私たちの思いと神のご計画

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:ルカ福音書1章5~17節 タイトル:私たちの思いと神のご計画 今日からアドベントの第二週目になります。 今日はルカ福音書から共に恵みを分かち合いたいと思います。 私たちはこうして今日も主日の礼拝を守り真面目に信仰生活をしているクリスチャンです。 最善を尽くし主の前に祈り御言葉を日々いただきながら暮らしておられることと思います。 しかし私たちのこの歩みの中に暗い影を落とすような出来事は何一つないかと言われるとそうではないと思います。 真面目に信仰生活をしていても問題が起きることがあります。 今日はこのような出来事を「しかし」の出来事としたいと思いますが、私たちはこの「しかし」の出来事に出会うと信仰生活の意味を意識的にあるいは無意識に問い始めます。 中には祈ることに疑問を感じたり、御言葉への信頼の揺らぎなどが起こる方もいるかもしれません。 あの人は神に祈りを聞いてもらえるのかもしれないけど、私の祈りは聞いてもらえないという思いなどもこのことに含まれるでしょう。 しかしそれでも私たちは主日の礼拝に参席し共に祈り共に賛美し共に聖書を開きます。 このことは今日登場するザカリヤとエリサベツと重なるところだと私は思います。 彼らにもこの「しかし」の出来事がありました。 それにもかかわらず彼らは主の前に真実に歩み続け祝福された人生を送りました。 とするならば私たちの人生もまた彼らのような祝福されたものであるはずです。 今日はそのことを共に確認します。 “ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。” ルカの福音書 1章5節 ザカリヤという名前は(主は覚えている)という意味です。 彼はアビヤの組に属する祭司でした。 この組分けについては歴代誌Ⅰ24章10節に登場します。 具体的には神殿の奉仕の組分けです。 全部で24ある組の8番目にあたるのがこのアビヤの組でした。 エリサベツは(神は誓いである)という意味です。 彼女はアロンの子孫です。 時々聖書の登場人物の名前についてメッセージの中で解説をしますが、名前の意味にあまり興味がわかない方もおられるかもしれないので少し説明させて下さい。 聖書の中に登場する名前には啓示的側面があります。 例えば、アブラハムは最初はアブラムで(父は高められる)という意味の名前でした。しかし神はアブラムにアブラハムという(多くの国民の父)という名前を与えられました。 そしてこの名前の通りに彼は多くの国民の父となりました。 聖書の登場人物の名前には神の計画が込められているのです。 これが今日の聖書でも意味を説明する理由です。 ザカリヤは(主は覚えている)という意味、エリサベツは(神は誓い)という意味でした。 ここから主は覚えておられる方だということと、誓いの方であることがわかります。 誓いとは将来ある出来事を必ず成し遂げることを約束することです。神は約束をしてくださりそれを絶対に忘れず覚えておられ必ず成し遂げられる方だという意味がザカリヤとエリサベツの名前には込められていると言えます。 そしてそのことが表されるストーリーがこの後展開されていきます。 “ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。” ルカの福音書 1章6~7節 ここにはザカリヤもエリサベツも正しく主の掟を守る人だったと書かれています。 この時ユダヤはローマ帝国に支配され、しかもその支配地域に王として立てられていたヘロデはエドム出身の人でした。 ユダヤ人たちにとってとても暗い時代だったと言えます。 しかしそんな中でも誠実に主の言葉を聞き、守ろうとした人たちがザカリヤとエリサベツでした。 それなのに彼らには子どもが与えられていなかったと7節には記されています。 主の言葉を聞き守っていた。 「だから」子どもがたくさん与えられたと記されていれば理解しやすいのですが、ここには「だから」で繋がる言葉はこないで「しかし」で繋がる言葉がきています。 しかしエリサベツは不妊で子どもがなかったというのです。 (口語訳では「ところが」という接続詞が入っています。英語のNASBという聖書にもButという言葉が入っています。) こうなると途端に理解が追いつかなくなりませんか。 しかも現在は二人とも年老いているといいます。 これはもう妊娠がのぞめる年齢ではないということです。 “「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」” ルカの福音書 1章25節 これは後のエリサベツの言葉ですが、この言葉から当時子どもが出来ないのは女性にとって恥であったことがうかがえます。…

