第13問 アダムの堕落

第13問 アダムの堕落 問: 私たちの最初の先祖たちは、創造された状態で続きましたか。 答: 自分の意志の自由に任されていた私たちの最初の先祖たちは、神に罪を犯すことによって、創造された状態から堕落しました。 第12問では命の契約について学びました。 そこには「人を創造された時、神は人に、完全な服従を条件として命を契約されました。しかし、善悪を知る木の実を食べることは、死を制裁として禁じられました。」とありましたが、人はこの契約を破ってしまいます。 善悪を知る木の実を食べることにはどのような意味があるのでしょうか。 神に自分をつくってもらったことに対する感謝や、この世の被造物を治めるようにしてくださった事実、全知全能の創造主が私たち人間に声をかけてくださり愛してくださっているという事実を忘れてしまったことを意味します。 そして人は堕落してしまいました。堕落とは死んだということです。 アダムとエバは肉体的にすぐに死んだわけではないのに、どうしてこの時死んだといえるのかという疑問もあるかもしれません。 たしかにアダムたちはこの後、畑を耕し子どもも与えられて900年以上いきました。 しかしここでいう死とは神との関係が断絶したことを意味します。 命とは神と共にいることであり、死とは神から離れることです。 私たちが堕落について学ぶ理由は、堕落というものが完全に人の非によってもたらされたものだということを知るためです。人には言い訳の余地がないことを知るためだとも言えます。人には逃げ場がなく、非常に深刻な状態にありました。希望がなく、一点の光もない状態にありました。 それを知れば知るほど、私たちはイエスキリストの犠牲の意味を深く理解できます。 明るい場所でライトをつけても目立ちませんが、暗い夜にライトをつければ、光がより強調されて良く見えます。 以前教会の前の電灯がきれたことがありました。電灯がきれている間、教会の前の道路はとても暗かったですが、暗いからこそ、その分教会の中の灯りがいつもよりはっきり見えました。 これと同じように、自分の罪の暗さを知ることは、キリストの犠牲による救いという光をよりはっきりと見えるようにしてくれます。 神は罪の中で身動き一つとれない私たちのもとに来てくださいました。 完全な暗闇の中の光としてこられました。 “実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。” ローマ人への手紙 5章6節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 「弱かったころ」は神との関係が断絶された状態のこと、罪の状態のことです。 そして「不敬虔」という言葉も神との関係が悪いことを意味します。 また「定められたとき」とは主がこの世にこられ十字架で死なれたときのことです。 「自分がアダムだったら善悪の知識の実を食べなかった」とか、「アダムが自分の奥さんの管理を失敗したせいだ」とか、「自分だったらもっとちゃんとできたはずだ」という考えを聞いたことがあるかもしれません。 しかしアダムという最初の人は神の似姿につくられた存在です。堕落以前のアダムは現代の人類では到底届かない存在だということです。つまり彼ができないなら私たちにもできないということです。 堕落について知ることは、キリスト者にとって有益です。 なぜなら堕落を知ることによって救いの必要性がわかるからです。それは私たちが本来どれだけ大変な状態だったかを教えてくれます。そしてそんな私たちをあわれみ一人子イエスキリストを送られた神の愛を知ることへと導かれていきます。

