新しい命に生きる者を見たキリスト

主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:イザヤ書52章13節〜53章12節 タイトル: 新しい命に生きる者を見たキリスト 今日旧約聖書からイエス様のことが書かれてあるところ、その中でも代表格と言って良いイザヤ書52章53章を共に見ます。 この箇所はイエスキリストを預言した箇所として有名です。 “見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。” イザヤ書 52章13節 このように今日の聖書は勝利の歌から始まります。 ここで「上げられ」と翻訳されている言葉は、神にのみ使われる言葉(6:1、57:15)です。 この52章13節と今日の聖書箇所の最後の節である53章12節はどちらも勝利者をイメージさせる言葉がならんでいます。 しかしこの間にある52章14節から53章11節には勝利者をイメージさせる言葉はありません。 一見すると敗者の歌に見えます。 しかしイザヤはここで一見敗者のように見える出来事を勝利の言葉で挟み込むことによって究極的にこれらの出来事は全て勝利に結びつくものであることを示しているようです。 “私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。” イザヤ書 53章1~3節 1節でイザヤはこのしもべが主の御腕であると言います。 しかしこのことを誰も信じることができませんでした。 人々はこの方から顔を背けました。 人々はこのしもべを認めようとはしませんでした。 “彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。” イザヤ書 53章7~9節 旧約時代イスラエルは罪をあがなうために羊を用いました。 しかしこれは羊に罪をあらいきよめる力があるのではなく、イエスキリストの予表、影として用いられていたものでした。 バプテスマのヨハネはイエスキリストを指して「見よ、人の罪を取り除く神の子羊」と言っています。 キリストは捕らえられても鞭打たれても死刑判決を受けても口を開き自分を弁護しませんでした。 だれも自分たちの罪のためにキリストが死にわたされることを理解できず信じませんでした。 ☆「自分のいのちの激しい苦しみを見て、満足する。」(53章11節) 苦しみそのものを見て満足するのではありません。 イエス様は自分が激しい苦しみを受けたことによって実ったその実を見て満足したのです。 多くの人がこれにより神の前に義とされるからです。 ただイエスキリストの血によりその犠牲によって義とされるものたちのことを思って満足したのです。 人はキリストの血に覆われ彼の命に覆われ、ただ恵みによって義とされるのです。 激しい苦しみと翻訳された言葉を出産の苦しみに例えて語る人がいます。 私は男性なので出産の苦しみはわかりませんが、妻の出産の時の表情とその時の様子からとてつもなく辛いものなのだという想像はします。 そしてとても印象的だったのが、その苦しみの表情が瞬時にして変わった時です。 それは子どもが生まれた瞬間ではありません。 生まれた赤ん坊を抱いた時です。 その瞬間突如穏やかになったことを私はよく知っています。 出産というとてつもない苦しみを経験した母親は、その苦しみを通して生まれてきた子どもを見た時、満足するのではないでしょうか。 キリストはご自身の苦しみを見て、その苦しみから新しく生まれるクリスチャンたちをみて満足されました。 その人々が自分の罪を罪と認識し、ただキリストによってしか生きられないことを知ることを喜んだのです。 それが本当の意味で生きるということだからです。 その人は永遠の命を得た人だからです。 キリストが満足され喜ばれるのはこういう人のためです。 しかしキリストが満足されず喜ばれないことがあります。 それは新しい命に生きない人を見た時です。 彼は悲しまれます。 十字架の死がまったく無意味であるかのように訴えるような人生を見るとキリストは決して喜ばれません。 強烈な悲しみと痛みをおぼえるはずです。 それは母親が病に陥った子を見るような心境かも知れません。…

