主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:使徒の働き19章23〜41節 タイトル:キリストの栄光と神々の威光 パウロがエペソに戻ってきて福音宣教を再開し、それが2年もの間続きました。 アジアに住む人たちは皆福音を聞いたと聖書に記されているほどに多くの人々がパウロからイエスキリストのことを聞きました。 この地域での宣教は大いに成功したと言って良いと思います。 しかしこのように救われる人たちがたくさん起こされると、その反対勢力も起こってくることがあります。 1 お話の流れ 今日最初に登場したのはデメテリオという人でした。 この人は銀細工人です。 "それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、" 使徒の働き 19章24節 こちらに記されているように、この人は銀でアルテミス神殿の模型を作っていました。そして職人たちにかなりの収入を得させていたというわけです。 アルテミス神殿で崇められていたアルテミスという女神は、エペソの町の守護神、および肥沃な土地の象徴でした。 毎年3月から4月には、参拝者や観光客がエペソの町を訪れて富をもたらしていました。 アルテミス神殿の模型もこれらの人々に売られていたものです。 しかしキリスト教が伝えられたことによって、このアルテミス神殿の模型の売り上げが下がったようです。 それが26節を見ると分かります。 "ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。" 使徒の働き 19章26節 パウロが手で作ったものは神ではないとはっきり伝えていたのでアルテミス神殿への参拝客が減り、またその模型の売れ行きも下がったということなのでしょう。 彼らの思いの中心にあるのは、キリスト教のせいで、パウロのせいで、私たちの収入が減り生活がおびやかされている。早く追い出さないといけないということでした。 しかし実際にデメテリオが言った言葉はそれだけではありません。 どのような言葉を言っているでしょうか。 "これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」" 使徒の働き 19章27節 ここでデメテリオは三つのことを言っています。 一つ目は、自分たちの仕事の信用が失われるということ。 二つ目は、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなるということ。 三つ目は、全アジア、全世界の拝むこの大女神の威光も地に落ちてしまうということ。 この三つでした。 ただ彼の思いの中心は一つ目にあります。 自分の商売が成り立たなくなることです。 しかし2つ目と3つ目も付け加えて語る必要が彼にはありました。 なぜなら自分たちの仕事のことだけを言えば、その仕事に関係している人たちの賛同しか得ることができないからです。 そこでエペソの町のアルテミスという女神がないがしろにされていると言うことによって、より多くの人々の指示を取り付けようとしたのです。 そしてこの方策はまんまと成功しました。 "そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び始めた。 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。" 使徒の働き 19章28~29節 デメテリオの言葉を聞いて、まず職人や同業者たちがこのように叫び始めました。 するとこの騒ぎはさらに大きく広がり始め町中が大騒ぎになってしまいます。 デメテリオ、職人たち、同業者たち、と増えていき、さらにその周囲の人々を巻き込む渦があっという間に町中に広がってしまったのです。 この間にパウロの同行者であったガイオとアリスタルコがその渦に巻き込まれて捕らえられてしまいました。 そしてそのまま劇場へとなだれ込んでいったのです。 パウロはこれに巻き込まれずに済んだのですが、それでも自分の同行者が危険だと言うことを知ると、その劇場へなんとか入って行こうとしました。 "パウロは、その集団の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。 アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。" 使徒の働き 19章30~31節 なんとか入って行こうとしたパウロでしたが、弟子たちがそれを留めました。 そしてパウロの友人でもあったアジア州の高官が使いを送って劇場に入らないように頼んだのです。 この場面でパウロは何もできない状況に追いやられていました。 