キリストの心で一致し主に従う教会

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き13章1~3節 タイトル:キリストの心で一致し主に従う教会 今日は教会の一致と従順について共に考えてみたいと思います。 教会が一致する秘訣は何でしょうか。 また主に従うとはどういうことなのでしょうか。 今日の聖書に登場するアンテオケ教会やピリピの教会にならっていこうと思います。 今日の聖書である使徒の働き13章は大きな転換点とよべる章です。 ここまではエルサレム教会を中心として福音宣教がなされてきました。 使徒の働き1章8節でイエスさまがこう言われました。 “しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」” エルサレム教会はこの働きの中心的役割を担ってきたのです。 それによりエルサレム、ユダヤ全土、そしてサマリヤにまで福音が伝えられて行きました。 しかしここから福音宣教の中心地はエルサレムからアンテオケへとうつり、中心人物もペテロからパウロへとうつります。 これはユダヤ人中心だった働きがいよいよ本格的に異邦人へと向けられていくことを示しています。 当時アンテオケという町はローマ、アレキサンドリアに次ぐ第三の都市でした。 エルサレムとは比較にならない大都会です。 ローマ全土から集まった様々な人々がそこで暮らしていました。 こういった場所は陸路も航路も発達していきます。 まさに世界宣教にはうってつけの場所でした。 ではそんなアンテオケ教会はどんな教会だったのでしょうか。 1節を見ますと、彼らのリーダーだった人たちの名前が書かれています。 “さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。” 使徒の働き 13章1節 わたしたちのよく知るバルナバが最初に記され、最後にサウロの名前が書かれています。 彼らのことはわたしたちは何度も見てきました。 彼らによってアンテオケ教会は安定し大きく成長しました。 彼らこそこの教会のリーダーだったと言えるでしょう。 現代に置き換えるなら主任牧師です。 しかしその間に記されている3人のことはよく知りません。 いったいこの人たちはどういう人たちだったのでしょうか。 ここからアンテオケ教会がどういう教会だったのかがわかります。 まずニゲルと呼ばれるシメオンについてです。 ニゲルとはラテン語由来のギリシャ語で「黒い」という意味があります。 つまりシメオンは黒人だったということでしょう。 当時ローマ帝国の領土は北アフリカにまで及んでいましたので、この地域出身の人だったと想像できます。 アンテオケ教会にはシメオンのほかにもアフリカ出身の人々が多く集っていたのではないでしょうか。 次に登場するクレネ人ルキオですが、クレネもアフリカの北の端で地中海に面した町のことです。 そこの出身者のルキオという人もリーダーの一人だったようです。 さらにマナエンに注目しますと、 この人はなんとあのヘロデの乳兄弟であったと書かれています。 ただしこのヘロデは前回出てきたヘロデアグリッパではなく、ヘロデアンティパスという人のことです。彼はバプテスマのヨハネを殺し、イエスさまを裁判にかけた人でした。 おそらくマナエンの母親がヘロデの乳母として仕えていたということではないかと思います。 マナエンとヘロデは同じ乳を飲んでそだちました。 ギリシャ語聖書では同じ教育を受けたという意味になるディダスカロスという言葉が使われています。 彼らは同じ乳を飲み、同じ教育を受けて育ちました。 しかしそれにも関わらず、一人はイエスキリストを裁判にかけるものとなり、一人はイエスキリストの十字架の死と復活を信じ受け取ってクリスチャンとなり教会のリーダー格にまで成長していました。 一方は神と敵対し一方は神と共に歩む人となりました。 アンテオケ教会のリーダーたちは肌の色も出身地もおそらく受けてきた教育も全くバラバラの人たちでした。 これを見ただけでもアンテオケ教会には非常に多様な人が集まっていたことがうかがえます。 そんなアンテオケ教会を通してこれから世界へ向けて福音が伝えられていくのです。 彼らには以前のエルサレム教会にあったような固定観念や偏見はありません。 ただ一つの心を持って福音を伝えることだけに邁進する人たちでした。 ピリピ人への手紙にこの一つの心について詳しく記されています。 “しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。…