裁きを待たれる主

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:ヨハネの黙示録7章1~8節 タイトル:裁きを待たれる主 私たちは普段生活していると見えるものだけで判断し行動しようとしてしまうものです。そしてその結果失敗したり落ち込んだりすることもあります。 しかし聖書を読むと目に見えることが全てではないということがわかります。いやむしろ目に見えないことの方が実は重要なのだという思いにも導かれていきます。 今日の聖書も私たちの肉眼では見えない出来事が記されていますが、確かに起きていることです。 今日はそのことに目を注いでみたいと思います。 今日の聖書は終末における神のしもべたちの様子について記されています。 どうして終末について見ようと考えたかというと、今日から始まるアドベントと関係しています。 アドベント(Advent)とはラテン語Adventusが語源でその意味は来臨、到来です。 来臨、到来にはさらに二重の意味があります。 一つは旧約聖書で約束されていた救い主、メシアが世に来られることです。この第一の到来を祝うのがクリスマスです。アドベントはこの第一の到来を想いその意味を黙想しつつクリスマスの準備をする時だと言えます。 そしてもう一つは、天に昇られたメシアが再びこの地に来られることです。この出来事はこれから起きることです。アドベントはこの第二の到来を待ち望みつつ備える日でもあります。 今日はこの二つ目のメシアが再び来られることを待ち望むことについて語るために以前黙示録を6章まで見ていたことも鑑みて7章を見ようと思います。 “この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押さえ、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。” ヨハネの黙示録 7章1節 ここで風と言われるのは神の最後の審判のことです。 神の審判を表す風を四人の御使いたちが押さえることで地と海が守られている様子が記されています。 四人の御使いや、地の四隅、そして地の四方の風など4という数字が何度も出てきましたが、これは被造物あるいはこの世界を象徴する数字です。 このことから地と海とはこの世界のことだと言えます。 この世界ですので、私たち人間もこの中に含まれています。 今この世界があるのは、御使いがその裁きの風を押さえているからというわけです。 これが目に見えない世界で起きていることなのです。 では続いて2節3節を読みます。 “また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」” ヨハネの黙示録 7章2~3節 他の御使いがこの審判を行う四人の御使いに大きな声で命令します。 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」 この御言葉から、神の最後の審判がまだ執行されないのは、神の主権によるところであることがわかります。 まだ神のご計画された人たちが救われていないので、その数が満ちるまで神は最後の審判を執行されないということを示しています。 印とは印鑑のことです。 古代の中東の印鑑、特に王様の印鑑は指輪と一体でした。 ヨハネが見た印鑑もそのようなものではなかったででしょうか。 印鑑は①所有権と②保護を意味します。 手紙などの封に判を押すことがありますね。 映画なので見たこともある方もいるのではないでしょうか。 封筒の封の部分にとけたロウを垂らして、その上から印をつくことで厳重に封がされます。 また③事実の証明のためにも印は用います。書類の最後にハンコをおすことをイメージしていただけたら良いと思います。 神に印をおしてもらうということは、これら三つの意味があります。 神の所有であることと、神の守りを受けるということと、そのことの証明のしるしなのです。 エゼキエル9章4~6節には、神様がバビロンを使ってエルサレムを審判された時に、額に印のついた者だけがその審判から逃れられるという記述があります。 そのことを背景にして黙示録でも最後の審判について語られているのです。 続いて4~8節を読みます。 “それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、 アセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、 シメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。” ヨハネの黙示録 7章4~8節 4節には印を押されたものの数が記されています。 この数は黙示録14章と合わせて見ると意味がわかるところです。 “彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。” ヨハネの黙示録 14章3節 ここには地上から贖われた14万4千人と記されています。…

主は私の羊飼い

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:詩篇23篇1~4節 タイトル:主は私の羊飼い  今日は詩篇23篇を共に見ます。  詩篇23篇といえば、羊飼いの詩篇だとわかる人も多い非常に有名な詩篇です。 これをもとにした賛美もあります。 クリスチャンにとって非常に馴染み深い詩篇です。 今日はこの詩篇23篇を見ていきます。 “主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。” 詩篇 23篇1節 まず1節において、この詩篇の記者であるダビデはいいます。 「主はわたしの羊飼い」 いわゆる隠喩法というものを使って主とはどういう方なのかを表現している箇所です。 隠喩とは「~のようだ」という言葉を使わずに、別のものに置き換えて表現する方法です。 主がわたしの羊飼い「のようだ」ではなく、主はわたしの羊飼い「だ」ということです。 ダビデはこの詩の最初で強いインパクトを与えています。 ただこの呼び方はダビデが最初にしたわけではありません。 “彼はヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。” 創世記 48章15節 このように創世記で既にヤコブが語っています。 これ以降イスラエルの民にとって主は「私たちの」羊飼いでした。 イスラエルの共同体にとっての羊飼いということです。 しかし今日の詩篇23篇においては、主は「私の」羊飼いとダビデはいいます。 これまでは共同体の公的な羊飼いでしたが、ダビデは個人的な関係を強調する書き方をして主との親密さを表現しているようです。 ダビデはもともと羊飼いでした。 羊飼いが羊のことをどれほど心にかけ守り導くのかを彼は体験としてよく知っていました。 羊飼いと羊がどれほど親密な関係なのかもわかっていたのです。 自分が以前羊飼いだったころに、羊を守り導いたように、主はわたしを守り導いてくださっているという告白なのです。 羊飼いは多くの羊を飼いますが、1匹1匹の顔と性格を把握しているのでしょう。 そんな羊飼いはそれぞれの羊たちにとってわたしたちの羊飼いであると同時にわたしの羊飼いなのです。 羊飼いと1匹1匹の羊が親密なように、神と自分も親密なのだとダビデは言いたいのだと思います。 また、自分が羊だという告白は、自分が羊のように守り導かれないといけない弱い存在だということの告白でもありました。 神なしで自分は生きてはいけない存在だということです。 ここには自分の弱さ足りなさへの気づきが土台にあります。 自分自身の中に何かまだ可能性を探していると、自分が羊などとはとても言えません。 しかしダビデはそれに気づかされてこのような詩篇を書くに至りました。 このような信仰を持つ人は幸いです。 つづいて1節の後半部分を見ます。 ここでは「わたしは乏しいことがありません。」と語ります。 自分が羊であるという告白は、同時に自分が乏しい存在だという告白でもあります。 ではなぜダビデは乏しいことがないと言えたのでしょうか。 それは主がわたしの羊飼いだからです。 自分は乏しい者かもしれません。 しかし主が共におられるから乏しくないという信仰告白なのです。 “事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。」” 申命記 2章7節 申命記では荒野の40年間を、主が全て満たしてくださり、何も足りないものはなかったといいます。 彼らが何一つかけたものはなかったと言えたのは、主が40年間ともにおられたことによります。 乏しいことがないというのは、わたしたちが欲しいものを全部くれるという意味ではありません。 わたしたちの願い通りになるという意味ではありません。 時に「どうして」と思うようなことや、なんと情けなく弱く乏しい存在なのかといたたまれなくなることすらあるかもしれません。 しかしその乏しさすらも主が共におられることで、満たされていくのです。 乏しいことがないとは、主が共におられることなのです。 主が共におられること以上の満足はありません。 その満たしはこの世のどんなものも与えることのできないものです。…

