主日礼拝メッセージ 聖書箇所:使徒の働き12章1~17節 タイトル:わたしの思いよりも神の御心を 先週は使徒の働き11章の後半部分を見ました。 そこには異邦人教会のアンテオケ教会が誕生したことと、そのアンテオケ教会がユダヤにある教会を支援した姿が描かれていました。 ユダヤはこの頃大変な飢饉に見舞われていたようですが、そこにまだ生まれたばかりのアンテオケ教会から支援が届けられました。 ユダヤの教会の人々は大変喜んだと思います。 イエスキリストにある一致というものを彼らは実感したはずです。 しかしこの恵みあふれる様子とは対照的に12章ではとても大変な出来事が起こりました。 それが今日共にみる内容です。 <ヘロデの攻撃> "そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。" 使徒の働き 12章1~2節 最初、イエスの弟子達を迫害していたのは、ユダヤ教徒たちでした。 しかしそれでも教会は勢いを弱めるどころかどんどん大きくなっていきました。 そしてユダヤ人だけではなくギリシャ人にも福音が伝わりアンテオケやカイザリヤで異邦人を中心とした教会が誕生し、いくつもの教会が共に立ち上がり一つとなって福音を宣教する体制が出来上がっていきました。 ところがその様子を見ていたヘロデが動き出します。 正確にはヘロデ・アグリッパ1世といって、イエス様が生まれた時にその地方の2歳以下の赤子を殺したヘロ デ大王の孫にあたる人です。 彼が動いたのは、ユダヤの人々の心をつかむためです。 アグリッパは人の心を掴むことが巧みな人物で、あのパリサイ派からも慕われていたと言います。 アグリッパにはこんな逸話があります。 「アグリッパ王が立って律法の巻物を受け取り立ったまま読んだので、博士達はこのゆえに彼をほめた。彼が申命記に記されている「同胞でない外国人をあなたの上にたててはならない」というところまで進んだ時、その目は涙を流したが、彼らはアグリッパに呼びかけた「あなたはわれらの同胞です。あなたはわれらの同胞です。あなたはわれらの同胞です。」と‥。」 このようにアグリッパは人の心を掴むことに長けた人だったようです。 おそらくその一貫でユダヤ教徒たちが嫌っているキリスト教徒を攻撃したのでしょう。 こうして教会は宗教指導者たちから攻撃を受けると同時に政治的な力からも攻撃されるようになりました。 そしてヤコブが殺されてしまいます。 このヤコブはゼベダイの息子ヤコブです。 イエス様に連れられていつもペテロとヨハネと共にいたヤコブです。 間違いなく教会の中心人物であったことでしょう。 飢饉で苦しい状況の中アンテオケ教会から支援が届き心温まる瞬間を迎えていたエルサレム教会でしたが、一気に心が凍りつくような出来事が起きたのです。 しかしこれで迫害の手が止まったわけではありません。 ヘロデはヤコブを殺したことがユダヤ人たちの気に入ったのを見て、ペテロをも捕まえます。 <ヘロデの武力と教会の力> "それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。" 使徒の働き 12章3節 "ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。" 使徒の働き 12章4節 この日は種なしパンの祝いの時期でした。 この祭りは過越しの祭りの次の日から始まるお祭りで、過越しの祭り同様エジプトでの奴隷生活からの解放を祝う重要なものです。 もともと過ぎ越しの祭りが1日で、その後続けて7日間種無しパンの祭りがありましたが、のちにこの二つを合わせて過ぎ越しの祭りといったり種なしパンの祝いとも呼ぶようになりました。 この期間にヘロデはペテロを捕らえました。すぐに殺さなかったのは祭りの期間はユダヤ人たちが処刑を禁止していたからです ヘロデはペテロを絶対に逃がすまいとして兵士4人を一組にして、それを4組準備し見張らせました。 こうして合計16人が交代で夜通し見張れるようにしました。 さらに外に出るには2つの衛所を通り、鉄の門を通過しなくてはいけません。 非常に厳重な警備でした。 まず誰も逃げることなどできない状況であったことがわかります。 では教会はこれに対してどのように対抗したのでしょうか。 "こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。" 使徒の働き 12章5節 ギリシャ語の聖書を見ますと、この箇所はペテロが牢に閉じ込められていたことと、教会が熱心に祈り続けていたことに関して継続性を強調する書き方がされています。 つまりペテロが牢に閉じ込められた時から休むことなく教会は祈り続けていたということです。 ヘロデは、16人の兵隊と鎖、そして二つの衛所と鉄の門でペテロを閉じ込めましたが、教会は祈りで対抗しました。 ヤコブが殉教した直後のことですので、ペテロも殺されるかもしれないという思いに当然なった筈です。 大変な恐怖と不安の中で教会は心を合わせ一つ所に集まり共に祈りました。 <エルサレム教会の祈り> さてここで教会の人たちの祈りについて少し考えてみたいと思います。 彼らはどんな祈りをしていたのでしょうか。 一番に思い浮かぶのは「ペテロを助けてください」という祈りです。 この祈りは間違いなく教会が祈った祈りだと思います。 しかし果たしてそれだけだったのでしょうか。 6節をみますといよいよ御使いがペテロを助けにやってきますが、この時もうヘロデがペテロを引き出そうとしていた前夜になっていました。 ペテロが種なしパンの祭りの何日目に捕まったのかはわかりませんが、例えば2日目だったとしましょう。 すると捕まって5日が経っているわけです。 そしていよいよ明日は処刑されてしまう日なのです。 果たしてこの状況の中で教会の人々の祈りは変わっていかないものなのでしょうか。 