第12問 命の契約

第12問 命の契約 問: 神は、創造された状態の人に、どのような特別の摂理の行為をとられましたか。 答: 人を創造された時、神は人と、完全な従順を条件として命を契約されました。しかし、善悪を知る木の実を食べることは、死を制裁として禁じられました。 第12問からは小教理問答が新しい主題へと入っていきます。 第11問まではマクロ的な主題を扱ってきましたが、ここからは人に焦点を当てたお話になります。 問いにある「特別の摂理」とは神が私たちと命の契約(行いの契約)を結ばれたことを意味します。 この契約の条件は人が神に完全に従順することでした。そして人が完全に従うか否かを知る手段として善悪の知識の木の実を食べることを禁じられました。 従うことが核心であり、善悪の知識の木の実を食べるか否かはそれを判断する指標でした。 この約束を守らなければ死の結果を招きます。 今私たちは神の聖定の〈実行〉について学んでいます。 聖定の実行を創造と摂理に分け、さらにこの摂理には特別の摂理があるということを小教理問答12問を通して学んでいきます。 ①「人と」 他の被造物とは違い神は人に永遠の命を約束されました。 従順の契約というと神が人に何か重荷を与えるかのように感じるかもしれませんが、神が人に永遠の命を約束されたというところにポイントがあります。 そしてその条件として何か特別なことをしろということでもありませんでした。 神に造られた者として当然の従順を神は要求されただけです。 動物を統治する権威を与えただけではなく、永遠の命までも約束されたということです。 これは人に自発的な従順を求めるものであり、人格的な関係を結ぼうとされたということです。 これがとても重要なポイントです。 被造物に対して創造主である神がこのように約束されることが、そもそも驚くべきことであり栄光です。 ちりでしかなかった人を、神は人格的に扱おうとしておられるということができます。 これまでに神の聖定を学んで来ました。 そしてその中に私たち人間の存在もあるといいましたが、単にその中にあるという意味ではなく、特別な存在として置かれました。 第12問で学ぶことはこの事です。 人間について神の特別な摂理、私たちがまず最初に関心を持ちたいのは、神が人に対して特別な摂理をもっておられるということです。 ②「完全な従順」とは 従順を要求される理由はなんでしょうか。神は目的をもって被造物を創造し、特に人を特別な存在としてつくられました。 そしてつくれた人と特別の契約をむすばれたわけです。 この特別の契約が完全な従順を要求するわけですが、従順することは被造物である私たちにとって良いことです。 善であり祝福の根源であられる神に従順することは人にとって祝福となります。 反抗や独立や主観が人にとっての祝福ではありません。 人が神に従順すること、これは神にとっての栄光であることはもちろんですが、私たちにとっても祝福となります。 神は絶対的な善であり、道徳であり完全であられるので、その神に完全に従順すればするほど祝福となるのです。 また、神が望んでおられる従順は愛です。怖くて仕方なしに従順するのではなく、愛の対象として従う美しい従順です。 私たちの神が望んでおられることは私たち人とお互いを愛することです。 それで神はまず御自身が愛の手本を見せられて、その愛に私たちが感動して従順することを望まれたのです。 神が私を愛してくださっている。だからわたしも神を愛したいと思えるように。 神は私たちにとても素晴らしい贈り物をくださいました。 言葉では表現できないこの贈り物。これこそが特別の聖定であり、特別の摂理です。 ③「善悪を知る木の実」 神は人の従順のしるしとして善悪を知る木をエデンの園におかれました。 ここで生じる誤解としてあげられるものは、善悪を知る木という名前がついているものだから、まるで人が知ってはいけないパンドラの箱でもあけたように考えることです。 「人間が善と悪を判断できてはいけないから食べるなと言ったのではないか。」 「神は本当は悪いのではないか。」等がそれと関連する考え方です。 しかし善悪を知る木は人が神の言葉に従順するかどうかを試すための材料にすぎません。 善悪を知る木の実を食べないということでもって、神の言葉の通りに従順しますという信仰告白になるということです。 神は私たちを「完全に従順」する水準の存在としてつくろうとされました。ポイントはここにあります。 Q どうして神は善悪を知る木の実を植えたのでしょうか? 神とアダムの関係がどのようなものなのかを教えるためです。 神が王であり人はしもべであること、神が創造主であり、人は被造物であること、神が絶対的主権をもっていることを教えるためです。 私たちが生きることのできる方法は神が決められます。 神は最初の人アダムに従順することができる自由と能力を与えていました。 善悪を知る木の実を植えなかったらこんな風にならなかったという人がいますが、それは人をロボットのようにしてしまうことです。 善悪を知る木の実をつくり、命の契約(行いの契約)をしたということは、ロボットではない存在として人をつくったことを意味します。 人に人格を与えて尊重し、自由意思を与えることと、善悪を知る木の実を作らないことは両立しないことです。…