私の望む神と真実の神

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き14章8~22節 タイトル:私の望む神と真実の神 パウロとバルナバはピシデヤのアンテオケを去った後、イコニオムへ行き、そこからルステラという町に来ました。 そこの住民は特にある神々を信じていました。 それはギリシャ神話に登場するゼウスとヘルメスです。 ゼウスは、神々の王であり、天候、特に雷を司る天空神です。 ヘルメスは神々の伝令役で、ことばの指導者、雄弁の神とも言われていました。ゼウスの子で忠実な部下とされています。 ルステラの人たちはこれらの神々に大変関心を持ち崇拝していました。 そのきっかけとなったと考えられるのが、昔この地にいた農夫に起こった出来事だと言われています。 ピレモン・バウキスというこの農夫は、ある日ゼウスとヘルメスがルステラを訪れた際にそれとは知らずに二人をもてなし、その親切の報いを受けたそうです。(もちろんこれはただの伝説、作り話です。) この話を伝え聞いていたルステラの人々は、いつかまたゼウスとヘルメスがやって来るのではないかと思って暮らしていたのかもしれません。 そんな町にパウロとバルナバがやってきたのです。 彼らはいつも通り福音を語って聞かせました。 その話を聞いている人の中にすでに信仰を持つものが現れたのを見てとったパウロは、足の不自由なその者に言いました。 「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」 この言葉を聞くと生まれて一度も立ったことがないにもかかわらず、その足で立ち上がりました。 彼はパウロの語る言葉によって信仰を与えられ、その信仰によって救われました。 彼はおそらくこの後パウロの弟子となったのではないでしょうか。 しかしこの出来事は、この後起きる事件の大きな引き金となっていきます。 その事件とは、癒しの奇跡を見た人がパウロとバルナバをヘルメスとゼウスが人間となった姿と誤解したことです。 町の人々は奇跡を見て大変驚きました。 そして以前この町の農夫に起きた出来事が今自分たちにも起きているのだと信じ興奮したのかもしれません。 11節に彼らが声を張り上げて「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言ったとありますが、その言葉が公用語であるギリシャ語ではなく、地元の言葉であるルカオニヤ語であったと記されていることからも、彼らが非常に驚き興奮している様子がうかがえます。 感情が高ぶると本来の自分の国の言葉が出るものです。 ギリシャ語ではないためパウロもバルナバも彼らが何を言っているのかわからなかったはずです。 きっと奇跡に驚いているだけだと思ったことでしょう。 まさか自分たちがギリシャ神話に登場するゼウスとヘルメスに祭り上げられているとは思いもよらなかったことでしょう。 しかし騒ぎはおさまるどころかどんどん大きくなっていきます。 そして誰が言いつけたのか、ゼウス神殿の祭司にまでこのことが知れ渡り、なんと雄牛数頭と花飾りを持ってきてパウロとバルナバに捧げようとしたのです。 起きている事態をようやく把握したバルナバとパウロは衣を裂いて群衆の中に駆け込み叫びました。 衣をさくのはユダヤ人たちの憤りや神への恐れを表現するものです。 そして衣を裂いた状態のまま語り出します。 15節以下に彼らの言葉が記されていますのでそれをともに確認したいのですが、その前に一つ質問です。 この町の人々やゼウス神殿の祭司たちは、自分たちが雄牛や花飾りを準備することでパウロやバルナバがどういう反応をすると思っていたでしょう。 彼らはバルナバとパウロのことをゼウスとヘルメスだと思っているので、当然喜ぶと思っているはずなのです。 「よく気づいたな人間たちよ。そうだ私こそゼウスである。私はヘルメスである。」 という具合に自分の正体を現して、人間たちはひざまずいて崇めることになるのだろうと。 それなのにバルナバとパウロは自分の服を破りながら群衆に突っ込んで来るわけです。 ユダヤ人たちにとって服を破ることは、憤りと神への恐れを表す行動ですが、この地域の人々にもそのような文化があったかわかりません。 もしなかったとするとさらに彼らは驚いたことでしょう。 「喜んでもらえると思ったのに、一体なぜこの方達は自分の服を裂いているのか。」 そう思ったのではないでしょうか。 そういうかなり無茶苦茶な状況なのだということを押さえた上で、15節から18節まで読みます。 “言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。” 使徒の働き 14章15~18節 パウロとバルナバはここでまず二つのことを伝えています。 一つは、自分たちのことをゼウスとヘルメスだと思っている人々に対して自分たちが人間であると伝えたことです。 そしてもう一つは「このようなむなしいことを捨てて」と言っているように、ゼウスやヘルメスのような偽物の神々を崇めることが虚しいことだといったことです。 さらに彼らは続けざまに語ります。 「天と地と海とその中にある全てのものをおつくりになった生ける神に立ち返るように」 聖書では偽物の神と対比される文脈でよく出て来る言葉に「生ける神」という言葉があります。…