せっかくエペソでの伝道が成功したと思ったら、思いがけず大変な暴動が起きてしまい、その中に同行者が二人も巻き込まれ命の危機に瀕してしまったのです。 どれだけの人たちが集まっていたのかは分かりませんが、大変な混乱だったようです。 32節には、「集会は混乱状態に陥り、大多数のものがなぜ集まったのかさえ知らなかった」とあります。 ガイオとアリスタルコは非常に危険な状況に陥っていました。 この状況下でまず登場したのがアレキサンデルという人でした。 彼はユダヤ人でした。33節の最後に会衆に弁明しようとしたとあります。 キリスト教伝道はパウロがしたことですが、アレキサンデルはパウロと同じユダヤ人でしたので、自分たちはパウロたちとは違うということを言いたかったのかもしれません。 しかしアレキサンデルがユダヤ人だとわかると、人々は一斉に声を上げて「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び続けました。 しかも2時間という長時間にわたってです。 こうしてようやく町の書記役が登場します。 この人は公文書を作成したり、議会の書記役で非常に強い権限を持っている公務員でした。 事態がこれ以上悪化しないようにするため、この強い権力でもって民衆を沈めようとして言いました。 "町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。 これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。 皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。 それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。 もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。 きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」" 使徒の働き 19章35~40節 書記役が言ったことは何でしょうか。 要は法律を守りなさいということです。 そして「法律を守らないと罪に問われるのはあなたたちですよ。」ということでした。 これを聞いた人々は書記役の言う通りに解散することになります。 これが今日のお話の大体の流れです。 2 さてここからいくつか考えていきましょう。 ① まず一つ目、今日のお話の導入で、救われる人がたくさん起こされたりして神の御業が大きく表される時に、反対勢力も起こってくることがあるとお話ししました。 その通り、今回のお話ではパウロの福音宣教の反対勢力として、デメテリオが立ち上がりました。 彼は人々を扇動し、パウロの仲間二人が危険に晒されてしまいました。 この出来事は最終的に解決を見るわけですが、パウロはこのことに関して何かできたでしょうか。 パウロの思いとしては、自分が劇場に入って行き人々を説得したかったのだと思います。だからこそあの暴徒と化した人々がいる劇場に入ろうとしたのです。しかしそれを弟子たちや州の議会の使いに留められたから入れなかったのです。この騒ぎの鎮圧に関してパウロは何もできませんでした。 私たちにもこういうことがあるのではないでしょうか。 信仰生活をする中でそれに反対する出来事が起こってくる。 そしてそれに対抗する術を私は持っていないということです。 しかしそこで落胆しなくて良いのです。 今日のお話でも神はパウロやその同行者たちを見捨てず救われました。 町の書記役を用いて彼らの命を助けたのです。 おそらく書記役の言葉から判断すると彼自身はクリスチャンではありません。 ただ自分が与えられている職務を全うしたのみです。 しかし神はこの世界の権力すらも用いて神の民を守られ、神の国の拡大をおし進めていかれるのです。 この時のパウロのように私たちは手も足も出ないということを経験するかもしれません。 しかしその事態の打開を私たちができなかったとしても神は必ず助けてくださるという信仰を私たちは持つことができるのです。 そのような信仰を持つようにと招かれているのです。 神の御手がこの世界をつくりました。 今もこの世界は神の御手に包まれています。 神は私たちを絶対に見捨てず守られる方です。 どうぞまずこのことを心に留めてください。 ②しかしこの私たちの信仰とは対照的なエペソ人たちの信仰がこのお話には表れています。 それがポイントの二つ目です。 最後に登場した書記役の言葉にもう一度注目してください。 彼は35節でこう言っています。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。」 アルテミス神殿にはアルテミスのご神体と呼ばれるものがあったようです。 いわゆる信仰の対象となるものです。 