ただ一人の王を見上げて

主日礼拝メッセージ   聖書箇所:使徒の働き17章1〜9節  タイトル: ただ一人の王を見上げて 教会にはこの世で常に試練があります。悩みがあります。 しかしどんな状況になっても私たちは信仰を捨てず、どんな形であっても礼拝を守る教会でありたいです。 かつて、パウロが伝えた福音を受け取り信じた人々の群れも大変な試練にあいました。 しかしそれでも彼らは信仰を放棄せず御言葉に立ち続けました。 彼らは本当の王が一体誰なのかを知っていたからです。 彼らはただその王を見上げて生きていました。 今日は使徒の働き17章から見ます。 1節に”彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。‥”と記されていますが、ピリピの次にアンピポリス、それからアポロニヤ、さらにテサロニケとパウロたちの旅路が続いていることがわかります。 当時これらの町々を結ぶエグナチアという道がありました。ローマが作った道です。 この道をパウロ一行は通ってテサロニケへとやって来ました。 テサロニケ(現在のギリシャのサロニカ)には、ユダヤ人の会堂がありました。会堂を作るにはユダヤ人男性が10人必要ですので、テサロニケにはユダヤ人が男性だけでも10人以上いたということになります。 ピリピと違い多くのユダヤ人がいたのは、テサロニケがこの地方(マケドニア)の首都だったことが影響しているのでしょう。 パウロたちは会堂に入って三つの安息日にわたりユダヤ人やユダヤの教えを信じる異邦人たちと旧約聖書に基づいて論じ合いました。 何について論じあったのでしょうか。 3節にそのことが記されています。 “そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。” 使徒の働き 17章3節 「キリストが苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないこと」と「そのキリストがイエスであること」について論じ合ったのです。 「論証」と翻訳されている言葉は、ギリシャ語聖書では「前に並べる」となっています。 聖書の御言葉を一つ一つ証拠として、聞き手に提示していく姿をイメージさせる言葉です。 キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないこと。 そしてこのキリストこそ他でもないイエスであったこと。 この根拠となる聖句を旧約聖書から引用しそれらを人々に提示して説明していったのでしょう。 旧約聖書にはイエスキリストの預言が数多く記されています。 これらを提示してその意味を理解できるようにしたということでしょう。 どの箇所からなのかはわかりませんが、とにかくパウロの話を聞いた人々の中から救われる人が出ました。 “彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。” 使徒の働き 17章4節 パウロとシラスに従ったと記されていますが、従ったという言葉も原文のギリシャ語を見ると大きく印象が変わります。ギリシャ語では「割り当てられる」という言葉が使われています。 幾人かの人たちは、ユダヤ教の群れからパウロとシラスが伝えるキリストの群れに割り当てられました。 神が彼らを割り当ててキリストの群れの人としたということです。 しかしこれによりユダヤ人たちの妬みをかうことになります。 “ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。” 使徒の働き 17章5節 この世界においてキリストの業だけが進むことはありません。 サタンはそれを阻止しようとします。 サタンを恐れてはいけませんが、無視してもいけません。 悪魔の格言という本が最近出版されました。 悪魔の視点で教会やクリスチャンを見せてくれる本です。 これを書いたのは水谷潔という牧師さんなのですが、この先生が最近インターネットであげていた記事が興味深いので紹介させてください。 悪魔の雑談特別編 https://wlpm.xsrv.jp/media/《緊急特集》悪魔の雑談特別編-~悪霊係長、新型/ 荒野教会でも一人一人がいろいろな試練の中にあって信仰をつかんで生きています。 これは神の業です。 しかしここへ来て教会が自由に使えず限定的になったことで色々不都合が生じています。 どんな災害も病も神のゆるしなしでは起きません。全て神の手のうちにあることです。 しかしその状況を利用しようとする目に見えない勢力があることも忘れないでいたいと思います。 悪霊係長が言うような事態にならないように、私たちはただ一人の王を見上げましょう。 今こそ福音に立ち返りましょう。 イエスはわたしたちに何をしてくださった方か、そして今わたしたちにどうあってほしいと願っておられるのか、この唯一の王に目を向けて今週も歩みましょう。

神はわれらの避け所

主日礼拝メッセージ  聖書箇所:詩篇46篇 タイトル: 神はわれらの避け所 わたしたちは何の上に立っているのでしょうか。 何を避け所としているのでしょうか。 ネットやテレビのニュース、近所のうわさ話ではないでしょうか。 大阪の感染者が増えるたびに「また増えた。。。いつ自分の近所にやってくるかわからない。ひょっとしたら近所の人がもう感染しているのかもしれない。」職場の同僚が咳をしているのを見て、「この人もひょっとしたらコロナかもしれない。」「大切な人が感染するかもしれない。」「次は自分の番かもしれない。」 こんな風に考え恐れているならば、神を避け所とはしていません。 神を避け所とする人は、恐れなくてもよいのです。 “神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。” 詩篇 46篇1節 “それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。” 詩篇 46篇2節 この聖句は世界の混乱した状況をあらわしています。 まさに今の状況に当てはまる詩です。 今、世界中がコロナを恐れ騒いでいます。 しかし我らクリスチャンは神は我らの避けどころ。。。それゆえ恐れないと宣言できるのです。 これは特権です。 最大限の感染対策は必要です。 しかし神はどんな状況にあっても避けどころなのです。 今から約450年前、ドイツでハイデルベルク信仰問答という書物が作られました。これは若者たちに聖書を教えるために、聖書を整理して作成されたものです。本書はキリスト教信仰を最も美しく書き表したものの一つとして多くの人々から愛され続けていますが、今日はこの信仰問答の第一問を引用したいと思います。 ハイデルベルク信仰問答(1563年) 問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。  答 わたしがわたし自身のものではなく、 身も魂も、生きるにも死ぬにも、 わたしの真実な救い主 イエス・キリストのものであることです。 慰めと翻訳されている言葉はドイツ語では「避け所」や「拠り所」という意味があります。 わたしがわたし自身のものではなく、身も魂も生きるにも死ぬにもイエスキリストのものであることが避け所であり拠り所だとこの信仰問答は言うのです。 わたしがわたし自身のものではないとは、自由がないという意味ではなく、全ての責任をイエスキリストが負ってくださるということです。最高責任者がイエスキリストだという意味です。  それは生きるにも死ぬにも永遠に変わることがありません。 クリスチャンは伝染病患者のために祈る特権があります。 自分や家族や教会の仲間や友人が感染しないように祈ることもできます。 しかし何よりも、生きるにも死ぬにもキリストはわたしたちの避けどころであるという信仰に今立つべきです。 今回コロナに感染しなかったとしても、あるいは感染し回復したとしても、いつの日かわたしたちもこの世界を離れる時が来るのです。 しかしその時も私たちに対して責任を負って下さる方がいるのです。それがイエスキリストなのです。 ここにこそ本当の慰めがあるのです。本当の避けどころ、拠り所はここにしかありません。 イエスキリストは私たちの罪のために十字架で死なれた方です。しかし3日後によみがられ、私たちを新しい命で生かしてくださった方です。 この方が今日の聖書の10節で言っておられます。 “「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」” 詩篇 46篇10節 口語訳聖書では「やめよ」ではなく「静まれ」と翻訳されています。新共同訳聖書には「力を捨てよ」と記されています。 わたしたちは予期せぬ事態に見舞われると神に頼るよりも自分の力でなんとかしようとしてしまいます。そんなわたしたちに神は静まれ、力を捨てよといわれるのです。 イエス様は弟子たちと共に湖の上で嵐に見舞われたときその嵐を沈められました。 だからこの事態も神は収めることができます。 しかしまずわたしたちの心こそ収められるべきではないでしょうか。わたしたちの心に向けて主は言っておられるのです。 「やめよ」「静まれ」「力を捨てよ」 今こそこの言葉をつかみましょう。 こういう時こそ真の信仰が発揮されます。 “何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。” ピリピ人への手紙 4章6~7節 思い煩うのではなく、知っていただきなさいとあります。…