神の国と自分の国

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章42~52節 タイトル:神の国と自分の国 パウロたちは、ピシデヤのアンテオケの会堂で福音を語りました。 すると13章42節に記されているようにパウロの話を聞いた人々が次の安息日にも同じことについて語って欲しいと頼みました。 そこでパウロは次の安息日にも会堂へ足を運びました。 するとそこには町中の人たちが集まっていました。 前回パウロの話を聞いた人々が、その後の一週間で自分たちの家族や親戚や友人そして近所の人々に伝えたのでしょう。 しかしここで問題が起こります。 “次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。” 使徒の働き 13章44~45節 パウロは前回と同じ内容を語ってくれと言われたので今回も同じように語ったはずです。 前回はこれで多くの人が驚き喜びました。 今回も新たにやってきた人たちの中に同じ反応を示した人たちがいたことでしょう。 しかし全く逆の反応をした人もいました。 45節に登場するユダヤ人たちです。 彼らはパウロの話に反対して、口汚くののしりました。 今日はここから神の国に生きる人と自分の国に生きる人に分けてお話ししたいと思います。 1 まず神の国に生きる人についてです。 今日の箇所で神の国に生きているのはパウロとバルナバです。 彼らはただ神のご命令に従い、神の御言葉の通りに行動しています。 神の国の王様である神さまの言葉を受け取りその通りに行動する神の国の民として生きているのです。 福音を伝える命を受け取りアンテオケ教会を出た彼らは神の国の王様の言われる通りにピシデヤのアンテオケでも福音を伝えました。 これに対して喜んで福音を受け取る人もいればそれに反対する人たちもいました。 しかしそれでもパウロとバルナバは怯むことなく福音を宣べ伝え続け、自分たちはこれから異邦人のための宣教師としてたつと言いました。 これも自分の思いではなく神の思いでした。 13章47節でパウロとバルナバはこう語っています。 “‥主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」” 彼らが引用している箇所は旧約聖書のイザヤ書49章6節です。 彼らはこの箇所をただ単に何かを説明するためだけに用いているのではありません。 彼らはこの言葉を自分たちへの神様からの命令であると言っています。 彼らは神様が言われた通りに語っているのです。 神様の御言葉の通りに行動しているのです。 さらに51節には、”ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。”と記されてありますが、これもイエスさまがルカの福音書で命じられた通りです。 イエスさまはルカの福音書9章5節で、”人々があなたがたを受け入れない場合は、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。”とおっしゃいましたが、その通りにしています。 イエスさまの言葉を聞き、その通りに彼らが行動していることが良くわかる場面です。 彼らは神の国に生きる人でした。 神の国には本当の王であられる神様と、その言葉に従う国民が必要ですが、まさにパウロとバルナバは神の言葉に忠実に従う神の国の民として生きていました。 イエスさまはヨハネの福音書14章10節でこういわれました。 “わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。” イエスさまもご自身の言葉を語っていたのではないと言われました。 イエスさまは父の言葉を語っておられたのです。 そして父の御心の通りに、十字架の死に至り葬られました。 そして父の御力で復活し弟子たちの前にあらわれ天にのぼられました。 これこそ神の国に生きる究極の形です。 パウロたちはこのイエス様と一体である聖霊を受け取ったので、イエスさまのように自分の思いではなく神さまの思いイエスさまの思いに従い生きることができました。 そしてそれこそ神の国に生きることです。 わたしとみなさんも神の国に生きる人となりますように。 2 一方、神の国ではなく自分の国に生きる人たちも登場しました。 それはパウロたちに反対したユダヤ人たちです。 彼らは口では「神様、神様」と言っていたかもしれませんが、実のところ自分たちの国を求め自分たちの国の中で生きていた人たちでした。 自分たちの国とは、自分自身が王様の国です。…

