https://youtu.be/nzhQkywkCfs 主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:ルツ記3章1〜18節 タイトル:神が準備した人々 先週はルツ記の2章を見ました。 今日はその続きを見ていきます。 ベツレヘムが飢饉となり外国のモアブへと移り住んだエリメレクという人と、その妻のナオミ、そして二人の息子がいました。しかしナオミの夫のエリメレクはそこで死んでしまいます。息子たちは現地の女性と結婚し5人家族になりますが、約10年後にこの息子たちも死んでしまい、ナオミと二人の嫁だけが残されました。 そんな折に飢饉だった故郷のベツレヘムを神が顧みてくださり食物が取れるようになったことを知ってナオミは嫁のルツと共にベツレヘムへと向かいそこで暮らし始めました。 ルツは姑との暮らしのために落穂を拾って生計を立てることを試みます。 ある畑にやってきたルツはそこではからずもボアズという人に出会いました。 この人はナオミの親類であり、エリメレクの土地を買い戻す権利のある人でした。 そこでルツは大変よくしてもらってお土産まで持ってナオミのもとに帰りました。 ナオミはルツがボアズと出会ったことを知って喜び、ボアズのすすめの通りルツにボアズの畑でのみ落穂ひろいをするようにと言いました。 こうしてナオミとルツはベツレヘムで生活していました。 3章はこの後の話です。 1 ある日、ナオミはルツに言いました。 あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所をさがしてあげないといけない。 そうして、ボアズが親戚であることを伝えます。 2章20節でもナオミはルツにボアズが近親者で、買い戻しの権利のある人だということを伝えていましたが、ここでまた改めてボアズが再婚相手に最適であると言うのです。 さらに、3、4節を見ますと、ボアズにどのようにアプローチすべきかをレクチャーしています。 ルツはナオミの言った通りに全て行うことを約束し、実際にボアズのところに行って、その通りにしました。 ナオミが言ったことの中に「足のところをまくってそこに寝なさい」というものがありましたが、ルツはボアズが気付かぬ内にその通りにしました。 夜中になると、彼は驚いて目を覚まします。 そして自分の足元に誰か、女性がいるのがわかったので、あなたは誰かと尋ねました。 これにルツは答えるのですが、この言葉が非常に印象的なものになっています。 “‥「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」”(3:9) 「おおいをひろげて、おおってください」という言葉の意味は、結婚してくださいということです。(エゼキエル書16章8節参照) ルツはここで非常に大胆な行動に出ました。 ルツの方からボアズに対してプロポーズしたのです。 ボアズはこれを受け取り全て理解しました。 そしてルツを褒めます。 それが10節の言葉です。 "すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。" ルツ記 3章10節 あなたの「後からの真実」は、「先の真実」にまさっていますとボアズは言いますが、この「先の真実」というのは、これまでボアズが聞いてきたルツのナオミに対する誠実な行動のことだろうと思います。 すなわち、ルツには、モアブに残って新しい家族を見つけるという選択肢があったにもかかわらず、姑のナオミと一緒にベツレヘムに来て共に暮らすことを選んだことです。また、落穂拾いをしてナオミと一緒に暮らしていくために一生懸命働いていたことでしょう。 これが「先の真実」です。 しかしこれよりも「後の真実」の方が素晴らしいとボアズは褒めました。この「後の真実」と関連しているのが、10節の後半部分です。そこにはこうありました。「あなたは貧しい者でも、富むものでも、若い男達のあとを追わなかったからです。」ここからボアズがルツよりもかなり年上なのではないかと推測できます。年齢を重ねた彼よりも他の若い男性と結婚した方がルツ一人にとってみれば良いことだと彼は思っていたのかもしれません。しかしその選択をせずに、ナオミのことを思って、買い戻しの権利があるボアズのところにやってきたことを「後からの真実」と言ってたたえているのです。 あなたは自分一人のためだけの幸せではなく、姑とまたその家の幸せになる方法を選んだ真実な人だということなのでしょう。 ただし、「ではすぐ結婚しましょう」ということではなく、決められた順番があって、それによると自分が二番目なので、一番目の人が受け入れてくれたらその人のところに行くように言い、もしその人が権利を放棄したら自分が受け入れると約束しました。 こうしてルツはボアズの隣で何事もなく明け方の暗いうちまで過ごして、周囲の人々に見られて誤解をされないように、外套をきて、ボアズに大麦6杯ももらって帰って行きました。 ナオミはこの話をルツから聞き、ボアズが行動を起こすまで待つようにと言いつけて3章は終わります。 これがルツ記3章のだいたいのストーリーです。 今日もこの中からいくつかピックアップしてお話します。 2 ルツの真実 まずルツの真実についてです。 ルツはまだモアブにいる頃、実家に帰るようにナオミに言われた時、こう答えました。 "ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」" ルツ記 1章16~17節 今日は特に17節のところに注目したいのですが、ここで「あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたい」とまで言っています。これは単なる強調表現ではありません。日本のお墓もそうですが、当時のこの地域のお墓も死んだ人の骨をその家の先祖達と同じところに入れました。 つまりこのルツの言葉というのは、ナオミと一緒のお墓に私は入りますという意味であり、ナオミを見捨てて他の家に行ったりはしませんという誓いの言葉なのです。 そしてルツはこの言葉の通りに、行動しました。 ボアズにプロポーズしたのも、もちろん彼が主に対して誠実な人だということを知った上でしょうが、それ以上にナオミの家を絶やすことなく、またルツ自身がナオミの家から出ないと主にあって決めていたからなのでしょう。