主に用いられる人ルデア

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き16章11〜15節 タイトル:主に用いられる人ルデア みなさんは主に用いられる人はどんな人だと思われますか。 今日の聖書に登場するルデアという人は主に大いに用いられた人でした。 彼女とパウロ一行の出会いは、ピリピに教会を誕生させました。 今日はこの箇所から主に用いられる人とはどんな人なのかを見ていきたいと思います。 ピリピは、マケドニアの王フィリッポス2世という人の名前にちなんで付けられた名前でしたが、その後、紀元前42年の戦争でアントニウスによってローマの植民地とされました。 ローマ軍の退役軍人が多く移住して暮らしていたので、ローマ的であると同時に軍事的性格を帯びた町になっていました。 住民の約半数はこの退役軍人たちで、ギリシャ人が残りの半数で、ユダヤ人はごく少数でした。 これまでパウロたちが訪れた場所は小アジア地域でしたが、ここからいよいよヨーロッパ地域になります。 ユダヤ人はほとんどいません。 会堂もありません。 ユダヤ人の男性が10人いれば会堂は作ることができると言われていますが、この町に会堂がないところを見るとユダヤ人の男性は10人もいなかったということでしょう。 会堂に代わる場所として祈り場があるだけでした。 ただし町の門の外の川岸でした。 こういうところからも、パウロたちが今まで宣教して来た町とは大きく違うことがわかります。 この祈り場でとても重要な人物と出会うことになります。 それはルデアという人です。 この人はテアテラ市からやって来ていました。 テアテラ市とは、紫布生産の中心地でパウロたちが伝道しようとしていた小アジアにあります。 神はパウロたちが小アジアで福音宣教することを禁じられ、ヨーロッパへと送られましたが、このヨーロッパで小アジアの人と出会わせました。 神の導きの不思議を感じずにいられないところです。 ルデアはパウロと出会った後、ヨーロッパでの最初の改宗者として家族とともに洗礼を受け使徒たちをあつくもてなし大きな助け手となっていきます。 こうしてこの町にできた教会がピリピ人への手紙の受けとり手となるピリピ教会です。この手紙を読むとわかるようにパウロを最もよく助けた教会でした。 パウロはまだこの地方に来るつもりはありませんでしたが、神はパウロをこの地に導かれました。 ルデアと出会わせピリピの人々と出会わせるご計画だったのでしょう。 今日の聖書の大まかな流れは以上です。 ここから少し細かいところを見ていきたいと思います。 ①まずパウロとルデアが出会った場所についてです。 先ほどお話しした通り、ピリピという町にはユダヤ人たちがほとんどいませんでした。 だから会堂も作ることができません。 ユダヤ人男性が10人いないと作れない決まりだったからです。 それでもユダヤ人たちは安息日を守らなくてはいけません。 それで会堂が作れないなら祈り場を決めようということになったのでしょう。 町の門の外に出て、ある川岸をその祈り場と決めました。 そして毎週安息日に集まっていたのです。 ピリピの人々はほとんどがローマの元軍人、あるいはギリシャ人たちでした。当然この人たちは安息日を守ることはありません。それぞれが思い思いの日を過ごしていたはずです。 そんな中この世をつくられた神を信じる人々は、いそいそと出かけて行き町の門から外に出て川岸で共に祈る時をもっていました。 男性だけでは10人もいないとすると女性や子どもも合わせても30人も満たない群れだったのではないでしょうか。 圧倒的少数派の人々でした。 しかしそれでもこの人たちは安息日を守り続けました。祈ることをやめませんでした。 この人たちのことを考えると日本のクリスチャンが思い出されます。 圧倒的少数派に属する私たちも普段周囲に同じ信仰を持つ人などいない中で生きています。 今日も隣近所の人たちは思い思いの休日を過ごしているのではないでしょうか。 しかし私たちは家を出て教会に集うのです。隣近所の人たちや友人や同僚が教会に行かず家で一週間の疲れをとっていようがいまいが関係ありません。 ただ私たちはこの主日に主を礼拝するために共に主の御言葉を受け取り祈りを捧げるために集まるのです。 ルデアはパウロから福音を聞くまではクリスチャンではありませんでしたが、おそらくテアテラでユダヤ人たちからユダヤ教の教えを聞き天地万物をお造りになった神を信じていたのでしょう。 それでユダヤ人たちと同じように祈り場に集い礼拝の時を持っていたのです。 そこにパウロとシラス、そしてテモテとルカがやってきました。 そして彼らはその祈り場で福音を語ったのです。 ②ここからはルデヤの心が開かれたことについてです。 “テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。” 使徒の働き 16章14節 聖霊の導きに従いピリピにやってきたパウロたちが、この祈り場で語りはじめました。…