大切な記憶

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章13~41節 タイトル:大切な記憶 今日の聖書はピシデヤのアンテオケの会堂でパウロが語った説教です。 15節で律法と預言者が読み上げられたとありますが、これは旧約聖書全体を指す言葉だと考えていただいて構いません。 会堂での礼拝で旧約聖書が読み上げられて後パウロが指名されたので立ち上がって語り始めたということです。 その内容は先程読んでいただいた通りです。 まず彼はそこにいる人々に呼びかけました。 「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。」(15節) 「イスラエルの人たち」とは、ユダヤ人や、改宗してユダヤ人となった外国人たちのことです。 「神を恐れかしこむ方々」とは、改宗までには至っていないがユダヤ教に関心を持ちこうして礼拝に参加する外国人たちのことです。 ここからわかるのは、パウロがこれから語ろうとすることに関してある程度の予備知識を持っている人たちだということです。 ですから、彼は前置きせず出エジプト記のお話から始めていきます。 イスラエルは過去にエジプトで奴隷生活を強いられていました。 しかし神がその御腕を高く挙げて、彼らをその地から導き出しました。 そして40年間荒野で彼らを耐え忍び、カナンの地に彼らを導きその地を与えました。 その後さばき人とここでは記されている士師たちを立て、サムエルを遣わしました。 そして民が王を欲しがったのでサウロ をあたえ、のちに神の御心を行う正しい王であるダビデを立てました。 ここまではユダヤ人たちがよく知っている内容であったはずです。 そしてここからいよいよイエスキリストのお話に突入していきます。 “神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。”使徒の働き 13章23節 あのダビデの子孫としてイエスキリストが生まれたことを語ります。 この方はユダヤ人たちが長きにわたって待ち望んでいた方でした。 これこそ救いでした。 しかしエルサレムのユダヤ人たちはこれを受け入れずイエスキリストを罪に定めて十字架で殺してしまうわけです。 しかし神はイエスを死者の中から蘇らせて、その復活の姿でイエスは弟子たちに現れました。 これは良い知らせです。福音です。 この福音によってわたしたちは救われるのです。 この説教の特徴はイスラエルの失敗に焦点を当てていないところです。 荒野で40年間彷徨ったのは彼らの罪のためでしたが、それらには触れず、その後の士師の時代も神ではなく自分たちの考えに従って生きていたのですが、そのことも記されず、サウル王を立てた理由も他の国に王がいることをうらやましがったからであり、結果的に失敗するわけですが、そこにも触れていません。 この説教は自分たちの失敗を悔いることを促すというより、神からの招きに焦点を当てているように見えます。 そしてそのためにイスラエルの歴史をどれだけ神が導いてくださってきたのかを語っているのではないでしょうか。 歴史はとても大切です。 歴史を言い換えるなら過去の記憶の連続ということもできます。 過去の記憶は、その人を形作ります。 過去の記憶の連続がその人のアイデンティティーになります。 過去の記憶の連続によって自分が誰かということが出来ていきます。 裏を返せば記憶を失うとアイデンティティーを失うということです。 自分が誰なのかがわからなくなります。 これは自分の名前を忘れるという意味ではなく、たとえ名前を覚えていても、自分の歩んできた道のりを忘れてしまっては正確な自己認識ができなくなるということです。 パウロが語っているのはイスラエルの歴史ですが、これはイスラエルの記憶と言ってもよいものです。 神との歩みの記憶なのです。 神がどれほど良くしてくださったのか、どれほど愛してくださったのか。 そしてどれほど忠実に約束を守ってくださるのか。 その約束を果たすためにこの世に来られた神イエスキリスト。 この方が我々のために十字架にかかり死なれたこと。 我々の身代わりとなって呪われたものとなったこと。 そして三日目に蘇られたこと。 これらすべては神とイスラエルの歴史であり記憶なのです。 そして今わたしたちもその記憶に触れています。 わたしたちはイスラエル人ではありませんが、イスラエルの歴史はわたしたちと繋がっています。 彼らの歴史を知ることは、私たち教会の歴史を知ることです。 それはすなわちわたしたちが持つべき記憶なのです。 この記憶がなくてはわたしたち教会が一体何なのか、わたしは一体誰なのかがわからなくなります。…

