主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:使徒の働き18章1〜17節 タイトル:この町にはわたしの民がたくさんいる 本日は久しぶりに使徒の働きに戻ってメッセージをしたいと思います。 前回使徒の働きを共に開いたときは、17章の後半を見ました。 そこにはアテネでの宣教について記されていました。 パウロはアテネを離れると、今度はコリントへとやってきました。 コリント人への手紙というのが新約聖書に二つ納められています。 今日の聖書は、将来これらの手紙を受け取る人たちとの出会いの場面を扱っているところです。 まず今日の聖書の使徒の働き18章1節を見ますと、そこにはこう書いてありました。 「パウロはアテネを去って、コリントへ行った。」 さらっとここには書いてありますが、コリントという町は非常に特徴のある町でした。 文化、建築、芸術などの中心地と言っても良いところで、アカヤ州の首都でした。 東西の海路、そして南北の陸路をつなぐ重要都市です。 非常に商業に有利な町でした。 またこの町の近くではイストミアという競技が3年ごとに行われていたようで、若者が美しさと力を競い合っていました。 裏山にはアフロディーテ神殿があり、そこには神殿娼婦が千人もいたと言われています。 ですからコリントといえば性的腐敗の町だという常識がありました。 古典ギリシャ語において「コリントの娘」という言葉は売春婦を意味したほどです。 このようにアテネとは違う難しさがこのコリントにはあったようです。 コリントは性的堕落と偶像崇拝、物質主義に満たされた町でした。 そんな町にパウロはなんと一年半もの間留まり続けることになるのです。 さて彼はどうしてそんなに長期の間コリントにとどまることになったのでしょうか。 1 アクラとプリスキラとの出会い 2節を読みます。 "ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、" 使徒の働き 18章2節 ⑴アクラとプリスキラという人は、もともとローマで暮らしていたようです。 しかし皇帝クラウデオが全てのユダヤ人はローマから出ろと命じ、彼らはそこからローマにいられなくなりました。 それでコリントまでやってきたわけです。 そんな彼らとパウロはここで出会います。 アクラとプリスキラはローマから追い出されてコリントまでやってきたました。 そしてパウロもマケドニア州では多くの町で弾かれて迫害から逃れてここまでやってきました。 いわば自分の意志に反して、居場所を追われた者たち同士がここで出会ったのです。 この出会いは神さまのご計画によるものでした。 人には偶然に見えるかもしれません。 何でもない、ありふれた出会いのように見えるのかもしれません。 しかしそこには明確に神の御手が働いています。 この出会いを出発点にして後のコリントの教会が建てられていくのです。 ⑵初めて出会った日から少し時間を置いてでしょうけども、パウロの方から彼らに近づき、そして一緒に仕事をしたいと申し出たようです。 "自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。" 使徒の働き 18章3節 パウロはユダヤ教のラビ学を修めるかたわらで、天幕づくりの技術も身につけていたようです。 それでちょうどアクラたちも天幕づくりをしているということで、彼らと同居して同じ仕事に従事しました。 平日は天幕づくりをし、当時の安息日の土曜日には会堂に行ってユダヤ人とギリシャ人に福音を説き聞かせたようです。 これは4節に記されている通りです。 "パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。" 使徒の働き 18章4節 2 シラスとテモテとの合流 ただこのダブルワークとも言える生活をずっとしていたわけではなくて、5節にありますように、マケドニアからシラスとテモテがやってくると、御言葉を教えることに専念するようになります。 シラスとテモテが来るとなぜパウロはみことばだけに専念できるのか、他の仕事をしなくて良いのかに対する答えとして、シラスとテモテが代わりに労働に従事して生活を支えたからだと考えることもできますが、第二コリント11章8〜9節を根拠として他教会(おそらくピリピ教会)からの献金が届けられたからではないかと考えることもできます。 "私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。" コリント人への手紙 第二 11章8~9節 諸教会から奪い取ってと記されていますが、それほどの犠牲的献金であったことを示しています。 そしてこの献金を、今回シラスとテモテが来るときに持たせてくれたのではないかという推論が成り立つとわけです。 献金が届いたにせよ、シラスとテモテが代わりに働くにせよ、とにかくここでパウロは安息日だけではなく、平日も福音を伝える働きに専念することができるようになりました。 こうしてパウロはさらに多くの時間と労力を福音宣教に充てることができるようになりました。 しかし6節を見ますと、こうして状況が整ったにもかかわらず、パウロの語る福音を全く受け付けず、暴言を吐かれる始末で、コリントの宣教は困難を極めました。 "しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。" 使徒の働き 18章6節 パウロはここで着物を振り払っていますが、これは拒否と離別を意味する動作です。 彼はもうこれだけ語ったのだから、全て責任は果たしたと宣言して、会堂から去っていくのです。 3 テオテ・ユストとクリスポ しかしこの後とても面白い展開が見られます。 "そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。" 使徒の働き 18章7~8節 パウロが会堂を後にし福音を語る場所として次に向かったのは、会堂の隣の家でした。 よりによって隣だなんて、神様が準備してくださった新たな宣教の本拠地とも呼べる場所ですが、私だったら少しやりにくさを感じてしまいそうです。 