主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き15章36~41節 タイトル:目的地は同じです みなさんには、苦手な人はいますか。 特に同じ信仰を持つ人の中でどうしてもこの人とは意見が合わない。出来ることなら顔を合わさずに生活したいという人はいますか。 同じ信仰を持っているからといって全ての点で意見が一致するわけではありません。衝突することもあるでしょう。 しかしその時に是非忘れていただきたくないことがあります。 それは意見の違いでもって相手を裁いたり、自分こそ神の側に立っている者などと思わないでことです。 私たちは今はバラバラの意見でバラバラのやり方で生きているように見えるかもしれません。 しかし同じ信仰を持っている者であれば、結局向かう先は同じなのです。だから自分こそまっすぐ向かっている者であの人は間違った方向に向かっていると思えるような時でも簡単に判断したくないのです。 どんな衝突であろうとどんな反目であろうとも、神が必ずそれぞれにとって良い道筋を用意し最終的に神の国へと導きいれられるのですから。 今日はそのことを心にとどめつつ共に聖書を開いていきたいと思います。 前回の礼拝では、アンテオケ教会にユダヤから人がやってきたことが原因で論争が起こり、パウロたちがエルサレム教会まで行く場面を共に見ました。 結局この騒動は、神の導きによりユダヤ人と異邦人たちがお互いがつまずきにならないように配慮する形で終えることができました。 アンテオケ教会とエルサレム教会の分裂すらも危ぶまれた出来事ですが、かえってこの出来事によって強く結束するにいたったと言ええるかもしれません。 この決定を文書にしたエルサレム教会は、ユダとシラスをアンテオケ教会に送り口頭でも伝えるようにしました。 この出来事において大きな役割を果たしたのがパウロやバルナバであったことは言うまでもありません。 しかし皮肉なことに今度はこの2人が衝突し結局分裂してしまうことになるのです。 さてこの出来事、みなさんはどのようにご覧になりますか。 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」 (使徒の働き15章36節) パウロとバルナバの宣教旅行は聖霊の導きのままとにかくどこであろうと福音をもって向かいそこで福音を伝えることでした。 しかし今回は前回のようにまだ福音が伝わっておらず行ったことのない所に行くのではなく、前回福音を伝えてキリストの弟子となった人たちの所に行ってみようということになりました。 言うなればアフターケアです。 このことに関してパウロとバルナバの意見は一致していました。 しかしバルナバの「マルコも連れていきたい。」という言葉で瞬時にその場の雰囲気は変わってしまったようです。 バルナバはマルコを連れていきたいと思っていましたが、パウロはこれに反対しました。このやりとりがどれぐらい続いたのか聖書からはわかりませんが、結局激しい反目となってしまいました。 ここで彼らが分裂した原因であるマルコ(ヨハネ)について少しおさらいしておきましょう。 第一回目の伝道旅行の時、パウロとバルナバはマルコと呼ばれるヨハネを連れてキプロス島へと向かいました。 そこで福音を伝えた後パンフリヤへと向かいますが、ここでヨハネはエルサレムへと帰ってしまいました。 まだ旅の序盤でした。 このことが原因でパウロはヨハネが伝道旅行に向いていないと判断したということでしょう。 さてこのヨハネの行動についてですが、聖書はその理由に関して沈黙しています。 しかし学者の間では色々なことが言われています。 主に二つの意見があります。 まず一つ目は、パンプリヤから先へ行くことの困難さです。この先に行くにはタウロス山脈という大変な山々を超えなくてはいけませんでした。彼はパンフリヤまではついて来ましたが、その山脈を見たときにこれはどうにもならないと思ってエルサレムへと帰ったのだろうという説です。 ヨハネは大変大きな家に住む人でした。あのペンテコステの出来事が起こったのはヨハネの家だったと言われています。その時男だけで120人もいました。