主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:詩篇136篇 タイトル:主に感謝せよ 今日の聖書は詩篇136篇です。 この詩篇はとても特徴的な詩篇です。 それぞれの節が前半後半に分かれていて、後半部分は「その恵みはとこしえまで」という言葉を繰り返しています。 これはおそらく先ほど私たちが共に読んだ交読文のように、礼拝の司式をする人が前半を歌い、後半は会衆が歌うという形でなされていたのだろうと思います。 ですからこれは個人で歌う歌というよりも、共同体で共に歌う賛美だったということができます。 共に歌うことはそれ自体が共同体をおぼえる行いです。 現代の私たちと同じように、当時のイスラエルの人々の中にもいろいろな人たちがいました。 しかしこの共同体の賛美はさまざまな人たちを主にあって一つにしたのです。 神の恵みを思い巡らし感謝することは、一人でももちろんできますが、共同体として共に行うこともまた必要なことなのでしょう。 今日もこの詩篇によって私たちが一つの思いとなり共に神に感謝を捧げる時となりますように祈ります。 この詩篇の冒頭を見ますと「感謝せよ」という言葉が繰り返されていることに気づかれることと思います。 この世は絶えず私たちを苦しめ、感謝などできないと思えるような時も多々あります。疲れ果ててしまうこともあると思います。 しかし今日の詩篇は、そんなわたしたちにも感謝を教えてくれます 詩篇136篇が教える感謝は条件ではありません。 今置かれている環境、その状況によって左右されてしまうものではありません。 環境や状況によって左右される人は、それが好転しても結局感謝はできません。 瞬間的に喜んで感謝しますと言ったとしても、次の瞬間には感謝はどこかへ飛んでいってしまいます。 感謝は条件ではありません。 感謝を知っている人だけが感謝をします。 では感謝を知っているとはどういうことなのでしょうか。 それは自分が既に神から多くのものを受け取っていることを知っているということです。 そして神によって生かされているということを知っているということです。 今日の御言葉である詩篇136篇はまさにそのことを教えてくれる詩篇になっています。 はるか昔、イスラエルの人々が神を見上げつつ共に歌った歌を、今日私たちも共に読み今現在の事として受け取り直す。 そのような時間となることを祈ります。 1 神がおられることへの感謝 "主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。 神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。 主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。" 詩篇 136篇1~3節 この世には神と信じられている存在がたくさんあります。 この詩篇の作者の周囲にも、この詩篇を歌った人々の周りにも多くの神々がありました。 私たちの周囲にも神の名のつくものがたくさんありますが、どれも人が勝手に作り出したものです。 しかしこの多神教の世界にあっても、私たちは神がお一人であることを知っています。 「光あれ」と言ってこの世界を造られ、また人を造り愛し導いてくださる神はお一人だけです。 神の神、主の主という表現は、最上を意味する言葉です。 申命記10章17節にもこのような言葉があります。 "あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり‥" 神の神、主の主というのは、神の素晴らしさ、その偉大さを表現するための言葉です。 この世界のあらゆるものに優先する大いなる方、それが真の神です。 そんな神に感謝せよと詩篇記者はここで歌うのです。 その方はかつてモーセに「私はある」と言われた方です。 どんなものにも依存することなく神として存在し続ける方。 この方が存在することに感謝せよとこの詩篇は歌うのです。 そしてそれは恵みであり、その恵みはとこしえまで、つまり永遠に続きます。 この世界は神なき世界です。 実際には神はおられるのですが、それを受け入れ信じようとしない世界です。 そしてかつてのイスラエルの周囲の人々がそうだったように、勝手に自分に都合の良い神々を作りあげてそれを拝む世界です。 そんな希望のない光のない世界ですが、それでも永遠から永遠まで神は神として存在し続けてくださることを私たちは知っています。 だから感謝することができるのです。 1〜3節は、神の存在への感謝を歌っている箇所です。 2 創造と摂理の業に感謝 "ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。その恵みはとこしえまで。" 詩篇 136篇4節 4節の「大いなる不思議」というのは、神様がこの世界を造られたこと、創造の御業をさしている言葉です。 そしてその業を詳しく語るのが、次の5節6節です。 "英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで。 地を水の上に敷かれた方に。その恵みはとこしえまで。" 詩篇 136篇5~6節 天と地とは全宇宙を指す言葉です。 