフリカにまで及んでいましたので、この地域出身の人だったと想像できます。 アンテオケ教会にはシメオンのほかにもアフリカ出身の人々が多く集っていたのではないでしょうか。 次に登場するクレネ人ルキオですが、クレネもアフリカの北の端で地中海に面した町のことです。 そこの出身者のルキオという人もリーダーの一人だったようです。 さらにマナエンに注目しますと、 この人はなんとあのヘロデの乳兄弟であったと書かれています。 ただしこのヘロデは前回出てきたヘロデアグリッパではなく、ヘロデアンティパスという人のことです。彼はバプテスマのヨハネを殺し、イエスさまを裁判にかけた人でした。 おそらくマナエンの母親がヘロデの乳母として仕えていたということではないかと思います。 マナエンとヘロデは同じ乳を飲んでそだちました。 ギリシャ語聖書では同じ教育を受けたという意味になるディダスカロスという言葉が使われています。 彼らは同じ乳を飲み、同じ教育を受けて育ちました。 しかしそれにも関わらず、一人はイエスキリストを裁判にかけるものとなり、一人はイエスキリストの十字架の死と復活を信じ受け取ってクリスチャンとなり教会のリーダー格にまで成長していました。 一方は神と敵対し一方は神と共に歩む人となりました。 アンテオケ教会のリーダーたちは肌の色も出身地もおそらく受けてきた教育も全くバラバラの人たちでした。 これを見ただけでもアンテオケ教会には非常に多様な人が集まっていたことがうかがえます。 そんなアンテオケ教会を通してこれから世界へ向けて福音が伝えられていくのです。 彼らには以前のエルサレム教会にあったような固定観念や偏見はありません。 ただ一つの心を持って福音を伝えることだけに邁進する人たちでした。 ピリピ人への手紙にこの一つの心について詳しく記されています。 “しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。…

本当に求めているもの

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き12章18~24節 タイトル:本当に求めているもの 人は何をもって成功というのでしょうか。 みなさんの成功のイメージはどんなものですか。 お金を手に入れれば成功でしょうか。 地位があれば成功でしょうか。 これらのものを手に入れると人は自分の思いのままに生きることができるようになります。 しかし人は本当にお金や地位を求めて生きているのでしょうか。 これらのものを求めて手にいれた人生を生きたら成功したと思えるのでしょうか。 <ヘロデ王> ここに地位もお金も手に入れた人がいました。 彼はヘロデ大王と呼ばれた残虐な王の孫でした。 彼自身も王様になり地位もお金も手に入れました。 しかし彼の行動を見ているとまだ何かを欲しているようです。 彼は自分の領地内のある勢力に注目しました。 それはユダヤの宗教家たちでした。 彼らは宗教家ですが、国民への強い影響力をもった集団でした。 彼らの心をつかめば領地内の指示はさらに強くなりヘロデの政治体制は確固たるものになるでしょう。 そこで彼らの心を掴むためにこの宗教家たちが嫌っていたキリスト教徒たちに目をつけます。 そしてキリスト教徒のリーダー格であったヤコブという人を捕らえ剣で殺しました。 するとユダヤ人たちの気に入ったようです。 それならとヘロデはさらにペテロを捕まえて牢屋に閉じ込めてしまいました。 ユダヤの祭りが終わったら引き出して処刑するためでした。 ここまでは彼の予定通りでした。 しかしいよいよ処刑の日がやってきた時、捕まえたはずのペテロはいなくなっていました。 兵士を4人1組にして、それを4組も準備し交代で見張らせていたにもかかわらず、逃げられてしまったのです。 ヘロデは兵士たちを取り調べました。 兵士たちはいつの間にかいなくなったと答えたでしょう。 当然です。 ペテロは自分の力で逃げたのではなく、神から御使いが送られてその御使いに導かれて逃げたからです。 兵士たちはその事実を知ることができません。 彼らからすると本当にわけがわからない状況でした。 いつの間にかいなくなっていたと答えるしかありませんでした。 それを聞いたヘロデはどのように思ったでしょうか。 キリスト教徒たちとグルになってペテロを逃がしたと思ったことでしょう。 ペテロを捕まえて牢獄にいれる時ヘロデは国民に大々的にアナウンスしていたはずです。 今度はペテロを殺すと息巻いていたはずです。 それなのに処刑直前に肝心のペテロに逃げられてしまったのです。 これはヘロデにとって大きな失敗であり恥でした。 現代でも失敗をしたら誰かが責任を取るものです。 ニュースでも誰々が辞めさせられたなんて話はよく聞きます。 失敗したら誰かが責任を取らなくてはいけません。 当時は囚人に逃げられた場合、逃がしてしまった番兵が逃げた囚人が受けるはずだった刑を代わりに受けなくてはいけませんでした。 ヘロデは兵士たちを処刑して責任を取らせました。 そして自分はというとさっさとユダヤ地域から離れるわけです。 失敗した場所、恥をかいた場所には長くとどまりたくないものです。 こうしてヘロデは今度はカイザリヤに行きそこに滞在しました。 <ヘロデとツロとシドンの人々> “さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。” 使徒の働き 12章20節 ここでツロとシドンの人々が登場します。 彼らはヘロデに嫌われていたようです。 何があったかは定かではありませんが、ヘロデは彼らに敵意を抱いていました。 ツロとシドンの人々にとってこれは非常にまずいことでした。…

