この世の声とイエス様の声

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/Bp0GgumT2Hw 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:ルカの福音書 24章34~43節 タイトル:この世の声とイエス様の声 “そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」” ルカの福音書 23章34~43節

神の恵みの豊かさへ

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/QodBupugpxY 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:マルコの福音書 8章14~21節 タイトル:神の恵みの豊かさへ “弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。 そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」 そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。 それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。 目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。 わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」 「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」 イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」” マルコの福音書 8章14~21節

コミュニケーションの回復

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/BEuuNNbVBXc 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:マルコの福音書 7章31~37節 タイトル:コミュニケーションの回復 “それから、イエスはツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた。 人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるよう、願った。 そこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。 そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ」すなわち、「開け」と言われた。 すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった。 イエスは、このことをだれにも言ってはならない、と命じられたが、彼らは口止めされればされるほど、かえって言いふらした。 人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない者を聞こえるようにし、口のきけない者を話せるようにされた。」” マルコの福音書 7章31~37節

主に信頼し善を行う

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/l9QmBGcBKkU 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:詩篇37篇1〜6節 タイトル:主に信頼し善を行う 詩篇37篇 ダビデによる 1,悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。 2,彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。 3,主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。 4,主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 5,あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。 6,主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

たとえ的外れであろうとも

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/_K9pyGmTEyc 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:マルコの福音書 7章1~13節 タイトル:たとえ的外れであろうとも マルコの福音書7章 1,さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。 2,イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、 3,--パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、 4,また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある-- 5,パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」 6,イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。 7,彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』 8,あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」 9,また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。 10,モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言っています。 11,それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、 12,その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。 13,こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」

神の御子が死んだ理由

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/nt0qI0LMaMk 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:ローマ人への手紙4章25節 タイトル:神の御子が死んだ理由 “主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。” ローマ人への手紙 4章25節

この世の乏しさ、神の国の満たし

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/IcYv5srrns0 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:マルコの福音書 6章34~46節 タイトル:この世の乏しさ、神の国の満たし “イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。 みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」 すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」 するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。 そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。 人々はみな、食べて満腹した。 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。 パンを食べたのは、男が五千人であった。 それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。 それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。” マルコの福音書 6章34~46節

混じり気のない言葉

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/xmwfk-9QqB8 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:詩篇12篇 タイトル:混じり気のない言葉 詩篇12篇 指揮者のために。八弦の立琴に合わせて。ダビデの賛歌 1,主よ。お救いください。聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。 2,人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。 3,主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。 4,彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」 5,主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」 6,主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。 7,あなたが、主よ、彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。 8,人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、悪者が、至る所で横行します。

真の拠り所に立つ

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/XbVWSmcQwuI 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:詩篇11篇 タイトル:真の拠り所に立つ 詩篇11篇 指揮者のために。ダビデによる 1,主に私は身を避ける。どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。 2,それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。 3,拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」 4,主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。 5,主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。 6,主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前となろう。 7,主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。

ただ信じる

以下のリンクをクリックすると礼拝メッセージを視聴できます。 https://youtu.be/SUvbXoMr-f0 主日礼拝メッセージ 聖書箇所:マルコの福音書5章21〜43節 タイトル:ただ信じる “イエスが舟でまた向こう岸へ渡られると、大ぜいの人の群れがみもとに集まった。イエスは岸べにとどまっておられた。 すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、 いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」 そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。 そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」 イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」 イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」 そして、ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった。 彼らはその会堂管理者の家に着いた。イエスは、人々が、取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしているのをご覧になり、 中に入って、彼らにこう言われた。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、子どものいる所へ入って行かれた。 そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい」という意味である。) すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。 イエスは、このことをだれにも知らせないようにと、きびしくお命じになり、さらに、少女に食事をさせるように言われた。” マルコの福音書 5章21~43節