神の導きかわたしの意地か

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き16章6〜11節 タイトル:神の導きかわたしの意地か みなさんは何かをしようと一生懸命頑張っているのに、それがことごとくうまくいかない時、どのように思われますか。「あれ?ひょっとして神はこれを望んでいないのではないだろうか?」なんて思うことはないですか。 そんな時、どうしますか。それでも自分の行きたい方へ突き進みますか。それとも祈って本当にこれで良いのか神にたずね、NOと言われたらキッパリ諦めますか。 何か二つの思いが衝突しているようですね。 今日の聖書にもこの二つの思い、力がぶつかり合う場面が出てきます。 今私たちはパウロの第二回目の伝道旅行を見ています。 バルナバと別れたパウロは、シラスと共にキリキヤ地方を通ってデルベに着き、そこからルステラ、イコニオムへとやって来ました。 ルステラでは後に大きな働き人になるテモテと出会い彼も共に伝道の旅に出ることになりました。 6節を見ますと、「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。」とあります。 ここからパウロの一行は「アジヤでみことばを語る」計画だったということがわかります。ピシデヤのアンテオケから西に向かえば、エペソがあるのでそこで伝道しようと思っていたのでしょう。 しかし聖霊はなぜかそれを禁じました。 彼らは進路を北にとり,〈フルギヤ・ガラテヤ〉を通過し.更に北へ進み,黒海沿岸の〈ビテニヤ〉を目指そうとしました。 しかしここでも再び〈イエスの御霊〉に阻まれます。 「こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」 (使徒の働き16章7節) こうした禁止や阻止の理由はわかりません。 しかしパウロの考えに対して聖霊は待ったをかけたのです。 おそらくパウロはまずこの小アジア地域を回った後に、ヨーロッパへと行こうとしたのだと思います。 みなさんもまず近いところから回って行った方が合理的だと思われるのではないでしょうか。わたしもその方がよいと思います。 しかし人が考える合理的なやり方と神様の考えは同じではないことがあります。 例えば、イエスさまが死んでよみがえり天に昇られた後、聖霊を与えると言われました。この時も人の常識に照らせばイエスさまを殺した人たちがいるエルサレムは避けて地方のガリラヤから始めた方が良いと思うのではないでしょうか。 しかしイエスさまはエルサレムで待てと言われました。 わたしが使徒ならエルサレムではなくガリラヤや他の地方から始めて徐々に勢力を伸ばし、その後エルサレムへ入っていく方法をとりたいと思ったと思います。 そんなわたしにとってイエスさまがエルサレムで待てと言われたあの出来事は理解が困難だったはずです。 だけどそれに従ったことでペンテコステの日に多くの人が救われ、さらに彼らが自分の住んでいる町に帰ることによって福音の種が一気にまかれることになったのです。 今日の聖書のパウロも自分が良いと思うアジアでの伝道を聖霊にとめられて困惑したのではないでしょうか。 しかもこの言葉を注意深く見ていくと、アジアに行ってはいけないとは言っていないことに気づきます。 だからこの後パウロ一行はアジアを通ってトロアスに行きます。 行ってはいけないわけではなく、アジアで福音を語ってはいけないと言われたのです。パウロにとってこれが最も理解し難いことだったのではないでしょうか。 ルステラで石に打たれて半殺しにされても福音を伝えることをやめなかったパウロです。彼にとってアジアを通っている間に福音を語らないことはありえないことでした。 神がどのような理由でパウロたちにアジアで福音を語ってはいけないと言われたのかはわかりません。 しかしとにかく聖霊によって語ることを阻まれたのです。 一人でも多くの人たちに福音を語りたいと思って出てきたパウロたちにとって理解し難いことだったに違いありません。 だからとにかくアジア地方を離れて他の地方に行って伝えようとします。 「こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」 (使徒の働き16章7節) ピシデヤに行こうとしたのはそういう理由からです。 アジア地方でなければ福音を伝えてもよいと考えたのです。 しかしそれも聖霊がとめられました。 一体どうすれば良いのか本当にわからなかったことでしょう。 しかしとにかくことごとく自分の計画に反対されるので、今度はアジア地方を通過してトロアスに行きそこからヨーロッパへ渡ることにしました。 まだアジア地域には伝道できていません。 本来であれば先にそちらに福音の種をまきたいところだったはずです。 しかし神の計画はパウロとは違っていたのです。 みなさんは自分が行こうとするところを神にとどめられたことはありますか。 行こうとするところに色々な事情で行けなかったたり、やろうとすることがことごとくうまくいかなかったりということはありましたか。 そういう時どのように対処されるでしょうか。 うまくいかなくても、とにかく自分が正しいと思った方に走りますか。それとも神に祈り、神がNOと言っておられることがわかったらそれを手放しますか。 パウロたちの素晴らしいところは、自分の思いや意地ではなくて徹頭徹尾神に従おうとしたところです。 聖霊が二度パウロたち一行の行手を阻みました。 その度に彼らは自分の意見ではなく神の思いを優先したのです。 ここもダメあっちもダメと言われて混乱したはずです。 しかしそれでも自分の思いを押し通すのではなく神がダメだと言われる地域を避けて福音を伝えることに専念しました。…

