主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:使徒の働き20章1〜12節 タイトル:神の慰め 「慰め」と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか。 新約聖書において「慰め」と訳されている言葉は、本来ギリシャ語でパラカレオウといいます。 これは「そばに呼び出す」という意味がある言葉です。 弱っている人の横で呼びかけはげますイメージを与えてくれる言葉です。 みなさんは誰に呼び出されたのでしょうか。 誰に引き寄せられているのでしょうか。 人は苦難や悲しみに陥る時、慰められることを必要とするものです。 しかしそれを必要としている人に対して、人間は適切で十分な慰めを与えることはできません。 人が本当の意味で慰められるのは神の慰めにのみです。 1節2節には「はげます」と訳されている言葉が登場します。 "騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。" 使徒の働き 20章1~2節 この「はげます」という言葉も、実はギリシャ語ではパラカレオウという言葉が使われています。 つまり慰めとも訳すことができた言葉でした。 今日は1節から12節まで見ますが、この中に慰めと訳せる言葉は1節に一回、2節に一回、そして12節に一回の計三回登場します。 慰めは今日の聖書のストーリーを貫いている大きなテーマです。 イエスキリストが弱っている人を横に置いて呼びかけはげます、そんな姿をイメージしながら聴いていただければと思います。 1 銀細工人デメテリオが起こした暴動の後のお話です。 パウロはこの騒ぎがおさまると弟子たちを呼び集め励まし別れを告げました。 そしてマケドニヤへと出発しました。 マケドニヤは、ピリピ、ベレヤ、テサラロニケがある地方の名称です。 これらの町々でもパウロは人々を励まして回りました。 そしてギリシャ地方へとやって来ます。 この地方にはコリントがあります。 パウロはここで三ヶ月ほど過ごしてからシリヤに向けて船出しようとしました。 しかし問題が起きます。 "パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。" 使徒の働き 20章3節 どのような陰謀だったかはわかりませんが、パウロに反感を抱くユダヤ人たちが彼を殺そうとしていたのだと思います。 それでパウロはやって来た道を引き返す形でマケドニヤを回ってエルサレムへ戻ることにしました。 4節には共に行動していた人たちの名前が記されています。 "プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、" 使徒の働き 20章4節 この人たちは、パウロがこれまで福音を伝えて回った町の教会の代表たちです。 おそらくマケドニヤ地方をぐるっと回る間、またいくつかの町を巡り歩きながら励ましたのだと思います。 それでかなりの時間がかかったのでしょう。 そこでこれらの人々は先にトロアスという町に行きパウロを待っていました。 ところで5節を見ると突然「私たち」という一人称が登場します。 これまでは「パウロが」と書かれていたのですが、ここから突然出てくるのです。 これはこの書簡、使徒の働きの著者が合流したことを示すものです。 著者として最も有力なのはルカです。 ルカの福音書を書き、使徒の働きを書いた彼がこのマケドニヤのある町で合流したのでしょう。 そしてそれはおそらくピリピの町です。 なぜなら以前も「私たち」という言葉が登場したことがありましたけど、それはトロアスからピリピの町の間までだったからです。(参考:16章) ルカはトロアス、あるいはそれより少し前に合流したのだと思います。 そしてそこからパウロたちと一緒に行動してピリピまでやって来て、そこで新しい教会ができたからその教会を支えるために残ったのではないかと考えられるのです。 そして再びパウロが戻って来た時に、またピリピから合流したと見ることができるのです。 こうしてパウロはルカと共にトロアスに渡りそこで4節に登場した7人の異邦人教会の代表たちと落ち合いました。 ここに来るまでに立ち寄ったギリシャ地方のコリントで書かれたとされるローマ人への手紙には、こうして代表者たちを引き連れて行く理由が記されています。 "ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。" ローマ人への手紙 15章25~29節 異邦人世界の教会の代表を集め、エルサレムへと向かう理由は、迫害に苦しみ困窮するエルサレム教会へと献金を運ぶためでした。 そしてその心持ちは、そもそもユダヤから霊的な恩恵を受けたのだから、せめて物質だけでも支援したいという願いでした。 このパウロの呼びかけに各地の教会が賛同し代表が送られて共に支援献金を携えて旅をしてきているのです。 ここにも慰め、励ますイメージが記されています。 まず最初にエルサレムから福音を伝える人々が送られました。 この時も神が彼らを送りました。 彼らの肩に手を回して外国の人々にも福音を伝え慰めはげますようにと言われたのです。 そしてその福音を受け取った側から今度は苦しんでいるエルサレム教会に献金が送られるのです。 彼らに対しても同じように主は肩に手を回してエルサレム教会を助けてあげてほしいと励ましたのでしょう。 そんな彼らが落ち合ったトロアスでの出来事が7節以降に記されています。 2 トロアスでの出来事 ⑴ "週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。" 使徒の働き 20章7節 週の初めの日とは日曜日のことです。 イエスキリストが復活した日である日曜日を記念して集まっていたのでしょう。 今もわたしたちはそういう意味で日曜日を大切にして集っています。 おそらくこの時のパウロの説教の内容もイエスキリストの十字架に留まらず、復活にまで及んだはずです。 そうしてパンを割いています。 クリスチャン特有の愛餐とその場で行われる聖餐式を指すものです。 この時にパウロが福音について語っていたのでしょう。 それが夜中にまで及びました。 しかしこの時にまた大きな事件が起きます。 "私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。 人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。" 使徒の働き 20章8~12節 この集まりに参加していたユテコという青年が眠ってしまい3階から下まで落ちてしまいました。 抱き起こしたところ彼は確かに死んでいました。 しかしパウロが生き返らせてしまうのです。 まだ命がありますと言っているので死んでいなかったかのように誤解されるかもしれませんが、もう死んでいたとも書いていますし、この後12節でも青年が生き返ったと記されていますので、確かに死んでいたのす。 しかしパウロが、旧約聖書に記されている預言者たちがするように、倒れているユテコの上に身をかがめて抱き抱えると彼は生き返ったのです。 先ほどまでおそらくキリストの復活の話をしていたであろうパウロが、今度は実際にその業を人々の前で見せたということです。 こうしてこの夜があけるとパウロとその一行は次の町へと出かけて行きました。 ⑵ユテコが寝てしまったことを皆さんはどのように見ているでしょうか。 しっかり睡眠をとって前の日から準備をしなかったから彼は眠ってしまったのでしょうか。 当時はまだ日曜日に休むという習慣はありませんでした。 彼らは昼間忙しく働いていた人たちです。 ですからこの集会も、夕方になって仕事が終わった人たちが集まった集会だったのでしょう。 ユテコも労働後の疲れた体でやって来た青年だったということです。 またおそらくパウロたちが出発する前の最後の集会ということもあって人でごった返していたはずです。 さらに当時は電気もないので松明に火をつけて灯りを得ていました。 当然空気は悪くなります。 こういう状態に置かれると人は眠くなります。 しかしこのユテコという青年は初めから寝る気でやって来てはいません。 一生懸命聞こうと思ってやって来ています。 なぜなら彼は「ひどく眠気が指し、パウロの話が長引くので、とうとう眠り込んでしまって」と記されているからです。 彼の格闘の様子がうかがえます。 なんとか目を開けて聞いておこうという気概が見えるのです。 彼は最初から眠る気ではありませんでした。 そもそも最初から眠る気なら窓に座ったりしません。 当時の窓はただの四角い穴です。 冊子もなければ柵もないのです。 あの部屋の中で最も寝てはいけない場所です。 そこに混んでいたとはいえわざわざ座ったのです。 