問: 神とは、どんなかたですか。 答: 神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、真実において、無限、永遠、不変のかたです。 Q. 4. What is God? A. God is a Spirit, infinite, eternal, and unchangeable, in his being, wisdom, power, holiness, justice, goodness, and truth. 第4問は神様が一体どんな方なのかという問いです。とても基本的な問いといえるかもしれませんが、答えは簡単ではありません。 英語の原文を見ると、特徴的なところがあります。それは質問がWhoではなくWhatと記されていることです。 神様が誰(Who) なのかということは、私たち人間には知ることができませんが、その属性が何(What)であるかについては、知ることができるからです。 「What is God?」 この質問に対して正しい回答をするにはどうすれば良いでしょうか。 それは第2問の核心部分である「神様が私たちに教えて下さればわかる。」というのが答えです。 一般的な科学や哲学でもって、ある存在を探求する知識とは根本的に種類が違うものなのです。 神様は私たち人間が分析して把握することのできる方ではありません。 私たちは有限の存在ですが、神様は無限です。有限は無限を知ることはできません。 今まで学んできた小教理問答第2~3問の流れをおさえた上で、これから見ていく第4~6問を見ていってください。 この知識は私たちの側から知ることはできず、神様が教えて下さるとき、その分だけ知ることができるものです。 そのような知識だということをまずおさえた上で続きを見ていきましょう。 第3問では聖書は神様のことについて語っているということを学びました。 つまり聖書を見れば神様が一体どんな方なのかがわかるということです。 したがって第4問の質問「神とはどんなかたですか。」の答えは聖書に記されているのです。 人は聖書を通して神様を知るのです。 聖書はその冒頭部分から神様を紹介しています。「 はじめに神は天と地とを創造された。 」 このように聖書は始まります。 「神様は霊であられ‥無限、永遠、不変の方です。」 何が無限で、永遠で、不変なのでしょうか? 神様の存在、知恵、権能、聖、義、慈愛、真実が無限、永遠、不変なのです。 この属性は人が持っているような簡単に変化してしまう軟弱な属性とは違います。 神様の属性は変わりません。これは後に学ぶ「神の聖定」と深くつながっているところです。 <神様についての多様な観念> 神様についての多様な観念はここでは大きく二つに分けてお話しします。 1つ目は神様をとても遠い方だと考えることで、2つ目は度を超えてとても親密なものと考えることです。 ○1つ目の観念について 1不可知論 「元々人は神について知ることができない。知ろうとすること自体まちがっているのだ。」 このように神について知ること自体が不可能なことだと考えることです。 2理神論 「神が存在することはわかるが、それが自分となんの関係があるのか?」 時計を作った人が、つくった時計を置いて退勤してもその時計はそのまま自分が設計されたとおりに動くのと同じように、神様はこの世に関与などしないと考えることです。 この論者が唱える神は私たち人と何の関係もありません。造っただけで、放ったらかしです。 3無神論(唯物論) 「神がいるなら出てこい。」 神は存在せず目にみえるものだけが存在すると考えます。これが今日の世を支配している考え方です。 上記の3つの観念の共通点は「神様が今ここにおられて、語っていらっしゃる。」ということを認めないことです。 私たち人とは全く関係のない存在だと考えたり、知ることなどできない存在だと考えたり、あるいは存在しないものと考えます。 ○2つめの観念について 4多神論 日本、そしてギリシャやローマなどのいわゆる神話の神々です。 幾人もの神々が、欲望を持ち、怒りを発し、時に嫉妬をしながら生きていると考えます。神々の世界と人間の世界は分離していますが、お互い会うこともでき、時に競争をしたり結婚することもあります。 5汎神論 自然に存在するもの全てが神性をもっているという考えです。なんでも神になってしまいます。この考え方においては人間すらも神となります。 高い山や海、古い木などに神性があると考え、それに誠意をつくせば願いが叶うと考えます。 上記の2つの観念の共通点は「神様は被造物とは次元の違うとても高く絶対的な方であること」を認めないことです。この人々は各自多様な文化や文明の中で生きながら多様な宗教と神概念によって発展してきたと思っています。これを宗教多元主義と言います。 ではキリスト教はどのように考えるのでしょうか。 聖書を通し神様が教えてくださった分だけ神様を知ることができると考えます。 神様について自分で考えようとすればするほど混乱します。それは私たちの限界のためです。 神様の存在について観念的、抽象的に想像することはできますが、そのような仕方で神様について知ることはできません。 神様を知る本当の道であり、最も確実な方法は聖書が語る神様を一つずつ学んでくことです。そうすることで今持っている疑問が少しずつ解決していくのです。