本当に求めているもの

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き12章18~24節 タイトル:本当に求めているもの 人は何をもって成功というのでしょうか。 みなさんの成功のイメージはどんなものですか。 お金を手に入れれば成功でしょうか。 地位があれば成功でしょうか。 これらのものを手に入れると人は自分の思いのままに生きることができるようになります。 しかし人は本当にお金や地位を求めて生きているのでしょうか。 これらのものを求めて手にいれた人生を生きたら成功したと思えるのでしょうか。 <ヘロデ王> ここに地位もお金も手に入れた人がいました。 彼はヘロデ大王と呼ばれた残虐な王の孫でした。 彼自身も王様になり地位もお金も手に入れました。 しかし彼の行動を見ているとまだ何かを欲しているようです。 彼は自分の領地内のある勢力に注目しました。 それはユダヤの宗教家たちでした。 彼らは宗教家ですが、国民への強い影響力をもった集団でした。 彼らの心をつかめば領地内の指示はさらに強くなりヘロデの政治体制は確固たるものになるでしょう。 そこで彼らの心を掴むためにこの宗教家たちが嫌っていたキリスト教徒たちに目をつけます。 そしてキリスト教徒のリーダー格であったヤコブという人を捕らえ剣で殺しました。 するとユダヤ人たちの気に入ったようです。 それならとヘロデはさらにペテロを捕まえて牢屋に閉じ込めてしまいました。 ユダヤの祭りが終わったら引き出して処刑するためでした。 ここまでは彼の予定通りでした。 しかしいよいよ処刑の日がやってきた時、捕まえたはずのペテロはいなくなっていました。 兵士を4人1組にして、それを4組も準備し交代で見張らせていたにもかかわらず、逃げられてしまったのです。 ヘロデは兵士たちを取り調べました。 兵士たちはいつの間にかいなくなったと答えたでしょう。 当然です。 ペテロは自分の力で逃げたのではなく、神から御使いが送られてその御使いに導かれて逃げたからです。 兵士たちはその事実を知ることができません。 彼らからすると本当にわけがわからない状況でした。 いつの間にかいなくなっていたと答えるしかありませんでした。 それを聞いたヘロデはどのように思ったでしょうか。 キリスト教徒たちとグルになってペテロを逃がしたと思ったことでしょう。 ペテロを捕まえて牢獄にいれる時ヘロデは国民に大々的にアナウンスしていたはずです。 今度はペテロを殺すと息巻いていたはずです。 それなのに処刑直前に肝心のペテロに逃げられてしまったのです。 これはヘロデにとって大きな失敗であり恥でした。 現代でも失敗をしたら誰かが責任を取るものです。 ニュースでも誰々が辞めさせられたなんて話はよく聞きます。 失敗したら誰かが責任を取らなくてはいけません。 当時は囚人に逃げられた場合、逃がしてしまった番兵が逃げた囚人が受けるはずだった刑を代わりに受けなくてはいけませんでした。 ヘロデは兵士たちを処刑して責任を取らせました。 そして自分はというとさっさとユダヤ地域から離れるわけです。 失敗した場所、恥をかいた場所には長くとどまりたくないものです。 こうしてヘロデは今度はカイザリヤに行きそこに滞在しました。 <ヘロデとツロとシドンの人々> “さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。” 使徒の働き 12章20節 ここでツロとシドンの人々が登場します。 彼らはヘロデに嫌われていたようです。 何があったかは定かではありませんが、ヘロデは彼らに敵意を抱いていました。 ツロとシドンの人々にとってこれは非常にまずいことでした。…