第2問 唯一の基準である聖書

第2問 唯一の基準である聖書 問: 神は、私たちに神の栄光をあらわし、神を喜ぶ道を教えるため、どんな基準を授けてくださいますか。 答: 旧新約聖書にある神の御言葉だけが、わたしたちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です。 (テモテⅡ3:16、黙示録22:18、19) <神がくださった唯一の基準> 第1問では人の主な目的は神の栄光をあらわし喜ぶことだと学びましたが、第2問は神の栄光をあらわし喜ぶためにはどうすればいいかという質問です。 第1問は目的が「何」なのかを問うものでしたが、第2問は目的に向かうための「方法」を問うものです。 この問いには「神に栄光をささげ、神を喜ぶことについて人は自ら知ることはできない。」という前提がかくれています。 私たちが神のことを知るには、神の側から私たちに教えてくれなければいけません。有限の私たちはその限界のために無限の存在である神を理解し把握することはできません。私たちの方から神を探求する仕方では不可能なのです。 あくまで私たちは神が教えてくれた分だけ神を知ることができるのです。 <神がくれた「基準」> 神がくれた基準があることはすでに話しましたが、その基準が何なのかというのがこの第2問の問いです。 答えは「神の御言葉」です。啓示ともいいます。この御言葉は旧約聖書と新約聖書におさめられています。そしてこれこそ私たちの唯一の基準です。 では基準とはなんでしょうか?それは守らなければいけない法です。「このようにして私を知りなさい。」「このようにして私に栄光をささげ、私を喜びなさい。」と指示されたということです。他の方法はありません。 さて、どうでしょうか?素直に同意できるでしょうか? 「どうして聖書をわたしの唯一の基準として守らないといけないのか?」「この広い世界でその方法だけしかないというのは、あまりに極端な話ではないか?」このような考えを持つのが自然ではないかと思います。聖書よりもすばらしく、知恵がたくさん含まれているように見えるものはこの世界にはたくさんあります。 しかし聖書は世の知恵とは全く違います。それどころか世がもっている知恵と基準も神がくださった普遍的な恵みの内に含まれるものなのです。しかしこれには限界があります。生きていく上で多少の益にはなりますが、小教理問答1問の答のように「人生の主な(最高の)目的」のための基準には成り得ません。 ではここから啓示(神の御言葉)についてお話します。 啓示には一般啓示と特別啓示があります。 <一般啓示> 一般啓示とは自然法則と万物によって私たちが知ることのできる啓示です。これは聖書を見なくても受け取ることのできるものです。自然や歴史、人間の内的有り様を通した神の自己顕現のことです。 これはあらゆる時代のあらゆる人々が受け取ることができるものです。しかしこれだけでは不十分です。 世の中には多くの学者たちがいます。しかし彼らが私たちよりも知能が高く研究を多くしてきたからといって神をその分多く知ることができるわけではありません。彼らは私たちが知っていることを知ることはできません。なぜなら彼らは特別啓示を研究せずに一般啓示しか研究していないからです。 <特別啓示> 特別啓示は神についての正しい知識を教えてくれます。神がしてくださったことと、それがどれほど私たちに祝福をもたらしたのかを完全で十分なかたちで教えてくれます。そして、それが聖書に記録されているのです。 神を正しく知るためには聖書しかありません。神の栄光をあらわし、神を喜ぶための基準を教えてくれる啓示は聖書のみです。 <結論> 神が教えてくださればその分私たちは知ることができます。 神に栄光をささげ神を喜ぶための基準が聖書の中にあります。私たちが聖書を有益な基準として扱うときにはじめて私たちは神にまっすぐに栄光を捧げることができ喜ぶことができるのです。 聖書を学ばなければ、どれほど世の中からたくさん学んで、道徳水準が上がり、マナーを身につけても人の主な目的に向かっては生きてはいけません。私たちが聖書をしっかり読み、学べば学ぶほど神にもっと栄光をささげることができ喜ぶことができるのです。 私たちは本来自分がどう生きるべきかわからないまま死をむかえるだけの者でした。しかしそんな私たちに神様は基準をくださいました。それが聖書です。 1問と2問は小教理問答全体の前提です。3問からは聖書の中身に入ります。

教会が信仰を強められるには

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き16章1~5節 タイトル:教会が信仰を強められるには 「あなたは信仰が強いですか?」ともしたずねられたら、どのように答えますか。ほとんどの方は「いえ、自分はまだまだです。」と答えるのではないでしょうか。 わたしは個人的に信仰が強いとか弱いという言い方は好きではありません。信仰が強いとか弱いというのは、相手をある時点で判断しないと出てくる言葉ではないからです。信仰というのはある時点をもって判断すべきものではないと思います。 信仰は必ず揺るがされることがあり、そのことを通して強められていくものです。信仰が強められるとは、さらに神を知っていくこと、御言葉を体験として知っていくことを意味しています。 揺さぶられ揺るがされながら強くなっていくものです。 今日の聖書の5節には「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」とありました。 信仰は強められるものです。 ただしこの聖書箇所は「諸教会」の信仰が強められたと記されています。 教会が信仰を強められるとはどういうことなのでしょうか。 どのようにしてこれらの教会は信仰を強められていったのでしょうか。 まず15章40節から16章2節を見ます。 ”パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。 そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。 それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、 ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。” 前回パウロとバルナバが仲違いをして宣教チームが二つに分かれてしまいました。 以前はパウロはバルナバと共に、キプロス島から宣教活動をはじめましたが、今回はキプロス島にバルナバとマルコが向かいました。 パウロはというとシリアを通ってキリキヤ地方を通過しデルベに、そしてルステラへとやってきました。ここには大変険しい山脈を越えてこなくてはいけません。 しかしパウロはまたやってきました。 しかもルステラです。 ルステラと聞いて何か思い出されますか。 この町でパウロは大変な目にあいました。 “ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれつき足のなえた人で、歩いたことがなかった。 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。 パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。 そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。 すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。” 使徒の働き 14章8~13節 パウロとバルナバは急いでこれをやめさせました。そして彼らの信仰を否定しました。 そこに他の町からユダヤ人たちがやってきて町の人々をたきつけてパウロを石打ちにして殺そうとしたのです。 “ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。” 使徒の働き 14章19節 死んだものと思ったということは、それだけパウロがひどい状態だったということです。 パウロにとってルステラは大変な場所でした。 しかしそれでもまた彼はこの町にやってきたのです。 どうしてそんなひどい仕打ちを受けた場所に戻ってきたのでしょうか。 それはこの町にもキリストの弟子がいるからです。 勧め励ましたいと思う人々がいるからです。 パウロの献身がよく見えるところです。 諸教会の信仰が強められた大きな要因の一つがこの献身です。 つづいて二つ目です。 これはこのルステラで出会った人々と関係しています。 前回の伝道旅行の時に、イエスキリストを受け入れた人の中にテモテの母親がいたようです。そこからパウロはテモテともつながり彼も信仰を得るに至ったのでしょう。父親がギリシャ人であったことが記されていますが、ギリシャ語聖書では過去完了形で書かれているのでこの時はもうすでに死んでいたと考えられます。テモテの母親はやもめとなってたいへん苦労しながら生きていたのではないでしょうか。そんな歩みの中でイエスキリストのことを知ります。そして信仰を与えられました。他の聖書の箇所を見るとテモテの母親のことやテモテの信仰のことがよくわかります “私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。” テモテへの手紙 第二 1章5節 この手紙で母親の名前やおばあさんの名前がわかります。 そして神への純粋な信仰が、まずおばあさんと母親に与えられ、それがテモテのうちにも宿っているのだとパウロは言うのです。 信仰が強められるためには、このように家庭での信仰継承が大切なのだということを思わされます。 テモテの信仰はおばあさんと母親の信仰だったのです。 それがテモテのうちに宿っているとパウロは確信しているのです。 パウロの信仰が宿っているとはいわないのです。…

