https://youtu.be/Q_N-erPl_rc 主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:ルツ記1章1〜18節 タイトル:空っぽを満たす神 ユダのベツレヘムのエリメレクという人が、飢饉のためにベツレヘムを出て家族と一緒にモアブに移り住みました。しかししばらくするとこのエリメレクが死に、妻のナオミと息子二人が残されました。 その後息子二人はいずれもモアブの地で結婚しました。ナオミと二人の息子とそれぞれの妻ルツとオルパでこの後10年ほど暮らしていました。 しかしある時、ナオミの息子たちが二人とも死んでしまいました。 こうしてナオミと嫁二人だけが残されました。 そんな折、ベツレヘムが飢饉状態を脱して食物がとれる様になったという知らせを受けたナオミは、故郷に帰って暮らそうと考えます。 このナオミについて行こうとする嫁ルツとオルパがいました。 最初はこれをゆるしていたナオミでしたが、彼女たちを実家にかえして再婚させた方が幸せになれると考えて、家に帰るように言います。 するとオルパはその通りに実家に帰って行きました。 しかしルツはナオミにすがりついたまま離れませんでした。 ナオミは覚悟を決めて、ルツと共にベツレヘムへと向かいます。 今日の聖書は大体このようなあらすじになっています。 このお話から今日はいくつかピックアップしてお話しします。 1 空っぽになったナオミ この書はルツ記と呼ばれますが、中心人物はナオミです。 ナオミとは、「快い」という意味です。 この快いという意味の名前を持ったナオミはエレメレクの妻としてこれまで生きてきました。 しかし夫が死んで未亡人となってしまいました。 そして今度は息子たちまで死んでしまいました。 これでもう母と呼んでくれる存在はいなくなってしまいました。 特にこの時代、女性は数にも入れられない存在で社会的に非常に低い地位でした。社会との関わりが持てるのは男性だけでした。 ですから女性は誰かの妻であるか母であるかが必要でした。 そんな時代に夫と息子を10年の間に一挙に失ってしまいました。 それで、ナオミは自分をナオミと呼ばれることを嫌がるようになりました。 なぜなら彼女の人生は全く快いと呼べるものではなかったからです。 非常に過酷なものでした。 非常に苦しみ多き人生でした。 だから違う名前で呼んでくれと頼みます。 1章20節にはナオミのこんな言葉が記されています。 "‥「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。‥" マラとは「苦しみ」という意味です。 快いとは呼ばずにもう苦しみとよんでくださいということです。 自分自身の人生を見た時に、快いとはとても呼べないものだったからでしょう。 苦しみ多い人生だったからです。 また21節には「主が私を素手で帰された」とあるように、ナオミの人生からなくてはいけないものが抜け落ちて全く空っぽになってしまいました。 そんな彼女の人生に対する虚しさが滲み出ている箇所です。 他にもナオミの悲しみをうかがわせる箇所があります。 彼女の言葉が記されているわけではありませんが、その描写が彼女の悲しみと憂いを表しているようです。 "ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。" ルツ記 1章3~5節 3節に「彼女とふたりの息子があとに残された」とあるように、大黒柱であるエリメレクが死んだ後の家庭をこの一言で描写しています。 とても物悲しい場面です。 しかしそこでへこたれずに、故郷へ戻るという退路を断つ意味もあってか、息子と現地モアブの女性との結婚が決まり、しばらくの間家族5人で生活していたことがわかります。 しかしその後なんとこの息子たちまで死んでしまうのです。 5節にはこうあります。 「こうしてナオミは2人の子どもと夫に先立たれてしまった。」 故郷を経ち、モアブの地にやってきた時は、夫もいて息子たちもいました。 しかし今は全員いなくなってしまいました。 残されたナオミの心の痛みがすでに死んでいた夫と合わせて語られることでより深く苦しいものとして描写されています。 まさに空っぽと言っても良いナオミがそこにはいました。 1人の人の妻から未亡人となり、母と呼ばれる存在から誰にも母とは呼ばれない存在となりました。 ナオミにとってエリメレクの妻であることや、息子たちの母であることは自分の存在意義であり希望であったのではないでしょうか。 それが一気に失われてしまいました。 ナオミは本当に大切な存在を失ったのです。 2 ルツ記はこれでもかというほどの絶望から始まります。 一体この物語はどこへ向かっていくのかと思うほどに暗く辛い描写が最初に連続します。 いきなり夫と息子が失われるところから始まるのです。 しかし全てを失ったわけではありませんでした。 この絶望の中に希望の光が差し込むように、故郷の飢饉が終わり再び繁栄しているというニュースが届きます。 