第14~15問 罪の定義とアダムの罪
問14: 罪とは何ですか。
答: 罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは神の律法に背くことです。
問15: 私たちの最初の先祖たちを、創造された状態から堕落させた罪とは、何でしたか。
答: 私たちの最初の先祖たちを、創造された状態から堕落させた罪とは、彼らが禁断の木の実を食べたことでした。
問14では罪とは何なのか、神様の法とは何なのか、具体的に人がどのような罪を犯したのかを問います。
罪の定義
小教理問答が罪と定義するのは、神の律法の基準に少しでも違反することです。
神の律法
神の律法については小教理問答第3問で学んだことと深く関連しています。小教理問答第3問は「聖書がおもに教えていることは、①人が神について何を信じなければならないか、②神は人にどんな義務を求めておられるか」ということでした。
2番についてここでも少し見ていくことにします。
神の律法は聖書の全般で語られていますが、それらの法は十戒という形で要約されて示されています。十戒の内容を二分すると「神をどのように愛するか」と「隣人をどのように愛するのか」に分かれます。これが神様の法です。
<アダムはいったいどんな罪を犯したのでしょうか?>
アダムのどのような行動が罪と定められたのでしょうか。
聖書ではその部分を詳細に示しており、小教理問答はそれを整理する形で書かれています。
アダムが犯した罪の行動は「禁断の木の実を食べたこと」でした。
ここで最も重要なことは、この行動がポイントではないということです。
あくまでもここでのポイントは神様の御言葉を守らなかったことにあります。
行動が問題ではなく不従順が問題なのです。
アダムは神様の御言葉を意図的に守らなかったということです。
これにより神様との関係が壊れてしまい、私たち人類の側からはそれを回復させることはできない状態でした。
<最初から最後まで神様の計画です。>
小教理問答には神様の聖定の中に堕落もあるのだと説明されています。すべての歴史はある意味で必然のものだということです。歴史に「もしも」はないとよく言いますが、実際に歴史は神様があらかじめ定めておられた計画ですので、「もしも」という単語が付くこと自体がおかしなことです。
「善悪の知識の木の実をたべなかったら良かったのに。そうしたら今頃エデンの園で何の問題もなく暮らしていたのに」と思ったことはないでしょうか。
しかしこれは神様の聖定の教理から考えると成り立たない話だということがわかります。
神様の聖定は永遠であり、不変であり、完全です。聖定はすでに計画されています。堕落もその中に含まれています。ですからアダムが善悪の知識の実を食べたことも含まれているということです。人間の堕落により神様の計画が変わったわけではありません。
これに対してある人は反論しました。
「堕落も神様の計画に入っていたとするなら、罪をつくったのが神様ということではないか。」
神様は全知全能の方であり、アダムが堕落することを知らなかったわけではないとすると、神様が罪をつくった様に見えてしまい、逆に罪をつくったわけでないとすると、アダムの堕落は計算外のことだったのではないかとうい考えにつながりやすくなってしまいます。
相反する二つの真理(神様が全知全能で変わらない方だということと、罪の創始者ではないということ)があるということです。これを二律背反(antinomy)といいます。調和させることができない二つの真理のことを指す言葉です。
聖書を読んだり、教理を学んでいると、必ずこのような問題に出くわします。しかしそれを調和させようとしないことです。信仰とは聖書が止まるところで一緒に止まり服従することです。信仰は聖書に啓示されていないことについて質問をなげかけないことです。聖定という偉大な真理を学ぶにはこのような姿勢が必要です。
二律背反を調和させることはできません。わたしたちにはわからないことです。ただ聖書に記されていることをそのまま信じることが大切です。