目的地は同じです

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き15章36~41節 タイトル:目的地は同じです みなさんには、苦手な人はいますか。 特に同じ信仰を持つ人の中でどうしてもこの人とは意見が合わない。出来ることなら顔を合わさずに生活したいという人はいますか。 同じ信仰を持っているからといって全ての点で意見が一致するわけではありません。衝突することもあるでしょう。 しかしその時に是非忘れていただきたくないことがあります。 それは意見の違いでもって相手を裁いたり、自分こそ神の側に立っている者などと思わないでことです。 私たちは今はバラバラの意見でバラバラのやり方で生きているように見えるかもしれません。 しかし同じ信仰を持っている者であれば、結局向かう先は同じなのです。だから自分こそまっすぐ向かっている者であの人は間違った方向に向かっていると思えるような時でも簡単に判断したくないのです。 どんな衝突であろうとどんな反目であろうとも、神が必ずそれぞれにとって良い道筋を用意し最終的に神の国へと導きいれられるのですから。 今日はそのことを心にとどめつつ共に聖書を開いていきたいと思います。 前回の礼拝では、アンテオケ教会にユダヤから人がやってきたことが原因で論争が起こり、パウロたちがエルサレム教会まで行く場面を共に見ました。 結局この騒動は、神の導きによりユダヤ人と異邦人たちがお互いがつまずきにならないように配慮する形で終えることができました。 アンテオケ教会とエルサレム教会の分裂すらも危ぶまれた出来事ですが、かえってこの出来事によって強く結束するにいたったと言ええるかもしれません。 この決定を文書にしたエルサレム教会は、ユダとシラスをアンテオケ教会に送り口頭でも伝えるようにしました。 この出来事において大きな役割を果たしたのがパウロやバルナバであったことは言うまでもありません。 しかし皮肉なことに今度はこの2人が衝突し結局分裂してしまうことになるのです。 さてこの出来事、みなさんはどのようにご覧になりますか。 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」 (使徒の働き15章36節) パウロとバルナバの宣教旅行は聖霊の導きのままとにかくどこであろうと福音をもって向かいそこで福音を伝えることでした。 しかし今回は前回のようにまだ福音が伝わっておらず行ったことのない所に行くのではなく、前回福音を伝えてキリストの弟子となった人たちの所に行ってみようということになりました。 言うなればアフターケアです。 このことに関してパウロとバルナバの意見は一致していました。 しかしバルナバの「マルコも連れていきたい。」という言葉で瞬時にその場の雰囲気は変わってしまったようです。 バルナバはマルコを連れていきたいと思っていましたが、パウロはこれに反対しました。このやりとりがどれぐらい続いたのか聖書からはわかりませんが、結局激しい反目となってしまいました。   ここで彼らが分裂した原因であるマルコ(ヨハネ)について少しおさらいしておきましょう。 第一回目の伝道旅行の時、パウロとバルナバはマルコと呼ばれるヨハネを連れてキプロス島へと向かいました。 そこで福音を伝えた後パンフリヤへと向かいますが、ここでヨハネはエルサレムへと帰ってしまいました。 まだ旅の序盤でした。 このことが原因でパウロはヨハネが伝道旅行に向いていないと判断したということでしょう。 さてこのヨハネの行動についてですが、聖書はその理由に関して沈黙しています。 しかし学者の間では色々なことが言われています。 主に二つの意見があります。 まず一つ目は、パンプリヤから先へ行くことの困難さです。この先に行くにはタウロス山脈という大変な山々を超えなくてはいけませんでした。彼はパンフリヤまではついて来ましたが、その山脈を見たときにこれはどうにもならないと思ってエルサレムへと帰ったのだろうという説です。 ヨハネは大変大きな家に住む人でした。あのペンテコステの出来事が起こったのはヨハネの家だったと言われています。その時男だけで120人もいました。これだけの人数の人が入って座ることのできる屋上の間を持つ家の息子だったのです。お金に困ることもなくあまり苦労したことがなかったのではないでしょうか。そんな彼が親戚であるバルナバの影響で勇気を出してパンフリヤまでついて来たけども、タウロス山脈があまりにも大きく心が折れてしまったのではないかという考えです。 二つ目は、リーダーシップの問題です。ヨハネは自分の親戚であるバルナバを頼りにここまで付いて来たはずです。そして最初はそのバルナバがリーダーシップを発揮していたことが聖書に登場する名前の順番からもわかります。 しかしキプロス島の途中からバルナバよりもパウロが前に出るようになり、リーダーが入れ替わるような形になったのではないかと考えられます。 パウロとバルナバ、どちらが先輩でしょうか。バルナバです。エルサレム教会で誰もがパウロを恐れて近づかなかったにもかかわらず慰めの子であるバルナバはパウロを信じ受け入れ使徒たちに紹介までしました。 さらにパウロの故郷まで行って彼を探し出しアンテオケ教会の働きにつかせたのもバルナバでした。そんな彼に支えられながらパウロはここまで来たのです。しかしキプロス島での伝道活動の時期から完全にリーダーが入れ替わるような形になってしまったのでしょう。バルナバを頼りにしていたヨハネからすれば気持ちの良いことではなかったはずです。バルナバがリーダーでないのなら自分は行かないということでヨハネは帰ったのだという説が二つ目の説です。 一つ目の説は、地理的な背景を理由にした説で、二つ目の理由は聖書に記されている名前の順序から導き出される説です。 他にも想像してみると色々考えられる理由はあるかもしれません。 迫害によって荒らされていたエルサレム教会のことがどうしても気になったのかもしれないとか。 あるいは、飢饉に苦しむユダヤ人クリスチャンたちのことを思ってのことかもしれないとか。 みなさんもそれぞれ色々な理由が思い浮かぶのではないでしょうか。 ただいずれも想像の域を出ません。 しかし聖書の御言葉に注目していくと、マルコと呼ばれていたヨハネの心がどこを向いていたのかは見えてくるように思います。 それは彼が伝道旅行から離脱したときに、マルコではなくヨハネと記されていることからわかることです。 “パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。” 使徒の働き 13章13節 ここに使徒の働きを記したとされるルカの意図が見えるようです。 なぜあえて彼はここでマルコとは言わずヨハネと記したのでしょうか。 マルコはギリシャ名ですが、ヨハネはヘブライ名です。…

