毎日聖書を調べる
主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:使徒の働き17章10〜15節 タイトル: 毎日聖書を調べる 本日は久しぶりに使徒の働きを共に見ます。 前回どこまで進んだかといいますと、パウロ一行はテサロニケという町で宣教をしていました。 彼らは旧約聖書からイエスキリストの福音を説明し論証して教えました。 これにより幾人かはわかって信仰にはいりましたが、多くの人はこれに反発しパウロたちは大変激しい迫害を受けることとなりました。 おそらくこの町でキリストの弟子となったと思われるヤソンとほかの兄弟たちが捕まり保証金を払ってやっと解放されるような状況でした。 そこでテサロニケの兄弟たちはパウロとシラスを送り出します。 1 ベレヤでの宣教 “兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。” 使徒の働き 17章10節 祈りの中で行き先を示されて行ったというよりも、迫害が起こりその町の兄弟たちにも被害が及ぶという状況に押し出されるような形でベレヤへとやってきました。 テサロニケから西へ80キロのところにある町でした。 ここでもテサロニケの時と同様に旧約聖書の御言葉でもって宣教します。 するとこの町の人たちは非常に熱心に御言葉を聞き、毎日聖書を調べました。 “ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。” 使徒の働き 17章11節 「良い人たち」と記されていますが、素直な人たちとした方がよいところかもしれません。 新改訳聖書2017や口語訳聖書では素直な人たちとなっています。 しかし素直といっても、なんでも聞いて受け入れるという意味ではありません。 彼らはパウロから熱心に話を聞いて、その通りかどうか毎日聖書を調べていました。 最初から批判的な思いで聞くことも良くありませんが、全部鵜呑みにしてアーメンを連呼していてもいけません。 ここでいう素直さというのは、熱心に心を開いて聞くことと、その話が聖書とあっているかどうかを確認することの両方が備わっていることです。 こうしてベレヤの人々はイエスキリストのことを信じ受け入れました。(使徒の働き 17章12節) 2 苦難のマケドニア宣教 しかしこれで終わらないのが、パウロのマケドニア宣教です。 トロアスで一人のマケドニア人が「渡ってきて私たちを助けてください」と言っている幻を主の導きと信じてやってきたパウロでした。 しかしピリピでは鞭打たれて投獄され、テサロニケでも迫害にあい、今度はこのテサロニケの人たちが、わざわざベレヤまでやってきて騒ぎを起こすのです。 “ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。” 使徒の働き 17章13節 3 ベレヤからアテネへ “そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。” 使徒の働き 17章14~15節 ベレヤにシラスとテモテを残しパウロはアテネへと向かいました。 この時ベレヤから案内のために一緒にやってきた兄弟たちがいました。 ベレヤからアテネは約320キロあります。 だいたい大阪から広島までの距離です。 そんな距離をわざわざ一緒にやってきたのです。 そして到着するとシラスとテモテへの言付けをうけとって帰って行きました。 4 御言葉による宣教 テサロニケにおいても、ベレヤにおいても、パウロは一貫して聖書から語りました。 この聖書というのは旧約聖書のことですが、この旧約聖書に記されているメシアに関する言葉を引用し一つ一つ説明していったのだろうと思います。 結果テサロニケではあまり多くのクリスチャンは生まれませんでしたが、ベレヤでは多くのクリスチャンが生まれました。遠くアテネまでわざわざ案内してくれるほどのキリストの弟子となっていました。 今日特に注目したいのが、この御言葉によって宣教したというところです。 御言葉には命があります。力があります。 一見テサロニケの宣教は失敗してベレヤはまずまずだったように見えますが、そうではありません。 それが使徒の働きの続きを見ていくとわかります。 “プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、”…