わたしの思いよりも神の御心を

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き12章1~17節 タイトル:わたしの思いよりも神の御心を   先週は使徒の働き11章の後半部分を見ました。 そこには異邦人教会のアンテオケ教会が誕生したことと、そのアンテオケ教会がユダヤにある教会を支援した姿が描かれていました。 ユダヤはこの頃大変な飢饉に見舞われていたようですが、そこにまだ生まれたばかりのアンテオケ教会から支援が届けられました。 ユダヤの教会の人々は大変喜んだと思います。 イエスキリストにある一致というものを彼らは実感したはずです。   しかしこの恵みあふれる様子とは対照的に12章ではとても大変な出来事が起こりました。 それが今日共にみる内容です。    <ヘロデの攻撃>  “そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。”  使徒の働き 12章1~2節   最初、イエスの弟子達を迫害していたのは、ユダヤ教徒たちでした。 しかしそれでも教会は勢いを弱めるどころかどんどん大きくなっていきました。 そしてユダヤ人だけではなくギリシャ人にも福音が伝わりアンテオケやカイザリヤで異邦人を中心とした教会が誕生し、いくつもの教会が共に立ち上がり一つとなって福音を宣教する体制が出来上がっていきました。   ところがその様子を見ていたヘロデが動き出します。 正確にはヘロデ・アグリッパ1世といって、イエス様が生まれた時にその地方の2歳以下の赤子を殺したヘロ デ大王の孫にあたる人です。 彼が動いたのは、ユダヤの人々の心をつかむためです。 アグリッパは人の心を掴むことが巧みな人物で、あのパリサイ派からも慕われていたと言います。   アグリッパにはこんな逸話があります。 「アグリッパ王が立って律法の巻物を受け取り立ったまま読んだので、博士達はこのゆえに彼をほめた。彼が申命記に記されている「同胞でない外国人をあなたの上にたててはならない」というところまで進んだ時、その目は涙を流したが、彼らはアグリッパに呼びかけた「あなたはわれらの同胞です。あなたはわれらの同胞です。あなたはわれらの同胞です。」と‥。」   このようにアグリッパは人の心を掴むことに長けた人だったようです。 おそらくその一貫でユダヤ教徒たちが嫌っているキリスト教徒を攻撃したのでしょう。 こうして教会は宗教指導者たちから攻撃を受けると同時に政治的な力からも攻撃されるようになりました。   そしてヤコブが殺されてしまいます。 このヤコブはゼベダイの息子ヤコブです。 イエス様に連れられていつもペテロとヨハネと共にいたヤコブです。 間違いなく教会の中心人物であったことでしょう。 飢饉で苦しい状況の中アンテオケ教会から支援が届き心温まる瞬間を迎えていたエルサレム教会でしたが、一気に心が凍りつくような出来事が起きたのです。 しかしこれで迫害の手が止まったわけではありません。 ヘロデはヤコブを殺したことがユダヤ人たちの気に入ったのを見て、ペテロをも捕まえます。   <ヘロデの武力と教会の力>  “それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。”  使徒の働き 12章3節 “ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。”  使徒の働き 12章4節   この日は種なしパンの祝いの時期でした。 この祭りは過越しの祭りの次の日から始まるお祭りで、過越しの祭り同様エジプトでの奴隷生活からの解放を祝う重要なものです。 もともと過ぎ越しの祭りが1日で、その後続けて7日間種無しパンの祭りがありましたが、のちにこの二つを合わせて過ぎ越しの祭りといったり種なしパンの祝いとも呼ぶようになりました。   この期間にヘロデはペテロを捕らえました。すぐに殺さなかったのは祭りの期間はユダヤ人たちが処刑を禁止していたからです ヘロデはペテロを絶対に逃がすまいとして兵士4人を一組にして、それを4組準備し見張らせました。 こうして合計16人が交代で夜通し見張れるようにしました。 さらに外に出るには2つの衛所を通り、鉄の門を通過しなくてはいけません。…