葛藤と論争のただ中にも神は共におられる

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き15章1~21節 タイトル:葛藤と論争のただ中にも神は共におられる 今日のタイトルは葛藤と論争の只中にも神は共におられるとしました。 わたしたちの内側には葛藤が生じることがあります。 それは仕事のことかもしれませんし、家庭のことかもしれません。 またそれは過去に関することかもしれませんし、現在のことかもしれませんし、未来に関することかもしれません。 その葛藤の只中にいる時、人は神が共におられることを忘れてしまいます。 また共同体の中に論争が生じた時もそうです。 神が共におられることがわからなくなるのです。 しかし今日の聖書を見ると、たとえ神が共におられるように思えない出来事であったとしても、そこに確かに神がおられて導いておられることがわかってきます。 今日はそんなところをおさえつつ共に恵みを分かち合いたいと思います。 イエスさまは使徒の働き1章8節でこう言われました。 “しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」” この言葉の通り、福音はエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そしてさらに広域へ異邦人世界へと広がっていきました。 異邦人世界への宣教の働きを担うために立てられたのが、アンテオケ教会です。 そしてそこから派遣されたのがパウロとバルナバでした。 彼らは異邦人世界で多くの働きをし、それを通して多くの異邦人がキリストを信じるようになりました。 そして派遣元であるアンテオケと戻ってきたのです。 そこでどれほど主が働かれて多くのキリスト者が起こされていったのかを報告しました。 アンテオケ教会にとって何よりの知らせであったことでしょう。 しかしそんな喜びに満たされている教会に、ユダヤから人がやってきたことで問題が起こります。 使徒の働き15章1節 ”さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。” アンテオケ教会というのは異邦人(ユダヤ人でない人たち)中心の教会です。 だからユダヤ人たちが守っていたモーセの慣習であるとか、その中に含まれる割礼というものを受けていませんでした。 割礼を受けていようがいまいが救いには全く関係がありません。 しかしユダヤ地方からやってきたある人たちは、アンテオケ教会でモーセの慣習の大切さを唱えたのです。 これに対してパウロとバルナバが立ち上がりました。 2節では「‥パウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じた」とありますように、なかなかの騒ぎに発展したようです。 そしてアンテオケ教会だけでは収集がつかないと思ったのでしょう。 教会の本部といっても良いエルサレムに上って、使徒たちや長老たちと話しあうことになりました。 パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、一緒にエルサレムへと向かいました。 そしてエルサレムに着くとそこでも神がともにいて行われたことを、報告しました。 当然この報告の中には異邦人たちが聖霊を受けてイエスキリストを信じたことなどが含まれます。 しかしこれに対して反対する人たちがいました。 使徒の働き15章5節 ”しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と言った。” 元々パリサイ派だった人で、イエスキリストを信じた人がエルサレム教会にはいたようです。 パリサイ派というのは、モーセの律法を厳格に守るように努めていた人たちです。 この人たちが立ち上がって、異邦人たちであってもモーセの律法を守らせ割礼を受けさせるべきだと言いました。 <ネガティブ?ポジティブ?> アンテオケ教会と同じような出来事がこのエルサレム教会でも起こりました。 アンテオケ教会での争いにしてもエルサレムでの対立にしてもそうですが、いずれも決して良い出来事ではありません。 人間の目からみるとネガティブな出来事でしかありません。 しかしここにも主が共におられたことを心にとどめたいと思います。 そしてこの出来事が最終的に主の御心は何かを求めるところで一致したことを考えると神の目から見れば決してネガティブなものではなかったはずです。 一見ネガティブな出来事でしかないと思えるようなことも、主が共におられることに心を向けていくとポジティブな出来事に見えるようになります。 ネガティブな出来事というのは、実はわたしたちの心を主に向けてくれるきっかけになります。 今回のアンテオケ教会やエルサレム教会での論争しかり、わたしたちの生活の中で起きるあらゆるネガティブな要素はわたしたちを不安にし、不満を募らせるものになりえますが、そこで止まってしまうのではなく、その先を見ていく時に、ポジティブなものに変わりうるのです。 アンテオケ教会やエルサレム教会で起きたことは、それだけを見れば良いことではありません。 しかしこの出来事を通して、彼らは主の御心を求めるところで一致していくのです。 <エルサレム会議> 続いてエルサレムでの会議の中身に入っていきます。 “そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。…