ただ信仰のみ

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:ローマ人への手紙1章16、17節 タイトル:ただ信仰のみ これまで荒野教会では特に宗教改革を記念して何か特別なことはしてきませんでしたが、プロテスタントの教会で宗教改革記念礼拝なるものがもたれているところは少なくありません。 それは宗教改革が始まったとされる10月31日の前の主日に持たれる特別な礼拝です。 学校の歴史の教科書などにも記されている宗教改革ですが、そのことの意味と現代の私たちに与える教訓は非常に大きなものがあります。 そこで今日は宗教改革に関するお話をしたいと思います。 宗教改革の信仰を表す標語が5つあります。 ただ信仰のみ、ただ聖書のみ、ただ恩恵のみ、ただキリストのみ、ただ神の栄光のみ、以上5つです。 今日はこの中のただ信仰のみに絞ってお話ししたいと思います。 マルチンルター、この名前は大抵の人が聞いたことがあるでしょう。 世界史の教科書にも記されたこの人は1483年にドイツで生まれました。 父親は鉱山労働者でしたが、やがて精錬所を経営し、ルターは若い頃から良い教育を受けることができました。 1501年に大学に入り基礎学科の学びを始め1505年には修士号を取得しました。 そして父親の希望で法律の学びへと歩みを進めたちょうどその年実家のあるマンスフェルトからエアフルトへと向かう途中激しい雷雨におそわれ雷に打たれそうになったそうです。この日より彼の人生は大きく変わります。 わたしは今年の夏、ものすごい雨に降られたことがありました。 ある建物から数十メートル先の車まで向かうだけでしたが、一面水で覆われ、くるぶしあたりまで濡らさないと歩けないほど水が溜まっていました。 雨が降りはじめた頃から大きな雷がなっていたのですが、明らかに近くに落ちたとわかる音と光でビクビクしながら小走りで車まで向かいました。 足が水につかっているものですから、直接自分におちなくても、近くに落ちたら感電して死んでしまいます。そうおもうと一層怖くなって口から自然と「主よ。主よ。」という言葉が出てきました。 近くに建物がたくさんあったので恐怖が少し軽減されましたが、これがもし広い場所であったらと思うとぞっとします。 ルターが当時いた場所は野原でした。 落雷の危険性が跳ね上がる場所だと言えます。 そんな危険な状況の中、彼は「聖アンナ様、お助けください、修道士になります。」と口走ってしまいます。 当時は困難の中で聖人に助けを求めることは一般的でしたが、ルターは真面目な人だったようで、その言葉を守り2週間後には本当に修道士になっていました。 ルターに法律を学ばせたかった父親はカンカンでしたが、それでもルターの決意は変わりませんでした。 修道士になってからもルターは真面目な生活を送りました。 しかし真面目に生きれば生きるほど自分は神の怒りを免れることができるのか、どれぐらい修行を積めば神に喜ばれる人になれるのかルターは悩みました。 カトリック教会では告解という儀式があります。 これは洗礼を受けた後に犯した罪を司祭を通して神に告白し、赦しを請う儀式なのですが、ルターは小さな小さな罪でも一つ一つ司祭の前に告白しました。あまりにもルターが頻繁に来るので、司祭が面倒くさがって「もっとまともな罪を犯してから来なさい」というほどだったそうです。 このように苦しんだルターに手を差し伸べたのは、シュタウビッツという神学教師でした。 彼はルターの助言者となり、キリストの十字架に示される愛に目を向けることを教えました。 またルターに神学博士号を取らせて、大学の聖書講座の後継者に立てました。 ルターの講義は「詩篇」「ローマ人への手紙」「ガラテヤ人への手紙」「ヘブル人への手紙」と続きました。 ルターは苦悩しながらも聖書研究に打ち込みますが、「神の義」という言葉に悩まされ続けます。 しかしある御言葉に目が開かれて「神の義」とは何かを知ることとなるのです。 それが今日の聖書のローマ人への手紙1章16、17節です。 “私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。” ローマ人への手紙 1章16~17節 この聖書はパウロがローマのクリスチャンたちに宛てて書いた手紙です。 パウロは色々なところに宛てて手紙を書いた人ですが、このローマ人への手紙は他とは大きく違うものでした。 何が違うかというと、パウロが書いた手紙の中で唯一行った事のない場所にあてた手紙だという点です。 したがって彼は相手側のことがよくわからない中で書いたと言えます。 そこでパウロは福音の体系的な理解のために綴っています。 中でも今日の箇所は福音とは一体何なのか。そして神の義とは一体どのようにしてあたえられるのかを書いている聖書なのです。 16節でパウロは福音が信じる全てのものに救いを得させる神の力であると言います。 「力」と訳されているギリシャ語はドュナミスと言って、英語のダイナマイトの語源となった言葉で、物事を成し遂げる力や、体力、戦闘力、政治力など包括的な意味がある言葉です。ただダイナマイトのような言葉の語源となったことも勘案するととてつもない力を表現した言葉と言えるでしょう。 ではそのとてつもない力は誰の力なのでしょうか。 それは神の力です。 福音は神の力なのです。 私たち人間の側の力ではありません。 福音は信じるものすべてに救いを得させる神の力です。 私たち人間が自分の力で得るものではないのです。 そしてこの福音の内にこそ神の義が啓示されています。 その義とは一体なんでしょうか。…

聖霊はマルコとも共に

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章13、14節 タイトル:聖霊はマルコとも共に 最近内側のことばかりを考え、それに集中していました。 今はこの問題があるから他に目を向けられない。 そんな思いを持って過ごしていました。 自分の教会のこと、自分の家庭のこと。 それだけを見て、他のことは後回し。 そんな心でいました。 しかし今日の説教を準備する中で聖霊が私の心を変えてくれました。 今日はその内容を分かち合いたいと思います。 <本論> 1 サウロ=パウロ 13章9節には、”しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、” とあります。 サウロは別名でパウロと言いました。 サウロというのはユダヤ名で、パウロはギリシャ名です。 サウロが主語になっているのはこの箇所が最後です。 以降、彼はサウロではなくパウロとして使徒の働きの中で語られます。 今日の聖書もそうでした。 サウロ一行ではなく、パウロ一行と記されていました。 おそらくユダヤ人同士であれば、これ以降も変わらず彼をサウロと呼んだのではないかと思います。 それが彼にとって母国語の名前だからです。 しかしここから聖書はサウロとは呼ばず一貫してパウロと言います。 これは一体何故なのでしょうか。 これはパウロがどこに向かって伝道旅行をしていたのかを表すためではないでしょうか。 使徒の働き全体もそうですが、ユダヤ人、ギリシャ語を使うユダヤ人、サマリヤ人、そして異邦人へと福音が伝えられ神の国が拡大していきます。また地理的にもエルサレム、ユダヤ全土、サマリヤ、そして地の果てにまでと言われた1章8節のイエス様の御言葉通りどんどん広がっていきます。 まさにここからサウロではなくパウロというのは、彼がユダヤ人に対してではなく、ギリシャ語を使う人々へ、ローマ帝国領土の人々へと伝えていくことを示しているのではないかと思うのです。 常に外へ外へと向かうパウロの姿をよく表している名前ではないでしょうか。 彼はこれからギリシャ語を使う人々に、その文化を持つ人々へと歩みを進めていく人でした。 2 ヨハネ=マルコ しかしこれに対して内に内に向かっている人がいます。 それがヨハネです。 彼のこのヨハネという名前は、ヘブライ名です。 一方ギリシャ名も彼は持っていました。 それがマルコという名前です。 今日の聖書でサウロがパウロと呼ばれて異邦人世界へとさらに歩を進めていくのに対して、マルコは未だヨハネと記されパウロ一行からは離れてお母さんの家があるエルサレムに帰ってしまうのです。 伝道旅行が苦しかったのでしょうか。 それとも従兄弟のバルナバの序列が下がったことが気に入らなかたのでしょうか。 (アンテオケを出発した頃は、バルナバが最初に名前が記されていました。しかしバポスから出発する頃にはパウロ一行となっています。) 何れにしてもヨハネ=マルコはここで伝道旅行を断念しエルサレムへと帰ってしまいました。 時間を少しさかのぼって、使徒の働き12章25節を見ますと、”任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。”と記されています。 エルサレムが飢饉に見舞われた時、バルナバとサウロがアンテオケからエルサレムへと行くのですが、その時にエルサレムから連れてきたのが、このヨハネ=マルコでした。 彼はもともとアンテオケ教会のメンバーではないのです。 おそらく従兄弟のバルナバとその仲間であるサウロに刺激を受けて勇気を出して家族のいるエルサレムを飛び出したのでしょう。 彼にとってアンテオケに行くだけでもひょっとすると冒険だったのかもしれません。 しかしアンテオケに着いてしばらくすると、バルナバとサウロは聖霊の召しを受けてアンテオケを出て行くことになりました。 この後、どのような経緯かはわかりませんが、彼もキプロスへ同行することになりました。 彼はバルナバとサウロがアンテオケまで「連れて」きた人でした。 その人たちが出るのだから私も出ますということでおそらく彼は二人について行ったのではないでしょうか。 しかし行ってみると想像以上に険しい旅でした。 今のように安全な船ではありません。実際パウロが乗った船が途中で沈んでしまう出来事が使徒の働きの終盤に記されています。 そういう船旅を超えてキプロス島に到着し、そこでもまた福音を宣べ伝えながら東の端から西の端まで盗賊が出るかもしれないところを福音だけを持って巡りあるき、到着したバポスには偽預言者との対決が待っていたわけです。その対決にも勝利してやれやれと思ったらもうすぐに出発です。…