わたしの思いよりも神の御心を

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き12章1~17節 タイトル:わたしの思いよりも神の御心を   先週は使徒の働き11章の後半部分を見ました。 そこには異邦人教会のアンテオケ教会が誕生したことと、そのアンテオケ教会がユダヤにある教会を支援した姿が描かれていました。 ユダヤはこの頃大変な飢饉に見舞われていたようですが、そこにまだ生まれたばかりのアンテオケ教会から支援が届けられました。 ユダヤの教会の人々は大変喜んだと思います。 イエスキリストにある一致というものを彼らは実感したはずです。   しかしこの恵みあふれる様子とは対照的に12章ではとても大変な出来事が起こりました。 それが今日共にみる内容です。    <ヘロデの攻撃>  “そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。”  使徒の働き 12章1~2節   最初、イエスの弟子達を迫害していたのは、ユダヤ教徒たちでした。 しかしそれでも教会は勢いを弱めるどころかどんどん大きくなっていきました。 そしてユダヤ人だけではなくギリシャ人にも福音が伝わりアンテオケやカイザリヤで異邦人を中心とした教会が誕生し、いくつもの教会が共に立ち上がり一つとなって福音を宣教する体制が出来上がっていきました。   ところがその様子を見ていたヘロデが動き出します。 正確にはヘロデ・アグリッパ1世といって、イエス様が生まれた時にその地方の2歳以下の赤子を殺したヘロ デ大王の孫にあたる人です。 彼が動いたのは、ユダヤの人々の心をつかむためです。 アグリッパは人の心を掴むことが巧みな人物で、あのパリサイ派からも慕われていたと言います。   アグリッパにはこんな逸話があります。 「アグリッパ王が立って律法の巻物を受け取り立ったまま読んだので、博士達はこのゆえに彼をほめた。彼が申命記に記されている「同胞でない外国人をあなたの上にたててはならない」というところまで進んだ時、その目は涙を流したが、彼らはアグリッパに呼びかけた「あなたはわれらの同胞です。あなたはわれらの同胞です。あなたはわれらの同胞です。」と‥。」   このようにアグリッパは人の心を掴むことに長けた人だったようです。 おそらくその一貫でユダヤ教徒たちが嫌っているキリスト教徒を攻撃したのでしょう。 こうして教会は宗教指導者たちから攻撃を受けると同時に政治的な力からも攻撃されるようになりました。   そしてヤコブが殺されてしまいます。 このヤコブはゼベダイの息子ヤコブです。 イエス様に連れられていつもペテロとヨハネと共にいたヤコブです。 間違いなく教会の中心人物であったことでしょう。 飢饉で苦しい状況の中アンテオケ教会から支援が届き心温まる瞬間を迎えていたエルサレム教会でしたが、一気に心が凍りつくような出来事が起きたのです。 しかしこれで迫害の手が止まったわけではありません。 ヘロデはヤコブを殺したことがユダヤ人たちの気に入ったのを見て、ペテロをも捕まえます。   <ヘロデの武力と教会の力>  “それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。”  使徒の働き 12章3節 “ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。”  使徒の働き 12章4節   この日は種なしパンの祝いの時期でした。 この祭りは過越しの祭りの次の日から始まるお祭りで、過越しの祭り同様エジプトでの奴隷生活からの解放を祝う重要なものです。 もともと過ぎ越しの祭りが1日で、その後続けて7日間種無しパンの祭りがありましたが、のちにこの二つを合わせて過ぎ越しの祭りといったり種なしパンの祝いとも呼ぶようになりました。   この期間にヘロデはペテロを捕らえました。すぐに殺さなかったのは祭りの期間はユダヤ人たちが処刑を禁止していたからです ヘロデはペテロを絶対に逃がすまいとして兵士4人を一組にして、それを4組準備し見張らせました。 こうして合計16人が交代で夜通し見張れるようにしました。 さらに外に出るには2つの衛所を通り、鉄の門を通過しなくてはいけません。…

