聖霊はマルコとも共に

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章13、14節 タイトル:聖霊はマルコとも共に 最近内側のことばかりを考え、それに集中していました。 今はこの問題があるから他に目を向けられない。 そんな思いを持って過ごしていました。 自分の教会のこと、自分の家庭のこと。 それだけを見て、他のことは後回し。 そんな心でいました。 しかし今日の説教を準備する中で聖霊が私の心を変えてくれました。 今日はその内容を分かち合いたいと思います。 <本論> 1 サウロ=パウロ 13章9節には、”しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、” とあります。 サウロは別名でパウロと言いました。 サウロというのはユダヤ名で、パウロはギリシャ名です。 サウロが主語になっているのはこの箇所が最後です。 以降、彼はサウロではなくパウロとして使徒の働きの中で語られます。 今日の聖書もそうでした。 サウロ一行ではなく、パウロ一行と記されていました。 おそらくユダヤ人同士であれば、これ以降も変わらず彼をサウロと呼んだのではないかと思います。 それが彼にとって母国語の名前だからです。 しかしここから聖書はサウロとは呼ばず一貫してパウロと言います。 これは一体何故なのでしょうか。 これはパウロがどこに向かって伝道旅行をしていたのかを表すためではないでしょうか。 使徒の働き全体もそうですが、ユダヤ人、ギリシャ語を使うユダヤ人、サマリヤ人、そして異邦人へと福音が伝えられ神の国が拡大していきます。また地理的にもエルサレム、ユダヤ全土、サマリヤ、そして地の果てにまでと言われた1章8節のイエス様の御言葉通りどんどん広がっていきます。 まさにここからサウロではなくパウロというのは、彼がユダヤ人に対してではなく、ギリシャ語を使う人々へ、ローマ帝国領土の人々へと伝えていくことを示しているのではないかと思うのです。 常に外へ外へと向かうパウロの姿をよく表している名前ではないでしょうか。 彼はこれからギリシャ語を使う人々に、その文化を持つ人々へと歩みを進めていく人でした。 2 ヨハネ=マルコ しかしこれに対して内に内に向かっている人がいます。 それがヨハネです。 彼のこのヨハネという名前は、ヘブライ名です。 一方ギリシャ名も彼は持っていました。 それがマルコという名前です。 今日の聖書でサウロがパウロと呼ばれて異邦人世界へとさらに歩を進めていくのに対して、マルコは未だヨハネと記されパウロ一行からは離れてお母さんの家があるエルサレムに帰ってしまうのです。 伝道旅行が苦しかったのでしょうか。 それとも従兄弟のバルナバの序列が下がったことが気に入らなかたのでしょうか。 (アンテオケを出発した頃は、バルナバが最初に名前が記されていました。しかしバポスから出発する頃にはパウロ一行となっています。) 何れにしてもヨハネ=マルコはここで伝道旅行を断念しエルサレムへと帰ってしまいました。 時間を少しさかのぼって、使徒の働き12章25節を見ますと、”任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。”と記されています。 エルサレムが飢饉に見舞われた時、バルナバとサウロがアンテオケからエルサレムへと行くのですが、その時にエルサレムから連れてきたのが、このヨハネ=マルコでした。 彼はもともとアンテオケ教会のメンバーではないのです。 おそらく従兄弟のバルナバとその仲間であるサウロに刺激を受けて勇気を出して家族のいるエルサレムを飛び出したのでしょう。 彼にとってアンテオケに行くだけでもひょっとすると冒険だったのかもしれません。 しかしアンテオケに着いてしばらくすると、バルナバとサウロは聖霊の召しを受けてアンテオケを出て行くことになりました。 この後、どのような経緯かはわかりませんが、彼もキプロスへ同行することになりました。 彼はバルナバとサウロがアンテオケまで「連れて」きた人でした。 その人たちが出るのだから私も出ますということでおそらく彼は二人について行ったのではないでしょうか。 しかし行ってみると想像以上に険しい旅でした。 今のように安全な船ではありません。実際パウロが乗った船が途中で沈んでしまう出来事が使徒の働きの終盤に記されています。 そういう船旅を超えてキプロス島に到着し、そこでもまた福音を宣べ伝えながら東の端から西の端まで盗賊が出るかもしれないところを福音だけを持って巡りあるき、到着したバポスには偽預言者との対決が待っていたわけです。その対決にも勝利してやれやれと思ったらもうすぐに出発です。…