わたしたちはクリスチャンです

2019年9月8日主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き11章19~30節 タイトル:わたしたちはクリスチャンです みなさんは最近「クリスチャン」という言葉や「キリスト者」という言葉をいつ使いましたか。 これらの言葉は何気なく普段使っているものだと思いますが、一体どのようにして生まれたのでしょうか。 私たちがクリスチャンとして、キリスト者として生きる上で、このことを知っておくのは良いことだと思います。 今日はクリスチャンあるいはキリスト者と呼ばれるようになった弟子たちの姿からこの言葉の意味を探りたいと思います。 <アンテオケに散らされた弟子たち> 先週までペテロとコルネリオの出会い、そしてそれに対するエルサレム教会の反応を見てきましたが、この11章19節から場面が大きく変わります。 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。」(11章19節) ここから始まるお話のヒントになる言葉が8章4節にあります。 そこには11章19節とよく似た言葉が記されています。 「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」(8章4節) この御言葉の後、迫害によって散らされた者たちの一人であるピリポのサマリヤへの宣教が記されていました。 そして今日見ます箇所ではサマリヤではなく違う地方にまで散らされた人々がそこでどういう働きをしたのかについて記されています。 ですから流れとしては8章4節に続く流れだと言えます。 サウロを中心とする人々の迫害から逃げるためにある人はピリポのように比較的エルサレムから近い地方に逃げましたが、ある人はアンテオケのように遠い地方へと逃げる人もいたようです。 迫害でアンテオケ、フェニキア、キプロスに散らされた人々も異邦人に福音を語ることなくユダヤ人にのみ語りました。 この時点での彼らもまだペテロの話を聞く前のエルサレム教会のように異邦人に福音を語ることを敬遠していました。 しかし20節を見ますと、一気に状況を変える働きをする人たちが現れます。 “ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。” 使徒の働き 11章20節 キプロス人とクレネ人と書かれているので、異邦人のように思われるかもしれませんが、この人たちもキプロスとクレネ地方出身のユダヤ人であるとご理解くだされば良いと思います。 彼らはヘブライ語よりもギリシャ語を使ってコミュニケーションをとった人たちでした。 だから同じくギリシャ語を使うギリシャ人たちとも問題なくコミュニケーションがとれましたし、何より彼らは幼い頃よりギリシャ人たちと多く接することができるキプロスやクレネで暮らしていました。 そういう人たちにとってギリシャ人は非常に身近であり、エルサレムで生まれ育ったユダヤ人に比べると抵抗感が少なかったのかもしれません。 よく知った雰囲気、文化に身をおく彼らはエルサレム出身者に比べてたくましく見えたに違いありません。 異邦人文化に精通し言葉も巧みな彼らの振る舞いは自然なものであったはずです。 そういう人々の言葉を現地の人々も聞こうとするのではないでしょうか。 もちろんエルサレム出身者にも彼らにしかできない仕事があったでしょう。 まだ異邦人に対する偏見が残るユダヤ人へはギリシャ語を使うユダヤ人よりもエルサレム出身者がヘブライ語で語る方が良いはずです。 それぞれに良さがあり弱さがあります。 このような多様性を持ってキリストの元に集められた者たちを通して宣教は進められました。 人を通して神は働かれ新しい人が起こされていきます。 しかし聖書は誰かの努力でそうなったとは語りません。 ここでも主の御手が共にあったのでおおぜいの人が主に立ちかえったと語っています。 ただ主の御力でもって彼らは伝道しそれによって救われた人たちが大勢いたと聖書は伝えています。 “そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。” 使徒の働き 11章21節 主の御手が共にあるという表現は、旧約の時代から多く見られました。 “見よ、主の手が、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に重い疫病が起こる。” 出エジプト記 9章3節 “さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。” サムエル記第一 5章6節 “カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。” エゼキエル書 1章3節 主の敵に対して御手が臨む時は、敵は打ち倒され、主の民に対して臨む時は、力を与えられました。 主の御手とは主の力を象徴する表現です。 アンテオケで福音を伝えた人々を突き動かしていたのはこの主の御手でありました。 主の御手、すなわち主の力によって彼らは自分たちの特徴を存分にいかし福音を大胆に語ったのです。 するとこの知らせが遠くエルサレムにまで及びます。 <バルナバを派遣するエルサレム教会> “この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。 “彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。”…

