第11問 神の摂理の御業
第11問 神の摂理の御業 問: 神の摂理の御業とは、何ですか。 答: 神の摂理の御業とは、神が、最もきよく 、賢く 、力強く、保ち 、すべての被造物とそのあらゆる動きを治めておられることです。 第7問で聖定(神のご計画)について学びました。 この聖定の実行が創造と摂理です。 第11問では摂理について学びます。 摂理とは神のお導きのことです。神はすべてを導いて、やがて世界の歴史が完成するとき「万事が益であった」と信仰者が告白できるようにしておられます。 摂理は「保持」と「統治」にわかれます。 ① 保持:世界も私たちも無から造られました。私たちは、神の絶えざる支えがなければ無に帰す存在であり、神の御手に依存している者たちです。神は万物を支え、万物は神の積極的かつ継続的な力なくして存在できません。 人は自分の力で生きているように考える傾向を持っていますが、常に神のお働きによって人の生命は保たれています。 ヘブル人への手紙1章3節には「御子は…その力ある御言葉によって万物を保っておられます。」とあります。「保」つと翻訳されていますが、原語のギリシャ語(ペロウ)には「動かす」と「支える」という2つの意味が含まれています。この単語は新約聖書の中でほかにも使われています。 “すると見よ。男たちが、中風をわずらっている人を床に載せて運んで来た。そして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした。” ルカの福音書 5章18節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。” ヨハネの福音書 2章8節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “あなたが来るとき、トロアスでカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙の物を持って来てください。” テモテへの手紙 第二 4章13節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 この単語には単に維持するという意味だけでなく、活動的な意味があります。ある場所から他の場所へと物を移すという意味があります。 ヘブル人への手紙1章3節では現在分詞形が使われていますが、この理由はイエス様が御言葉によって今現在も宇宙の全てのものを継続的に動かしていること意味しています。イエス様は摂理の御業に能動的に関与されているということです。 ② 統治:神は世界に起こるすべての出来事を支配し、治めておられます。幸せも試練も、父なる神のもとから来ます。万物は神が決めた目標に向かって導かれていくのです。 ③ 協力: 神がすべての行動において被造物の特徴をいかして働かれるということです。 これは単純な役割分担ではありません。ある部分まで神が担当し、ある部分は人間の担当だという理解するところではありません。全てが神の役割であり人の役割です。 万物に対する神の統制に関して二次的原因(人や動物や自然)が結ばれているのだともいいます。 「協力」はウエストミンスター小教理問答には記述がありません。 「協力」は①の保持に含まれるものとジャンカルヴァンによって主張されています。 Question 神が人を通して御心を成し遂げていくとするならば、罪の行いを通して御心が成された時をどのように理解するべきなのでしょうか? ○ダビデの姦淫の話 ダビデは部下の妻に王の権力を使って姦淫という罪を犯しました。そしてその発覚を恐れて部下を戦地の最前線に送って殺しました。しかしこの出来事を通してダビデと部下の妻との間に後にソロモンが誕生しました。このソロモンの子孫がイエスキリストです。ダビデの姦淫と殺人の原因が神にあるかのように思えるところだと言えます。 ○ヨセフが人買いに売られる話 ヨセフの父ヤコブは、息子たちのなかでもっともヨセフを愛していました。それはヨセフが年をとってからの子であったということと、自分が最も愛した人の息子だったからです。これに対してヨセフの兄弟たちは嫉妬の炎を燃やして、自分たちの弟であるヨセフを人買いに売り飛ばしてしまいました。これによってヨセフはエジプトで奴隷として過ごすことになリマス。しかしここで王の夢を解き明かすことによって、エジプトの飢饉を予知し、この危機を乗り切りました。これにより彼はエジプトのナンバー2になりました。ヨセフはエジプトで出会った女性と結婚し、子供をもうけました。長子をマナセといい、二番目をヱフライムと名づけました。マナセとはメナシュ「忘れる」の派生語。赦しの意味を持ちます。そして二番目のヱフライムはファラ「実り多い」の派生語。マナセは過去の痛みを忘れるという意味。そしてヱフライムはこれからの未来の実りを望み見るという意味。 その頃ヨセフの故郷のカナンも飢饉のために食料がありませんでした。そこで父のヤコブが息子たちをエジプトに遣わして、食料を得てくるようにいいました。これによってヨセフを売った兄弟たちはエジプトのナンバー2にヨセフがなっているとも知らずに、食料を分けてもらいたいと願い出ることとなります。こうしてヨセフと兄弟たちは再会します。以前の事は忘れ未来へと目を向けていたヨセフでしたが、それでも実際兄弟たちを見たときに葛藤がなかったかは疑問です。でもヨセフは兄弟たちを赦して最後にこう言いました。「この2年の間、国中にききんがあったが、まだあと5年はたがやすこともかりいれることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それはあなたがたのために残りのこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたでは、実に、神なのです。」(創世記45章7-8節)「あなたがたは私に悪をはかりましたが、神はそれをよいことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして多くの人々を生かしておくためでした。」(創世記50章20節) Answer 神は罪を許容されますが、罪の原因ではない方です。罪を抑制し遠ざける聖い方です。この聖書の内容をそのまま信じることが大切です。神は人間の悪い行いをも用いて益とする力のある方です。 “神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。” ローマ人への手紙 8章28~29節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会