わたしたちはクリスチャンです

2019年9月8日主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き11章19~30節 タイトル:わたしたちはクリスチャンです みなさんは最近「クリスチャン」という言葉や「キリスト者」という言葉をいつ使いましたか。 これらの言葉は何気なく普段使っているものだと思いますが、一体どのようにして生まれたのでしょうか。 私たちがクリスチャンとして、キリスト者として生きる上で、このことを知っておくのは良いことだと思います。 今日はクリスチャンあるいはキリスト者と呼ばれるようになった弟子たちの姿からこの言葉の意味を探りたいと思います。 <アンテオケに散らされた弟子たち> 先週までペテロとコルネリオの出会い、そしてそれに対するエルサレム教会の反応を見てきましたが、この11章19節から場面が大きく変わります。 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。」(11章19節) ここから始まるお話のヒントになる言葉が8章4節にあります。 そこには11章19節とよく似た言葉が記されています。 「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」(8章4節) この御言葉の後、迫害によって散らされた者たちの一人であるピリポのサマリヤへの宣教が記されていました。 そして今日見ます箇所ではサマリヤではなく違う地方にまで散らされた人々がそこでどういう働きをしたのかについて記されています。 ですから流れとしては8章4節に続く流れだと言えます。 サウロを中心とする人々の迫害から逃げるためにある人はピリポのように比較的エルサレムから近い地方に逃げましたが、ある人はアンテオケのように遠い地方へと逃げる人もいたようです。 迫害でアンテオケ、フェニキア、キプロスに散らされた人々も異邦人に福音を語ることなくユダヤ人にのみ語りました。 この時点での彼らもまだペテロの話を聞く前のエルサレム教会のように異邦人に福音を語ることを敬遠していました。 しかし20節を見ますと、一気に状況を変える働きをする人たちが現れます。 “ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。” 使徒の働き 11章20節 キプロス人とクレネ人と書かれているので、異邦人のように思われるかもしれませんが、この人たちもキプロスとクレネ地方出身のユダヤ人であるとご理解くだされば良いと思います。 彼らはヘブライ語よりもギリシャ語を使ってコミュニケーションをとった人たちでした。 だから同じくギリシャ語を使うギリシャ人たちとも問題なくコミュニケーションがとれましたし、何より彼らは幼い頃よりギリシャ人たちと多く接することができるキプロスやクレネで暮らしていました。 そういう人たちにとってギリシャ人は非常に身近であり、エルサレムで生まれ育ったユダヤ人に比べると抵抗感が少なかったのかもしれません。 よく知った雰囲気、文化に身をおく彼らはエルサレム出身者に比べてたくましく見えたに違いありません。 異邦人文化に精通し言葉も巧みな彼らの振る舞いは自然なものであったはずです。 そういう人々の言葉を現地の人々も聞こうとするのではないでしょうか。 もちろんエルサレム出身者にも彼らにしかできない仕事があったでしょう。 まだ異邦人に対する偏見が残るユダヤ人へはギリシャ語を使うユダヤ人よりもエルサレム出身者がヘブライ語で語る方が良いはずです。 それぞれに良さがあり弱さがあります。 このような多様性を持ってキリストの元に集められた者たちを通して宣教は進められました。 人を通して神は働かれ新しい人が起こされていきます。 しかし聖書は誰かの努力でそうなったとは語りません。 ここでも主の御手が共にあったのでおおぜいの人が主に立ちかえったと語っています。 ただ主の御力でもって彼らは伝道しそれによって救われた人たちが大勢いたと聖書は伝えています。 “そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。” 使徒の働き 11章21節 主の御手が共にあるという表現は、旧約の時代から多く見られました。 “見よ、主の手が、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に重い疫病が起こる。” 出エジプト記 9章3節 “さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。” サムエル記第一 5章6節 “カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。” エゼキエル書 1章3節 主の敵に対して御手が臨む時は、敵は打ち倒され、主の民に対して臨む時は、力を与えられました。 主の御手とは主の力を象徴する表現です。 アンテオケで福音を伝えた人々を突き動かしていたのはこの主の御手でありました。 主の御手、すなわち主の力によって彼らは自分たちの特徴を存分にいかし福音を大胆に語ったのです。 するとこの知らせが遠くエルサレムにまで及びます。 <バルナバを派遣するエルサレム教会> “この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。 “彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。”…