固定観念の柵を壊して

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き11章1~18節 タイトル:固定観念の柵を壊して わたしたちはある種の柵のようなもので自分自身を囲い、他の人々を囲って生きています。 その柵は「こうあるべき」とか「普通はこうだ」という固定観念で出来ています。 そしてその柵から自分自身が出ることを嫌ったり恐れたりします。 なぜなら本人にとってそれが常識であり理解できる範疇だからです。 またほかの人々を、その柵で囲い「あなたはこうあるべき」とか「普通はこう考えるはずだ」という自分の考えを押し付け、そこから相手が出ることを嫌います。 <柵の外に出たペテロ> コルネリオとペテロの出会いを共に見ていますが、彼らも自分自身を柵で囲っていた人たちでした。 しかし神様にそれを壊されて以前の柵の外に出て二人は出会い、コルネリオは福音を受け取りました。 コルネリオとペテロの出会いは、それぞれの常識を超えていった出会いと言えるでしょう。 ペテロはユダヤ人です。 彼にとって異邦人の家に行くことや共に食事をすることなどありえないことでした。 律法できよい動物と汚れた動物の区別が定められていたので、その区別のない異邦人が作った料理を食べることは律法をおかす危険があることでした。 そんなユダヤ人にとって異邦人が福音を受け取って救われることなど受け入れがたいことでした。 しかしペテロは神様から与えられた幻に促されて異邦人であるコルネリオのもとに行くことになるのです。 そして行ってみると自分が見た幻と対になる言葉を御使いから与えられたコルネリオがいました。 こうしてペテロは異邦人にも福音を伝えたのです。 ペテロが福音を語ると彼らに聖霊がくだり異言で語り出し賛美をしました。 これを見てペテロは異邦人にも聖霊がくだり救いがもたらされることを受け入れました。 彼が完全に自分の常識の柵の外へと出た瞬間でした。 <いまだ柵の中にいるクリスチャンたち> これに対して今日の聖書で登場したエルサレムのクリスチャンたちは依然として自分たちの柵の中にいます。 彼らからすると、なぜあんなところにペテロはいるのかと思ったでしょう。 彼らにはペテロが異様に見えたのです。 本来いるべき場所にいない人。 仲間だったはずなのに仲間ではないかのように行動する人。 異分子のように見えたはずです。 彼らは11章2節でペテロを非難したと記されています。 “さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。 そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、” 使徒の働き 11章1~2節 この非難という言葉は単なる叱責とか注意とかとは違い非常に厳しい言葉です。 ギリシャ語では「ディアクリオウ」といって、区別するとか分離するという意味がある言葉です。 さらにここでは自分に向けられる形で書かれていますので、自分たちを相手から区別するとか分離するという意味です。 ペテロ。あなたがしたことは私たちの側からは全く理解できないことだ。 あなたはわたしたちとは違う。 こういうニュアンスがある言葉です。 かなり強烈な言葉だと言えます。 コルネリオへの伝道は福音宣教が異邦人にまで広がった大きな出来事であり、クリスチャンとして喜ぶべきことであったと私たちは知っています。 しかし当時の人々はまだ理解できていませんでした。 ここから当時のエルサレム教会は福音の拡大の障害になっていたと言えます。 福音の拡大の障害と聞くと教会の外の出来事を想像すると思います。 ノンクリスチャンからの迫害をイメージするでしょう。 しかし福音の拡大の障害になっていたのは、皮肉なことにすでにイエスキリストを信じている人々でした。しかも福音の拡大を望んでいた人々でした。 そんな彼らが福音宣教の妨げになっているという事実を私たちはこの聖書を通して直視させられます。 現代の私たちにとってはユダヤ人なのか異邦人なのかは関係ありません。人種や国籍で差別することもないでしょう。 しかし先ほどから申し上げているように自分で作り上げた柵の外にいる人に対して私たちは寛容でいられません。 そしてそれこそ福音宣教の妨げになっているのです。 この箇所はそんな問題意識を私たちに与えてくれるところです。 <相手に理解を示し説明するペテロ> では続いてペテロのこの時の思いに目を向けて見たいと思います。 ペテロは教会から非難された時どんな思いになったでしょうか。 ペテロにとってコルネリオたちが聖霊を受けてイエス様を信じ生きるようになったことはとても嬉しいことだったはずです。…