そしてこの時代ご神体とされていたものとしてよくあげられるのが、隕石です。 天から下ったと書かれていますが、空から落ちてきた隕石を神として崇めていたのです。 それがアルテミスの神殿にはありました。 ところで先ほどの書記役の言葉をよく見てみてください。 アルテミスやそのご神体が町を守ると書かれていますか。 それとも町がアルテミスを守ると書かれているでしょうか。 町が守ると書いているのです。 人間が神を守るという構図になっているのです。 私たちクリスチャンは、神が私たちを守ってくださると信じています。 しかしエペソ人たちはまず自分たちがアルテミスを守るという考えなのです。 どうして守るのでしょうか。 それによってご利益を得るためです。 アルテミスは町の守護神であり、肥沃な土地の象徴だったので、結局のところ「神殿大事にするからこっちも守ってよ。」という信仰なのです。 取引の信仰です。 人を作られた創造主なのか、それとも人が勝手に自分の都合で自分勝手に作り上げた神なのか。 この差が明確に表れているところです。 パウロはこの人間が勝手に作り上げた人間中心の信仰を否定したのです。 そんなのは本当の神様ではない。偽物だと言ったのです。 私たちの神様、この世界を造られたお方は、人間に守られなければいけないような方ではありません。 神の方が私たちを守ってくださるのです。 私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、私たちに対するご自身の愛を明らかにしてくださった(ローマ5:8)方です。 神には足りないものなどありません。 しかしそれにも関わらず、私たちを愛し私たちと共に生きようとされる憐み豊かな方です。 ③最後にもう一点一緒に考えてみてください。 "これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」" 使徒の働き 19章27節 これは銀細工人デメテリオが人々を扇動するために言った言葉です。 最後の部分に注目してください。 ここには大女神の威光も地に落ちてしまいそうだと書かれています。 なぜ威光が落ちるのでしょうか。 アルテミス神殿の銀細工を買う人がどんどん減っているからです。 神殿を訪れる人が減っているからです。 しかしそんなことで神の威光が地に落ちるのでしょうか。 彼らが言う神の威光とは一体何なのでしょうか。 それは神殿が賑わっていることであり、商売がうまくいっている事であり、また人々の注目を集める事です。 ある先生が地元の駅の裏手にある大仏のお話をしてくれたことがあります。 その大仏は比較的新しいもので、できた当初はたくさんの人が訪れていたそうです。 しかし時間が経つにつれ、やってくる人の数が減っていき、今ではヘリコプターが飛ぶのに邪魔だとすら言われるようになってしまったそうです。 エペソの人たちが言う威光が落ちるということはこういうことなのかもしれません。 しかし本当に威光を持っている本当の神様なら周囲に人がいなくなろうとその威光は失われることはないのではないですか。 イエスキリストを思い出してみてください。 神であられる方が、この世に降ってこられたのです。失墜したのではありません。自ら降ってこられたのです。 しかもこの世界の最も低いところに降ってこられました。 馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされ、最後は無実の罪で捕まり、尋問され鞭打たれ人々に嘲られ、唾を吐きかけられ、ありとあらゆる辱めを受け、当時最もひどい死刑方法であったあの十字架で殺されました。 ではこれでキリストのご威光は失われたでしょうか。 キリストの栄光を守ろうとした人など当時誰一人としていなかったのです。 むしろそれをむしり取ろうとしたのです。 しかし彼は三日目によみがえられました。 そして復活のお姿で弟子たちに表れ天に昇り聖霊を送られ、聖霊のバプテスマを受けた弟子たちが世界中に福音の種を植えました。そしてその種が芽吹き、この極東の地、日本までキリストの福音は述べ伝えられているのです。 キリストは苦しめられ辱めを受けましたが、それを通してさらにその栄光は光り輝く結果となったのです。 真の神とはこの方のことです。 そしてこの原則は現在この世界で生かされている私たちクリスチャン一人一人に適用されるものです。 なぜなら私たちの内には聖霊がおられるからです。 イエスキリストがおられるからです。 だからこの世界の歩みの中でどれほど反対勢力が力をつけて神に抗おうとも、それは逆に神の栄光をひかり輝かせる結果になっていくのです。 私たちはその時その栄光の光を最も近い場所で目にすることでしょう。 どうぞこのことを信仰で受け入れてください。 今週も主イエスキリストと共に歩まれる皆さんでありますように。 主の御名で祝福してお祈りいたします。