固定観念の柵を壊して

主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き11章1~18節 タイトル:固定観念の柵を壊して わたしたちはある種の柵のようなもので自分自身を囲い、他の人々を囲って生きています。 その柵は「こうあるべき」とか「普通はこうだ」という固定観念で出来ています。 そしてその柵から自分自身が出ることを嫌ったり恐れたりします。 なぜなら本人にとってそれが常識であり理解できる範疇だからです。 またほかの人々を、その柵で囲い「あなたはこうあるべき」とか「普通はこう考えるはずだ」という自分の考えを押し付け、そこから相手が出ることを嫌います。 <柵の外に出たペテロ> コルネリオとペテロの出会いを共に見ていますが、彼らも自分自身を柵で囲っていた人たちでした。 しかし神様にそれを壊されて以前の柵の外に出て二人は出会い、コルネリオは福音を受け取りました。 コルネリオとペテロの出会いは、それぞれの常識を超えていった出会いと言えるでしょう。 ペテロはユダヤ人です。 彼にとって異邦人の家に行くことや共に食事をすることなどありえないことでした。 律法できよい動物と汚れた動物の区別が定められていたので、その区別のない異邦人が作った料理を食べることは律法をおかす危険があることでした。 そんなユダヤ人にとって異邦人が福音を受け取って救われることなど受け入れがたいことでした。 しかしペテロは神様から与えられた幻に促されて異邦人であるコルネリオのもとに行くことになるのです。 そして行ってみると自分が見た幻と対になる言葉を御使いから与えられたコルネリオがいました。 こうしてペテロは異邦人にも福音を伝えたのです。 ペテロが福音を語ると彼らに聖霊がくだり異言で語り出し賛美をしました。 これを見てペテロは異邦人にも聖霊がくだり救いがもたらされることを受け入れました。 彼が完全に自分の常識の柵の外へと出た瞬間でした。 <いまだ柵の中にいるクリスチャンたち> これに対して今日の聖書で登場したエルサレムのクリスチャンたちは依然として自分たちの柵の中にいます。 彼らからすると、なぜあんなところにペテロはいるのかと思ったでしょう。 彼らにはペテロが異様に見えたのです。 本来いるべき場所にいない人。 仲間だったはずなのに仲間ではないかのように行動する人。 異分子のように見えたはずです。 彼らは11章2節でペテロを非難したと記されています。 “さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。 そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、” 使徒の働き 11章1~2節 この非難という言葉は単なる叱責とか注意とかとは違い非常に厳しい言葉です。 ギリシャ語では「ディアクリオウ」といって、区別するとか分離するという意味がある言葉です。 さらにここでは自分に向けられる形で書かれていますので、自分たちを相手から区別するとか分離するという意味です。 ペテロ。あなたがしたことは私たちの側からは全く理解できないことだ。 あなたはわたしたちとは違う。 こういうニュアンスがある言葉です。 かなり強烈な言葉だと言えます。 コルネリオへの伝道は福音宣教が異邦人にまで広がった大きな出来事であり、クリスチャンとして喜ぶべきことであったと私たちは知っています。 しかし当時の人々はまだ理解できていませんでした。 ここから当時のエルサレム教会は福音の拡大の障害になっていたと言えます。 福音の拡大の障害と聞くと教会の外の出来事を想像すると思います。 ノンクリスチャンからの迫害をイメージするでしょう。 しかし福音の拡大の障害になっていたのは、皮肉なことにすでにイエスキリストを信じている人々でした。しかも福音の拡大を望んでいた人々でした。 そんな彼らが福音宣教の妨げになっているという事実を私たちはこの聖書を通して直視させられます。 現代の私たちにとってはユダヤ人なのか異邦人なのかは関係ありません。人種や国籍で差別することもないでしょう。 しかし先ほどから申し上げているように自分で作り上げた柵の外にいる人に対して私たちは寛容でいられません。 そしてそれこそ福音宣教の妨げになっているのです。 この箇所はそんな問題意識を私たちに与えてくれるところです。 <相手に理解を示し説明するペテロ> では続いてペテロのこの時の思いに目を向けて見たいと思います。 ペテロは教会から非難された時どんな思いになったでしょうか。 ペテロにとってコルネリオたちが聖霊を受けてイエス様を信じ生きるようになったことはとても嬉しいことだったはずです。…