今も広がり続ける福音

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章4~12節 タイトル:今も広がり続ける福音 今日も使徒の働きを共に見ていきます。 使徒の働きを見る時にいつも念頭に置いていただきたい言葉があります。 それは使徒の働き 1章8節の “‥聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」”という言葉です。 イエスキリストの弟子たちに聖霊が臨みエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土まで福音は伝えられ、いよいよこれから本格的に地の果てにまで福音を伝えるためにアンテオケ教会が立てられて、そこからバルナバとサウロが派遣される出来事を見ていますが、これらはあくまでイエスキリストが弟子たちに語られた約束の成就なのです。 今日もその視点を持ったまま聞いていただけたらと思います。 <本論> 1 バルナバとサウロ(4−5節) 二人は聖霊の御声に従いアンテオケ教会から出て約26キロ離れたセルキヤへ下りました。 そしてセルキヤから船に乗って96キロ離れたキプロス島の東、サラミスに到着します。サラミスはキプロス島の東側を統括する行政府がある町です。 アンテオケ教会から出ることはバルナバとサウロの意志ではありませんでした。 ある日聖霊が語りかけられ教会はその言葉に従ったのです。 こうしてバルナバとサウロは宣教の旅に出ました。 そしてまずこのサラミスという町でユダヤ人たちの会堂を探しそこで福音を伝えました。 「諸会堂」と書いていますので、ここから二つ以上の会堂が存在していたことと、バルナバとサウロが二つ以上の会堂を回って語ったことがうかがえます。 異邦人への宣教もこの時は問題なくできるようになっていたので、会堂だけではなく他の場所でも宣べ伝えたはずです。 彼らはそのようにして色々な場所で福音を語りました。 こうして東の町サラミスから145キロ南西のキプロス島の行政府がある町パポスまでやって来ました。 パポスはキプロス島全土を統括する行政府の所在地でしたので、キプロス島で最も重要な町だと言えます。 ここではパピアンと呼ばれる女神が崇められていました。 ギリシャの女神アフロディーテと同一視される神でした。 そのような異教宗教の盛んな町にバルナバとサウロは聖霊の導きでやってきました。 たしかにバルナバの故郷の島ではありますが、決して簡単な場所ではないことがお分かりいただけると思います。 まさに異教の地へと彼らは足を踏み入れて宣教活動をしていたわけです。 日本は宣教が難しいと言われますが、田舎にいけばもっと大変です。 わたしの伯母は愛媛の田舎で農業をしてくらしていますが、クリスチャンだとわかる文面で手紙を送ったところ、やめてほしいと言われたことがあります。周囲の目が気になるのでしょう。 宗教の影響力が強い場所で伝道活動するのはとても大変なことだと教えられた出来事でした。 しかしこのように大変な地域に赴いて伝道しようとする人たちが今でもいます。世界各地に散らばっている宣教師はもちろんですが、日本国内でも福音があまり伝えられていない地域、特に田舎で神社やお寺との関わりが深いところへいって伝道する人たちがいます。 関西聖書学院で出会ったAさんは、LINEでよく宣教活動の報告と祈りの要請をしてくださいます。 その兄弟は京都の教会の方なのですが、関西聖書学院の学生さんたちと一緒に田舎伝道をしていました。 京都のある地域で伝道をしたところ出会った人の中で信仰告白をする方もいたという報告をいただきました。 バルナバやサウロも伝道がほとんどなされていない場所へと聖霊の導きでやってきて人々に福音を伝えましたが、そのような働きが実は今も行われていて福音は広がり続けているということを今日は一つ心に留めていただきたいと思います。 そしてそこで終わってしまうのではなくて、自分自身はその置かれた場所でどのようにイエスキストの福音を伝えていくことができるのかを一度思い巡らしてみてください。 そのこともまた聖霊の働きなくしてできませんし、何より今日知っていただきたいのはAさんの働きはもちろんですが、わたしやみなさんがどうやって福音を証するものとして生きていけるかと考えることも、イエス様の約束とつながっているものです。 2 バルイエス(6−8節) この町で二人はバルイエスという人物に出会いました。 彼は偽預言者であったと聖書には記されています。 偽預言者とは、神から言葉を受け取ることなどできないのに、神様がこう言っていると語る者のことです。 それをあたかも本当に神様から受け取っているかのように見せることができる人だったので、そういう意味で魔術師だとルカは表現しているのでしょう。 バルイエスは自称預言者で魔術師でした。 バルイエスは地方総督つまりキプロス島の行政のトップのもとにいました。 「もとにいた」と翻訳されているギリシャ語「エン」が継続と反復を意味する形で書かれているので、バルイエスが総督の相談役のようにいつもぴったりくっついていたことが想像できます。 側近として仕えていたということです。 バルナバとサウロはこの地方総督に対して福音を語ろうとします。 しかしバルイエスがそれに反対しました。 なぜバルイエスはバルナバとサウロが語る福音をきかせないようにしたのでしょうか。 バルイエスは自称預言者でした。 神の言葉を本当は聞けないのに、聞けると総督に嘘をついていたのです。 総督はそれを信じて、「バルイエスは神の声が聞こえるのだ」と思っていたわけです。 そこに本当の預言者であり教師であるバルナバとサウロがあらわれて総督に語ろうとしたのです。…