主から与えられた心だったのです。 ですから、まだおそらくルツは若く、同じように若い男性と結婚しようと思えばできたのかもしれませんが、それを放棄してナオミと一緒に幸せになる方を選んだのです。 これがルツの真実でした。 ではボアズはどうでしょうか。 3 ボアズの真実 ボアズの真実について語るには、やはり買い戻しの権利についてもう一度考えてみる必要があります。 買い戻しの権利とは、イスラエルの家と未亡人の経済を守る制度です。 もし一家の主人が妻や土地を残して死んだ場合、この買い戻しの権利のある者が、その土地を受け継ぎ、未亡人と結婚しその家族を守る責任があるというものです。 ですから、権利という名前ではありますが、実は義務と言った方がよいものでした。というのも、買い戻しをする方には、はっきり言ってメリットがないからです。親戚を助けることができるということもメリットと言えるのかもしれませんが、その代わり土地を買い戻すための費用と、残された人たちを養う費用、さらに、子どもが出来ても、その子どもは自分の名前を継ぐための子どもではなく、死んでしまった人の名前を継ぐための子どもです。ですからはっきり言って費用対効果が非常に悪い制度なのです。 しかしそんな制度をボアズは行使することを約束しました。 さらに2章11節の言葉と3章9節の言葉を対比して見ていただきたいのですが、ここには違う言葉に翻訳されているけど、本来は同じヘブライ語が使われているところがあります。 それは2章11節の「翼」という言葉と3章9節の「おおい」という言葉です。 "ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。" ルツ記 2章11節 "彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」" ルツ記 3章9節 これらの節はヘブライ語聖書ではどちらも翼という意味の言葉が使われています。 2章の言葉は、ボアズのルツに対する祝福の言葉でしたが、この言葉を持ってルツはプロポーズするのです。 ボアズさんあなたが祝福の言葉をくれた時に語った翼の役割をするのは、あなたの衣です。 つまり、神様があなたを用いて私たち家族を救おうとしています。 こういう意味になるわけです。 この言葉にボアズが答えたのです。 ルツやナオミに祝福を与えるために神様が自分を使おうとしていると悟った瞬間だったのではないでしょうか。 これがボアズの真実でした。 4 今ボアズの真実とルツの真実のお話をしましたが、神はこのように人を準備され、その人を用いて誰かの人生を変えていかれます。 ナオミはモアブで人生がボロボロになってしまいました。 傷心のまま彼女はベツレヘムへと帰ってきました。 その時彼女は、私をナオミとは呼ばないでマラと呼んでくださいと町の人たちに言いました。 ナオミとは快いという意味ですが、マラとは苦しみという意味です。 自分の人生は快いと呼べるものではなく、苦しみの人生だからということでしょう。 また神が私を素手で帰されたとも言っていました。 この素手と訳された言葉は、空っぽという意味で、ナオミがボロボロになって、心も体も空っぽになって帰ってきたということを表現している言葉でした。 しかし嫁のルツと買い戻しの権利のあるボアズとの出会いから、大きく流れが変わっていきます。 ナオミの空っぽになった人生が、ぼろぼろで傷だらけの人生が、いよいよ祝福を受け取るのです。 ボアズによって大麦を6束も持って帰ってくるルツの描写はナオミのこれからの人生を象徴するシーンになっています。 ボアズがルツに向かって、「ナオミのところに素手で帰ってはならない」と言って持たせてくれた物だとルツは言いました。 この素手と訳されているところが、実は先ほどと同じ空っぽとう意味のヘブライ語が使われている箇所です。 つまりここからナオミの人生は空っぽではなく、この大麦のように一杯に満たされるのだということを暗示しているのです。 ボアズ自身もそのような思いでルツに持たせたのではないでしょうか。 そして持たされたルツも、その姿を見たナオミも、この意味が分かったのではないでしょうか。 ルツ記の主役は、ルツではなくナオミだと言われます。 空っぽになってしまったナオミが神様によってまた溢れんばかりに祝福で満たされるお話です。 そして今日の箇所では、その満たしが、ボアズとルツによって与えられていくところまで描写されているのです。 完全に全てを失って帰ってきたと思ったナオミでした。 しかし本当はそうではなかったのです。 1章を共に読んだ時も、ルツが信仰を持ったのは神の恵み、神の賜物だったというお話をしました。 本当に小さな希望だったかもしれませんが、その希望の種としてルツがナオミの手に残されていたのです。 そしてその希望の種がボアズという、これまた神様が準備した神に忠実な人との出会いによって、大きく成長し、空っぽだと思われたナオミの人生があの6束の大麦のように溢れていくのです。 この後ルツはボアズと結婚し、子どもが生まれ、その子孫としてダビデが、さらにその子孫としてイエスキリストが生まれます。 5 私たちの人生もこのようにして、神が準備した人々を通して、多くの祝福を受け取るものになっていきます。 そして多くの祝福を受け取った人は、また誰かが祝福を受け取るために大いに用いられていきます。 ナオミの人生を変えるためにルツとボアズが用いられましたが、また祝福されたナオミ自身も、ルツとボアズをつなげる役割をしており、神に用いられたのだということができます。そしてこの3人の出会いがまたダビデやイエスキリストへとつながることを考えると、私たちのために用いられた人たちだったのだということがわかってきます。 ですから私たちも、さまざまな人たちとの出会いの中で、多くの祝福を受けるわけですが、同時に私たち自身もまた他の人たちが祝福を受けるための通り管となっていくのです。 祝福とはなんでしょうか。イエスキリストの福音のことです。 私たちも誰かを通して、この福音にふれ、また私たちを通して、誰かが福音にふれ、より深く福音を理解し、イエスキリストと出会うのです。 祝福をお祈りいたします。