おそらくパウロは毎朝、自宅を以前と同じ時間に出て、同じ方向に進み、同じ道をとおって向かったことと思います。 パウロたちが出入りする時と会堂の人々が出入りするときには揉め事もあったのではないかと想像します。 しかしそんな緊張感あふれる状況の中で新たに救われた人がいたのです。 しかも一家を上げて。 一体誰でしょうか。 会堂管理者のクリスポです。 会堂の人たちはみんな大変驚いたと思います。 会堂の隅の方に追いやられている人なら、まぁそういうこともあるのかなと思いますが、このとき福音を受け入れて会堂からユストの家に移ってきたのは、何とその会堂の中心人物とも言える会堂管理者だったのです。 会堂管理者の職務は,会堂の維持管理をするだけでなく,聖書の朗読箇所を決めること、礼拝の司会,また聖書朗読者や説教者の指名などでした。 また,礼拝の秩序を保つ責任を果たすため、異端者を追放することもありました。 会堂の人々からすればパウロこそ異端者であり、会堂管理者はパウロを追放しなくてはいけません。 ひょっとするとパウロとクリスポは何度も衝突したことがあったのかもしれません。 しかしそんなクリスポがこのとき福音を受け入れ神の家族となったのです。 しかも一家を上げて。 4 主の語りかけ そんなある夜、パウロは主から言葉を受け取ります。 それが9節10節に記されています。 "ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。" 使徒の働き 18章9~10節 ここからパウロの心の内側を知ることができます。 私たちのパウロのイメージは、もともと非常に優秀であり復活のイエスキリストとの出会いによって劇的に変えられ、迫害を受けても心を折ることなく、ただひたすらに福音を宣べ伝えることに邁進した人というものではないでしょうか。 しかしこの神の言葉を見ますと、パウロの内側にも恐れがあったことがわかります。 またこの時点で彼は語り続けることをためらっていたようです。 もう黙ってしまいたいとも思っていたようです。 そんな心が折れそうになっているパウロに主は直接語りかけて言われました。 恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。 わたしがあなたと共にいるのだ。誰もあなたを襲って、危害を加える者はいない。 この町には、わたしの民がたくさんいるから。 わたしがあなたと共にいるという言葉は、あのモーセもエレミヤも受け取った言葉です。 またわたしの民がたくさんいるという言葉からは、エリヤが心折れて誰もわたしの仲間はいません。もうわたしの命をとってください。と言って嘆いたときに神が言われた言葉が思い出されます。 神はそのときエリヤに向かってこう言いました。 "しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」" 列王記 第一 19章18節 このときエリヤには誰も神を信じていないように見えたのです。 残された主の預言者たちもみんな殺されてしまい、誰も主を信じるものはいないと思いました。 少なくともエリヤにはそう見えたのです。 しかし神はまだ七千人が恐怖に屈せず主を信じているというのです。 ある先生がわたしに教えてくれました。 神様はいつもポジティブです。 何があろうと、わたしたち人間がどれだけ置かれた環境に押しつぶされて、後ろ向きな思いや発言に満たされても、神様は変わらずポジティブです。 パウロ、そしてエリヤと神様との会話からもよくわかるところです。 エリヤはこのときとても悲観的で心が押しつぶされていました。 パウロもどういう理由かはわかりませんが、このとき確かに恐れを抱き、もうやめてしまいたいとさえ思っていました。 しかしそんなパウロやエリヤに対して語られる神様の声は、彼らの思いを超えたことを伝えるのです。 この町にはわたしの民がたくさんいると。 冒頭でお話ししたように、コリントは大変大きな都市であり、この世の誘惑に満ちたところでした。 また会堂と隣あわせの家を教会として使っていたので、会堂との間でトラブルも続いていたのかもしれません。 実際この後ユダヤ人たちはパウロを捕らえて、ローマの地方総督ガリオのもとに引いていき裁きを求めました。 日々大変なプレッシャーの中で生きていたことがうかがえます。 あの百戦錬磨ともいえるパウロでも、苦しいものは苦しいですし、辛いものは辛いのです。 そういう日々の連続の中でパウロの心にもある種の異変を生じさせていたのではないでしょうか。 しかしそんな中にあって主はパウロに語りかけ約束の言葉を与えられるのです。 そして神は約束どおりパウロを守られて1年半以上もの間コリントで福音を伝え続けることができるようにされました。 この町には、わたしの民がたくさんいるという言葉、これは現代を生きるわたしたちにも主が同じように語ってくださる言葉です。 現状は決して芳しくありませんし、教会は苦しい環境に置かれています。 しかしそれでも主は変わることなく、いつも同じように語りかけて下さっています。 「この町には、わたしの民がたくさんいる」 この町、そしてクリスチャンの人口比率が0、3%、0、4%と言われる日本にも、そしてまた世界中に神の選ばれた民がいるのです。 この言葉をどうぞまた一度受け取りなおす皆さんでありますように。 宣教の現場に神のこの言葉ほど希望を与えてくれるものはありません。 5 結び パウロがアクラとプリスキラと出会い、コリントの教会は建てられていきました。 シラスとテモテも合流し彼を支え、ピリピの教会は祈りと献金でささえました。 あまりにひどく腐敗した町ゆえに戦況は困難を極めましたが、それでも神は心折れそうなパウロにわたしが共にいる。私があなたを守る。この町には私の民がいる。恐れないで語り続けなさい。という約束の言葉を与えパウロは支えられました。 こうして教会は建てあげられていくのでしょう。 こうして神の国は広げられていくのでしょう。 現在の災禍の中にあるわたしたちの教会にもまた神は多くの助けを送り、何よりご自身がわたしたちに語りかけてくださることでわたしたちを支えてくださいます。 この神のみことばに支えられ勇気づけられ励まされて生きていくのです。 「この町には、わたしの民がたくさんいる」