聖霊に遣わされて

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章4節 タイトル:聖霊に遣わされて 聖霊に導かれる。聖霊に遣わされる。聖霊に送り出される。 この言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。 聖書を読んでいてこの言葉が出てきたら、どんな様子を想像しますか。 神の声が直接聞こえて、「あなたはこれからどこどこに行きなさい。」と言われたから行くことでしょうか。 それとも何か違うイメージを持っておられますか。 もし直接神の声が聞こえることだけが聖霊の導きだとするなら、聞こえない人は聖霊の導きに生きることができないということになります。 では一体これらの言葉はどういう意味なのでしょうか。 <本論> 今日の箇所からパウロの伝道旅行の第一回目が始まります。 1節でアンテオケ教会の5人の中心人物が紹介されましたが、彼らの名前の順番を見てみますとバルナバが最初に登場し、サウロが最後になっています。 そして7節を見ますと、ここもバルナバが先に記されサウロはあとに記されています。 ここから最初の伝道旅行の序盤はサウロではなくバルナバが先導する形で進められていったことがわかります。 バルナバはこのキプロス島出身のユダヤ人でした。 彼にとっては生まれ故郷です。 そこにまずこの福音を伝えに行こうと、サウロやヨハネ(マルコ)と共にやってきたわけです。 バルナバにとって故郷のキプロスはどんな場所だったのでしょうか。 どんな人にとっても故郷は楽しいだけの場所、懐かしいだけの場所ではないと思うのですがどうですか。 みなさんにとっての故郷はどんな場所ですか。 両親や兄弟達と過ごし、また友人たちと共に成長した場所でしょうか。 それともそんな平凡な暮らしすらできなかった辛い場所でしょうか。 みなさんそれぞれに色々なことがあったはずです。 ご自身の生い立ちと重ねて考えてみてください。 みなさんにとって故郷とはどんな場所ですか。 質問を変えてみましょう。 故郷に大切な人はいますか。 バルナバにもきっといたはずです。 しかし一方で辛い経験もそこではあったのではないでしょうか。 彼の本名はバルナバではありませんでした。 彼はヨセフという名です。 しかしバルナバ(慰めの子)と呼ばれていました。 彼が人を慰めることができる人だったからでしょう。 では何故それができたのでしょうか。 コリントの手紙 第二 1章4節をみるとわかります。 “神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。” なぜ人を慰められるのか。 それは慰めを受けたことがあるからです。 バルナバは慰められたことがあるから慰めることができる人になりました。 とするとバルナバは何か慰められなくてはいけないことがあったということになります。 どんなことがあったのでしょうか。 バルナバはキプロス島という外国で生まれ育った人でした。 一体どんな暮らしだったのでしょうか。 彼はユダヤ人です。 周囲にはユダヤ人もいたでしょうが、ギリシャ人やローマ人もいたはずです。 そういう中で生きていくのは容易ではなかったはずです。 彼にとっての故郷とは大切な人たちがいる大切な場所であると同時に、辛く苦しい思い出も眠っている場所だったのではないかと思うのです。 バルナバにとってそういう場所にこれから向かうわけです。 彼の心境はどんなものだったのでしょうか。 行ってこの福音を伝えたいという思いと、避けて通りたいという思いが共存していたかもしれません。 しかしそれでもバルナバは行きました。 なぜなら聖霊に遣わされたからです。…