そこでナオミは2人の嫁を連れて故郷へと戻ることを決め歩き始めました。 しかしナオミは旅の途中で2人の嫁に次のように言います。 "そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。" ルツ記 1章8~9節 モアブの女性である2人の嫁にとって、ナオミの故郷のベツレヘムは外国です。 わざわざ外国まで行って苦労することもない。実家に一旦戻って再婚相手を探して再婚した方が良いだろうと考えたようです。 この言葉に対して2人の嫁は泣きます。 しかしそれでも戻ろうとしないので、ナオミは重ねて帰るように伝えました。 それで2人の嫁のうちの1人オルパは実家へと戻っていきますが、もう1人の嫁ルツはナオミを離れようとはしませんでした。 そしてルツは次のようにナオミに言って共に生きていく決意が固いことを示しました。 "ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」" ルツ記 1章16~17節 血のつながりの全くないこのルツが、姑のナオミと一緒に生きて、共に葬られることすらも望んでいました。 実家に帰るチャンスもありました。 しかしそちらを選ぶのではなく、ナオミについていくことを選んだのです。 一体なぜルツはこのように信仰告白とも取れる決意をするに至ったのでしょうか。 まず考えられるのが、ナオミたち信仰を持つ者達との10年に及ぶ生活です。 ナオミも息子たちも神を信じてい生きていました。 ルツはそんな家族の姿をいつも側で見ていました。 その中で、明らかに実家の両親や家族たちとは違う何かを見てとっていたのではないでしょうか。 ある先生が自分に信仰を伝えてくれた宣教師と初めて会った時のことをお話してくださいました。 その先生は、初めて会った宣教師夫婦の麗しさ、明るさ、穏やかさ、和やかさに心を打たれたそうです。 「うちの家のお父ちゃんとお母ちゃんとは違うな〜。」と思ったそうです。 クリスチャン家庭の香りがしたのでしょう。 私もそうでした。 教会の牧師や他のクリスチャンたちを見たときに、今まで会ったことのない種類の人だと思いました。 うちの家族とは違うものを感じ取りました。 そして自分もこういう風に生きていきたいと思って教会に通うようになりました。 きっとルツもそうだったのではないでしょうか。 モアブの両親、家族、親戚たちとは違う何かを見てとったのではないでしょうか。 そういう中でこのベツレヘムからやってきた家族を大切に思い、愛したのでしょう。 そして、やがてその家族の中心にある信仰へと目が開かれていきました。 そうして16、17節のような大変な決断をするに至るのです。 あなたの民は私の民、あなたの神は私の神ですと。 3 ルツの信仰の起源は? ただ、この論理でいくと、ルツだけではなく、オルパも一緒にベツレヘムへやってこないとおかしいことになります。 ナオミたちと一緒に暮らしていたのは、ルツだけではなくオルパもでした。 ではなぜルツだけが、信仰を持つに至ったのでしょうか。 これは突き詰めていくとなぜなのかはわかりません。 ナオミたち家族が良い信仰生活をしていたのは間違いないでしょう。 それがルツに良い影響を与えていたはずです。 しかしそれではルツだけがナオミと一緒に行くことになった説明はつきません。 私たち人間にはわからない領域だからです。 "あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。" エペソ人への手紙 2章8節 最終的にルツの背中をおし、あの大胆な信仰告白にまで至ったのは、神の恵みのゆえでした。 神様を信じる信仰は神様の賜物です。神様からの贈り物です。 4 「私は完璧で素晴らしい家庭に生まれ育った。欠点のない家庭に育った。」という方はいらっしゃらないと思います。 私も含めそれぞれの家庭にはきっと大きな問題から小さな問題まで多くの問題があったのではないでしょうか。その中で傷つくこともあったと思います。 また今の家庭にも全く問題がないということはないでしょう。 しんどい思いをされている方もいるかもしれません。 ナオミの家庭のように、暗い影を落とすような出来事もあったかもしれません。 その中で自分は何もない。空っぽだと思ったこともあるかもしれません。 しかしそんな空っぽな人生を神は満たしてくれる方です。 この後のナオミとルツが神の導きによって溢れんばかりの祝福を受けて空っぽだったところが満たされます。 このボロボロの家庭、希望の光が失われたように見えるナオミの家庭ですが、この後なんとルツを通して子どもが与えられてその子孫としてイエスキリストがこの世界に生まれるのです。 私たちの人生も同じです。 神様に導かれ、信仰を与えられ、神様を信じて生きていくときに、私たちの人生は満たされていきます。 神に用いられ神に喜ばれ神に感謝して生きる人生へと変えられていきます。 それは本当に素晴らしいものです。 どうぞそのような人生を生きてください。 心からお祈りします。