夜風に当たって眠気を飛ばすためだったのかもしれません。 いずれにしても最後まで起きて聞いているつもりで来たはずです。 でも思ったよりパウロの話が長かったのです。 「長引いたので」と書かれていますが、これはこの書簡を書いたルカの主観です。 ルカが予想していたよりもパウロの話が長かったのです。 この町の誰よりも付き合いが長いはずのルカが長いなと思うような説教をパウロがしたならユテコが予想できるはずもありません。 しかもコリントの人への手紙 第二 10章10節にはこう書かれています。 “‥「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」" 手紙などでパウロの言葉を読むとものすごく強くたくましく言葉もすらすら出てくるようなイメージを持つのだと思います。何よりそれが私たち現代のクリスチャンのパウロに対するイメージです。 しかしこのスラスラ話すのは実際はあのアポロの方だったのかもしれません。 この箇所にも記されているようにパウロの話しぶりはなっていなかったのです。 決して話が上手いタイプの説教者ではなかったのです。 そんな話をユテコは「長いな〜なんか思ったより長いな〜いつ終わるのかな〜。」と思いながら聴いていたのです。 そしてとうとうどうしようもなくなって寝てしまったようです。 ここから説教中寝たら良くないなんていうおかしな教訓を導き出してはいけません。 ポイントはこの後です。 ユテコは確かに軽率であったかもしれませんが、しかし死んだのによみがえったのです。 復活を体験した人でした。 そしてそれが周囲の人々を慰めたのです。 ユテコが生き返ったこと自体にも当然慰められたでしょう。 しかし周囲の人々にはそれ以上の慰めがあったはずです。 彼らにとってユテコが生き返ることは、イエスキリストのよみがえりの力のあらわれでした。 おそらくパウロから何度となく聴いてきたこの復活の力、新しい命に生きる力、それを目撃して慰められたのです。 結び 人はどんな時に慰めが必要なのでしょうか。 苦難や痛みの中にある時です。 この町の人々も、苦難の中にあったのでしょう。 1節、2節に登場した人たちも、同じです。 慰め励まされなければいけない状況にあったのです。 しかし本当の意味での慰めは人には与えられません。 ただ神だけがイエスキリストだけが本当の意味で人を慰めることができます。 1節と2節でパウロが励ましたと書かれていますが、彼にその力があったのではなく、聖霊の力、神の慰めの力によったものでした。 そして今回ユテコが復活したのも神の力によるものです。 慰めはパラクレオウと言うと申し上げましたが、これと良く似た言葉でパラクレトスという言葉があります。 これは慰め主、聖霊を意味する言葉です。 聖霊は私たちが苦しみの時にあっても、神の慰めの内にあることを教えてくれます。 私たちと共にいて呼び出し肩を引き寄せながら十字架を見上げることを勧め、復活の命に生きるようにと励ましてくださるのです。 きっとみなさんも日々の生活の中で疲れてしまうこともあると思います。 今年は特にパンデミックがありました。 現代人にはまず関係ないと思われた出来事が突然起こり、その中でも可能な限り通常の生活を続けなくてはいけないのです。 ふとした瞬間に自分が疲れていることを感じる方も多いのではないでしょうか。 私たちは今年確かに苦難と痛みの中にいましたし、今もいます。 しかし主はそんな私たちの肩をいつも抱き寄せて励まし慰めてくださっています。 そしてその抱き寄せる手はとてつもなく大きく暖かいものです。 旧約時代から慰めを与えようと主は手を広げてこられました。 そしてその成就としてイエスキリストが来られました。 ルカの福音書に登場する年老いたシメオンという人は、イスラエルの慰められるのを見るまでは死なないという約束を受けて赤子のイエス様がくるのをずっと待っていました。 イエス様が来られたことでこの約束は成就しました。 さらにイエス様が十字架につけられ死なれよみがえられたのち、天にあげられて慰め主と呼ばれる聖霊を送られたのです。 この聖霊の力によってパウロは宣教活動し、私たちもまたこの聖霊によって生かされているのです。 主の手はとてつもなく大きく暖かい手です。 この手が私たちを引き寄せ慰め励まします。 苦難の中にこそ実はこの神の慰めがあることを見出される人は幸いです。 祝福を祈ります。