これだけの人数の人が入って座ることのできる屋上の間を持つ家の息子だったのです。お金に困ることもなくあまり苦労したことがなかったのではないでしょうか。そんな彼が親戚であるバルナバの影響で勇気を出してパンフリヤまでついて来たけども、タウロス山脈があまりにも大きく心が折れてしまったのではないかという考えです。 二つ目は、リーダーシップの問題です。ヨハネは自分の親戚であるバルナバを頼りにここまで付いて来たはずです。そして最初はそのバルナバがリーダーシップを発揮していたことが聖書に登場する名前の順番からもわかります。 しかしキプロス島の途中からバルナバよりもパウロが前に出るようになり、リーダーが入れ替わるような形になったのではないかと考えられます。 パウロとバルナバ、どちらが先輩でしょうか。バルナバです。エルサレム教会で誰もがパウロを恐れて近づかなかったにもかかわらず慰めの子であるバルナバはパウロを信じ受け入れ使徒たちに紹介までしました。 さらにパウロの故郷まで行って彼を探し出しアンテオケ教会の働きにつかせたのもバルナバでした。そんな彼に支えられながらパウロはここまで来たのです。しかしキプロス島での伝道活動の時期から完全にリーダーが入れ替わるような形になってしまったのでしょう。バルナバを頼りにしていたヨハネからすれば気持ちの良いことではなかったはずです。バルナバがリーダーでないのなら自分は行かないということでヨハネは帰ったのだという説が二つ目の説です。 一つ目の説は、地理的な背景を理由にした説で、二つ目の理由は聖書に記されている名前の順序から導き出される説です。 他にも想像してみると色々考えられる理由はあるかもしれません。 迫害によって荒らされていたエルサレム教会のことがどうしても気になったのかもしれないとか。 あるいは、飢饉に苦しむユダヤ人クリスチャンたちのことを思ってのことかもしれないとか。 みなさんもそれぞれ色々な理由が思い浮かぶのではないでしょうか。 ただいずれも想像の域を出ません。 しかし聖書の御言葉に注目していくと、マルコと呼ばれていたヨハネの心がどこを向いていたのかは見えてくるように思います。 それは彼が伝道旅行から離脱したときに、マルコではなくヨハネと記されていることからわかることです。 "パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。" 使徒の働き 13章13節 ここに使徒の働きを記したとされるルカの意図が見えるようです。 なぜあえて彼はここでマルコとは言わずヨハネと記したのでしょうか。 マルコはギリシャ名ですが、ヨハネはヘブライ名です。 彼にどんな理由があってエルサレムへ帰ったかはわかりません。 しかしなぜルカはギリシャ名ではなくヘブライ名で書いたのでしょうか。 逆にパウロは、同じ頃、サウロというヘブライ名ではなくパウロというギリシャ名で書かれるようになっています。 パウロはギリシャ語を使う人々の世界、異邦人世界に心が向かっていましたが、マルコとも呼ばれるヨハネは自分たちの民族に心が向いていたと考えることができるわけです。 とにかくヨハネは旅の途中でエルサレムへ引き返しました。 そんなヨハネが今回も同伴するかどうかでパウロとバルナバは揉めに揉めて「激しい反目」をするまでになってしまったのです。 これから宣教にいくという二人が争っていたら、送り出す教会はどんな思いになるでしょうか。こんな状態で宣教などできるはずがないと思うのではないでしょうか。 アンテオケ教会もこの出来事には心を痛めたはずです。 そして彼らを仲直りさせようと間に入った人もいたのではないでしょうか。 しかし彼らは遂にそのまま別行動をとることになってしまいました。 "そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。 そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。" 使徒の働き 15章39~41節 パウロとバルナバ、どちらが正しかったのかとか、あるいはアンテオケ教会の承認を受けたのはどちらかなどと問うのはナンセンスです。 