第12問 命の契約

第12問 命の契約 問: 神は、創造された状態の人に、どのような特別の摂理の行為をとられましたか。 答: 人を創造された時、神は人と、完全な従順を条件として命を契約されました。しかし、善悪を知る木の実を食べることは、死を制裁として禁じられました。 第12問からは小教理問答が新しい主題へと入っていきます。 第11問まではマクロ的な主題を扱ってきましたが、ここからは人に焦点を当てたお話になります。 問いにある「特別の摂理」とは神が私たちと命の契約(行いの契約)を結ばれたことを意味します。 この契約の条件は人が神に完全に従順することでした。そして人が完全に従うか否かを知る手段として善悪の知識の木の実を食べることを禁じられました。 従うことが核心であり、善悪の知識の木の実を食べるか否かはそれを判断する指標でした。 この約束を守らなければ死の結果を招きます。 今私たちは神の聖定の〈実行〉について学んでいます。 聖定の実行を創造と摂理に分け、さらにこの摂理には特別の摂理があるということを小教理問答12問を通して学んでいきます。 ①「人と」 他の被造物とは違い神は人に永遠の命を約束されました。 従順の契約というと神が人に何か重荷を与えるかのように感じるかもしれませんが、神が人に永遠の命を約束されたというところにポイントがあります。 そしてその条件として何か特別なことをしろということでもありませんでした。 神に造られた者として当然の従順を神は要求されただけです。 動物を統治する権威を与えただけではなく、永遠の命までも約束されたということです。 これは人に自発的な従順を求めるものであり、人格的な関係を結ぼうとされたということです。 これがとても重要なポイントです。 被造物に対して創造主である神がこのように約束されることが、そもそも驚くべきことであり栄光です。 ちりでしかなかった人を、神は人格的に扱おうとしておられるということができます。 これまでに神の聖定を学んで来ました。 そしてその中に私たち人間の存在もあるといいましたが、単にその中にあるという意味ではなく、特別な存在として置かれました。 第12問で学ぶことはこの事です。 人間について神の特別な摂理、私たちがまず最初に関心を持ちたいのは、神が人に対して特別な摂理をもっておられるということです。 ②「完全な従順」とは 従順を要求される理由はなんでしょうか。神は目的をもって被造物を創造し、特に人を特別な存在としてつくられました。 そしてつくれた人と特別の契約をむすばれたわけです。 この特別の契約が完全な従順を要求するわけですが、従順することは被造物である私たちにとって良いことです。 善であり祝福の根源であられる神に従順することは人にとって祝福となります。 反抗や独立や主観が人にとっての祝福ではありません。 人が神に従順すること、これは神にとっての栄光であることはもちろんですが、私たちにとっても祝福となります。 神は絶対的な善であり、道徳であり完全であられるので、その神に完全に従順すればするほど祝福となるのです。 また、神が望んでおられる従順は愛です。怖くて仕方なしに従順するのではなく、愛の対象として従う美しい従順です。 私たちの神が望んでおられることは私たち人とお互いを愛することです。 それで神はまず御自身が愛の手本を見せられて、その愛に私たちが感動して従順することを望まれたのです。 神が私を愛してくださっている。だからわたしも神を愛したいと思えるように。 神は私たちにとても素晴らしい贈り物をくださいました。 言葉では表現できないこの贈り物。これこそが特別の聖定であり、特別の摂理です。 ③「善悪を知る木の実」 神は人の従順のしるしとして善悪を知る木をエデンの園におかれました。 ここで生じる誤解としてあげられるものは、善悪を知る木という名前がついているものだから、まるで人が知ってはいけないパンドラの箱でもあけたように考えることです。 「人間が善と悪を判断できてはいけないから食べるなと言ったのではないか。」 「神は本当は悪いのではないか。」等がそれと関連する考え方です。 しかし善悪を知る木は人が神の言葉に従順するかどうかを試すための材料にすぎません。 善悪を知る木の実を食べないということでもって、神の言葉の通りに従順しますという信仰告白になるということです。 神は私たちを「完全に従順」する水準の存在としてつくろうとされました。ポイントはここにあります。 Q どうして神は善悪を知る木の実を植えたのでしょうか? 神とアダムの関係がどのようなものなのかを教えるためです。 神が王であり人はしもべであること、神が創造主であり、人は被造物であること、神が絶対的主権をもっていることを教えるためです。 私たちが生きることのできる方法は神が決められます。 神は最初の人アダムに従順することができる自由と能力を与えていました。 善悪を知る木の実を植えなかったらこんな風にならなかったという人がいますが、それは人をロボットのようにしてしまうことです。 善悪を知る木の実をつくり、命の契約(行いの契約)をしたということは、ロボットではない存在として人をつくったことを意味します。 人に人格を与えて尊重し、自由意思を与えることと、善悪を知る木の実を作らないことは両立しないことです。…