神は宇宙万物を創造され、その秩序をも造られました。 太陽は今日も東から昇り西に沈みます。 地球は太陽との距離を一定に保ったまま公転し続けています。 次の節以降はこの太陽のことにも触れられています。 "大いなる光を造られた方に。その恵みはとこしえまで。 昼を治める太陽を造られた方に。その恵みはとこしえまで。 夜を治める月と星を造られた方に。その恵みはとこしえまで。" 詩篇 136篇7~9節 7節の大いなる光というのは、8節9節に記されている「太陽」「月」「星」のことです。 神は太陽も月も星も造られて夜と昼を私たちに与えてくれました。 この自然の秩序の中にご自身の恵みをあらわされたのです。 神の存在を信じる私たちはこの当たり前のような出来事にも神の恵みを覚えることができます。 このことに感謝しようと詩篇136篇は歌っているのです。 ここまでは神の創造の業とその秩序に対する感謝についてでした。 続いてイスラエルの民のエジプトからの救いに関しての言及ですが、これは同時にクリスチャンたちの罪からの救いについての言及でもあります。 3 救いの業に感謝 "エジプトの初子を打たれた方に。その恵みはとこしえまで。 主はイスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。 力強い手と差し伸ばされた腕をもって。その恵みはとこしえまで。 葦の海を二つに分けられた方に。その恵みはとこしえまで。 主はイスラエルにその中を通らせられた。その恵みはとこしえまで。 パロとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。その恵みはとこしえまで。" 詩篇 136篇10~15節 イスラエルはかつてエジプトで奴隷生活を強いられていました。 それは苦しい生活でした。 彼らは神に向かって叫びました。 すると神はその声を聞き彼らを救われました。 神はエジプトに対して10個もの裁きを下し、その10個目が「エジプトの初子を打」たれたことでした。 これによりイスラエルがエジプトから出ることをエジプトの王パロはゆるしたのです。 しかししばらくすると王の気がかわり、エジプトを出たイスラエルの民をエジプトの軍隊が追いかけてきました。 すごい勢いでイスラエルに迫ります。 この時イスラエルの人々の前には紅海という海が広がっていました。 後ろにも前にも行くことができません。 絶体絶命のピンチでした。 しかし神は雲の柱でもってエジプト軍とイスラエルの間に割ってはいられ、イスラエルを守られたのと同時に、東風を起こして紅海を二つに割って絶望の海に道をつくられました。 イスラエルの民はこの時希望を失っていました。 しかしそんな人々の前に希望の地が開かれたのです。 それは彼らの想像もしない仕方でした。 逆説的な言い方かもしれませんが、絶望の先にこそ希望があります。 暗闇の先にこそ光があります。 それを信じて歩むのです。 すると海が分たれ地が現れます。 力強い手と差し伸ばされた腕が守られ導かれるのです。 さらにこの先を読んでいきますと、イスラエルの民が数々の困難の末にカナンの地へと導き入れられる出来事が記されています。 そのために神がまた力強い御手を延べられてイスラエルを助けました。 このイスラエルの歴史のように、私たちクリスチャンも、そして教会も主の恵みによって罪から救われ神の国へと導き入れられる歩みを今しています。 その歩みは決して平坦なものではありません。 それは私たちの現実が証明しているところです。 イスラエルの民も23節に記されているように、いやしめられた時がありました。 この世の勢力に押され苦しみ悩むことがあったのです。 しかしそんな彼らを主は御心に留めておられました。 今感じておられる痛みを誰も理解してくれなかったとしても、自分はひとりぼっちだと思っていたとしても、主は私とみなさんのことを変わらずその心に留めておられます。 主の視線は絶えず私たちに注がれています。 その恵みはとこしえまで続くのです。 4 感謝の理由 今日は感謝についてのお話でした。 感謝は感情的なものと思われがちですが、この詩篇が教える感謝は少し違うようです。 神がおられることに感謝、神がこの世界を創造し今もおさめてくださっていることに感謝。 そして何より私たちを救ってくださったことに感謝。 当たり前だと思う時、私たちは何が起きても感謝はしません。 しかしすでに自分が与えられていることを知っていくと感謝がもうこの心にあることがわかります。 その根底にあるのは、神の存在です。 神がおられ今も私をおぼえてくださっている。 私を愛し救うためにこの世に降ってきてくださった方だ。 そのことを繰り返し教えられることでまたこの感謝が確固たるものになっていくのです。 そしてこの聖書に共に歌うという形で、感謝についての歌が残されているということは、神が現代に生きる私たちにも一緒に神を覚え一緒に神に感謝するようにと招いておられるということなのでしょう。 暗いニュースが多い一年でした。 コロナの蔓延、失業者、自殺者の増加。 一体いつまで続くのでしょうか。 しかしこんな時代だからこそ私たちは共に主を覚えて感謝するものとして招かれているのです。 天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。