彼らとて罪人、パウロももう少し広い心を持って後継者のことを考えても良かったと言えるかもしれませんし、バルナバもヨハネが従兄弟であったというところで普段よりも感情的になったのかもしれません。 しかしここで重要なのは、こうした罪人同士の反目を通して神がどのように働かれたかということです。 彼らのこの反目によりいくつか変化がありました。 まず一つ目は、パウロとバルナバの宣教グループが一つ出発するはずだったところ、パウロにはシラスがつき、バルナバにはマルコがついて、二つのグループができたことです。こうして伝道者が二人ではなく四人に増えました。 そしてパウロは自分の故郷であるキリキヤ地方に向かい、バルナバも自分の故郷のキプロスへと向かい、同時にその地方で宣教活動がなされたのです。 彼らの反目は良いことではなかったかもしれません。 しかしその反目を用いて神はさらに勢いよく宣教活動を進めていかれたのです。 二つ目としては、マルコがこの後大きく成長していくことです。 このときパウロに批判されたマルコでしたが、この後バルナバと共に行動し、のちには大変優秀な伝道者に変えられていました。 この後約10年の間、マルコの行動に関する明確な記録はありません。 しかし、パウロがローマの獄中からコロサイ教会やピレモンへ手紙を書き送った時には,マルコはパウロと共におり,パウロは彼を同労者と呼んでいます。(ピレ24節) さらにマルコをコロサイへ派遣する予定であったことがコロサイ4章10節をみるとわかります。パウロがマルコを信頼していた証です。 さらに数年後,パウロの最晩年には「彼は私の務めのために役に立つ」と言われるまでに成長しています(Ⅱテモ4:11)。 この時のマルコはもう以前のマルコではありませんでした。 その後のマルコの生涯に関する記事は新約聖書の中には見当たりません。 しかし、マルコはペテロの通訳者ともなり、ペテロから聞いたイエス様のお話を記憶しているかぎり正確に書き記したと言われています。(エウセビオス『教会史』)。 これが私たちが今読むことのできるマルコの福音書です。 あの時バルナバが見捨てず付き添い励ましながら育てたからこそです。 ところで皆さん。 反目し、共に歩めなくなったパウロとバルナバでしたが、この二人は本気でお互いを嫌っていたのでしょうか。 私にはとてもそうは思えません。 意見の相違はありましたが、それでも二人はお互いを尊敬しあっていたはずです。 この出来事よりも後に書かれたコリント人への手紙 第一の中でパウロは”それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。”(9:6)と言って、生活を共に捧げた友としてバルナバを紹介しています。 この二人は結局神の国拡大のため、福音宣教のために必死だったのです。 その思いは全く同じでした。 同じ聖霊が彼らのうちにおられるのだから当然のことです。 ただその方法が違っていただけでした。 みなさんにも同じ信仰を持つ人の中で、どうしても意見が合わない人がおられるかもしれません。 この人とはなかなか共に働くことは難しいのではないかと思う人です。 そして実際に反目し合い連絡を取らなくなってしまった人もいるかもしれません。 しかしどんな相手であれリスペクトを忘れてはいけないと思うのです。 今この時はともに歩めないかもしれません。 それはこの世界を去るまで変わらないかもしれません。 しかしそれでも同じ神を信じる者であり、同じく神の国の拡大のために生きる者なのです。 一つの目的のために行動しているのです。 この視点を是非私もみなさんも持って生きていきたいと思います。 パウロもバルナバもそして私たちも時に共に歩めず分裂してしまうこともあるかもしれません。 しかし結局向かうところは同じなのです。 イエスキリストの御名をかかげ、神の国の拡大のために走っているのです。 今は違う方向を向いているように見えるかもしれません。 それはあたかも山中の小さな流れのようです。しかしその小さな流れが最終的に集まり川となり海へと流れ込んで行くように私たちもただ神の国で生きることを目指しながら生きていることを今一度心に留めたいと思います。 そしてその流れを全て神が導いておられることを覚えたいと思います。