神の国に入るには

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き14章19~23節 タイトル:神の国に入るには みなさん、最近辛いな苦しいなと思う出来事はありましたか。 今日の御言葉の中心は、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」というところです。 この言葉を見てみなさんはどのように思われるでしょうか。 嫌だな、出来れば避けて通りたいなと思われますか。 わたしも出来れば苦しみたくはありません。 しかし神の国に入るには多くの苦しみを経なければならないと聖書はたしかに語っています。 ではどのようにしてこの苦しみを経ていくのでしょうか。 今日の聖書を見ていくと、少しイメージがかわるかもしれません。 今日の聖書を理解するために前回までの流れを少しおさらいしたいと思います。 パウロとバルナバはピシデヤのアンテオケを出た後、イコニオムへ行き、そこからルステラという町に来ました。 そこの住民は特にギリシャ神話に登場するゼウスとヘルメスを信奉していました。 そのきっかけとなったと考えられるのが、昔この地にいた農夫ピレモン・バウキスに起こった出来事です。 ある日彼はゼウスとヘルメスがルステラを訪れた際にそれとは知らずに二人をもてなし、その親切の報いを受けたという昔話をがあったのです。 そこにパウロとバルナバがやって来て、奇跡を起こしたので、町の人々はパウロとバルナバがヘルメスとゼウスなのだと誤解してしまいました。 それでパウロとバルナバに捧げ物をしようとしたのです。 しかしパウロとバルナバは、自分たちは神々ではないと答え、ルステラの人々の信仰も同時に否定しました。 ちょうどその頃パウロとバルナバの信仰に反対するユダヤ人たちがやってきてルステラの人々を焚き付けて、パウロを石で打ちたたき町の外に捨てるように仕向けます。 ルステラの人々はついさっきまで神々と信じ祭り上げていたパウロを今度は殺そうとしました。 心を砕き信仰を伝えようとした相手が裏切る姿は福音を伝える側にとって大変大きな痛みになります。 どうせ打ち叩かれるなら全く関係のない強盗の方がまだましです。 パウロにとって大変ショックな出来事だったことでしょう。 しかしパウロはその後、驚くべき対応をします。 “しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。” 使徒の働き 14章20節 このように記されているのです。 まるで何事もなかったかのように彼はそのまま町に入っていきました。 心を砕いて福音を伝えようとした相手がそれを理解してくれず、こちらを攻撃してくる時、みなさんだったらどんな思いになりますか。 わたしはこの箇所を準備しながら、本当に苦しくなりました。 自分に当てはめて考えた時、とてもパウロのような対応はできないと思ったからです。 取り囲んでいる弟子たちにその苦悩を少しもこぼすことなく、何も言わずにまた自分を殺そうとした人たちのいる町に入っていくなんてとても出来ないと思いました。 パウロをこうまでさせるものは一体何なのでしょうか。 それが次の節以降を読んでいくと見えてくるようです。 21節22節を読みます。 “彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。” 使徒の働き 14章21~22節 まずここで注目したいのが、彼らがまっすぐアンテオケに戻るのではなく、それまでに回ってきた道を引き返す形で戻ったことです。 ルステラからデルベに行った彼らでしたが、そのまま山越えすればパウロの生まれたタルソを通って、最短距離で母教会があるアンテオケへ戻れます。 ところが彼らはルステラ、イコニオム、アンテオケと引き返して行きました。 大変つらい迫害を受けた場所に戻ったのです。 理由がなければそんな場所に戻ることはあり得ません。 彼らにとって行かなくてはいけない理由があったのです。 その理由とは、「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言」うことでした。 つまりルステラ、イコニオム、アンテオケで福音を受け入れた人たちのためだったのです。 好き好んで自分を攻撃する人間がいるところに行こうと思う人はいません。 しかしそこに御言葉で勧め励ます必要のある人がいると思う時、たとえそこに自分を攻撃する人々が待ち受けていようとも戻ろうと思えるのでしょう。 バウロとバルナバのこの行動は神様との関係はもちろんですが、さらに神が準備しておられる人々との関係からの決意の行動と言えるのです。 続いて注目したいのは、信仰にしっかりとどまることの難しさです。 人が信仰を告白してクリスチャンになる時の思いは決して偽物ではないでしょう。 しかしその後一度も揺れ動くことなくスムーズにいくことはまずありません。 なぜなら「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」からです。 パウロの励ましを受けとった彼らを待っていたのもまた激しい迫害でした。…