直前にヤコブが捕まり殺されました。 そういう出来事を経験しさらに続けてペテロが捕まってこの時にいたるわけです。 みなさんだったらどうですか。 捕まったその日と処刑前夜で祈りは変わらないものでしょうか。 そもそも祈りとはなんでしょうか。 わたしたちの思いが成るように願うことでしょうか。 イエスキリストが教えてくださった祈り(主の祈り)にはなんとありますか。 「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ。」とあります。 ですからこの時も神様の御心がなるように祈ることが求められているのです。 しかし自分の思いがなるようにと祈ってしまうわたしたちがいます。 神さまの御心がなるように祈りたいという思いと自分の思いを叶えて欲しいという思いとが衝突しあいます。 エルサレム教会の人々もこのような状態だったのではないでしょうか。 ペテロが捕まった当初はとにかく釈放されるようにと祈ったことでしょう。 しかし日に日にそのように祈ることが御心ではなくただ主に委ねることこそ、主の御心がなるように祈ることこそ真実な祈りだということに気づかされていったのではないでしょうか。 そしておそらくペテロ本人もそのような祈りの過程を辿ったのではないかと思うのです。 わたしはヤコブもそうだったと思っています。 ペテロほど時間の余裕がなかったかもしれませんが、彼も主の御心がなるようにと祈ったはずです。 聖書にはありませんがヤコブに関してはある逸話が残されています。 彼は仲間に裏切られて法廷に連れて来られるのですが、それでもヤコブはキリストを証し続けたそうです。 その姿を見て裏切った人も心を動かされ自分も実はクリスチャンだとヤコブを処刑しようとする人々の前で告白し、ヤコブ共々処刑場へと連れていかれます。そしてその道中ヤコブに許しを請うのです。するとヤコブは「あなたに平安があるように」と言って口づけしたそうです。こうして二人は共に斬り殺されました。 もしこの事が事実であるならば、この世にすがりつくような祈りをしたとは到底思えませんし、そもそもすでに迫害の激しかったエルサレムに残ることを選んだヤコブです。 常に命の危険とその恐怖と戦いながら神の御心がなるようにと祈れる人になっていたでしょう。 そして結果ヤコブは死にペテロは助かりました。 どうしてヤコブは死んでペテロは助かったのかはわたしたちにはわかりません。 これは神様の領域のことだからです。 しかしたしかに言えることは、彼らはどちらも自分が助かることだけを祈ったわけではないということです。 そしてそれはエルサレム教会の人たちにも言えることでした。 だからこそこの後ペテロが牢屋から救い出されて、教会の人々が集う家の前に来た時にすぐには受け入れられなかったのではないでしょうか。 彼らが信仰が薄かったからだという解釈も成り立つかもしれませんが、彼らの祈りの質が違っていたからではないかと思うのです。 いよいよ処刑される数時間前になり、たとえペテロが殺されたとしても主に信頼して生きていく準備ができていたのではないでしょうか。 "私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。" ローマ人への手紙 14章7~8節 わたしたちは主のものです。 主が最善をご存知です。 わたしたちよりもわたしたちのことをご存知です。 だから自分の思いがなることを祈るのではなく、それを下ろして神の御心がなるように祈りましょう。 そしてその御心がなったならば受け入れる信仰を求めていきましょう。 そういう人は主にある平安の中で生きることができます。 <平安のうちにあるペテロ> "ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」" 使徒の働き 12章6~11節 ペテロが置かれていた状況を整理しますと、彼は番兵に挟まれた状態でした。四人で一組みでしたので、残りの二人は戸口にいたのでしょう。さらに二本の鎖につながれていたといいます。おそらく右手と左手をつなぎあわす鎖ではなく、右手に一本左手に一本つながれてそれぞれ両脇の番兵たちが握っていたのでしょう。 どうやっても抜け出すことができない状態でした。 このまま種入れぬパンの祭りが終われば自分は殺されてしまうだろうとペテロは知っていました。 すでにヤコブが殺されているという事実が死をより現実的なものにしていたはずです。 しかし、彼は寝ていました。これが眠れる状況でしょうか。 しかもその眠りは非常に深かったようです。 御使いがやってきて脇腹をどうしたとありますか。 「叩いた」とあります。 ギリシャ語を見ますと、ここで使われているのはパタスオウという単語で体の一部を強く叩くという意味です。 そうしないと起きないほどペテロは寝ていたのです。 死を目前に控えている人の眠りでしょうか。 何か問題があれば眠りが浅くなるのが普通の人ではないでしょうか。 それなのにペテロはこの時物凄く深く眠っていました。 もうすぐ殺されるかもしれない状況の中でです。 恐怖に震えてそのプレッシャーに疲れはて眠りに落ちた人の眠りではありません。 もしそうならすぐに目がさめる筈です。 番兵達の間で鎖につながれて囚われの身であるにもかかわらず、彼の心は解放されているようでした。 状況に左右されない平安がペテロにはありました。 どうしてペテロはこれほど平安だったのでしょうか。 神様が必ず助けてくださると思っていたからでしょうか。 違います。 どんな状況に置かれてもただ神の御旨がなることだけを思っていたからです。 死ななければいけないなら死にますという神への絶対的な信頼のなせるわざです。 そしてこれこそキリスト者が追求すべきことではないでしょうか。 自分の思う通りのことが叶えられることが素晴らしいのではありません。 たとえ自分の思いとは違ったとしても神さまの御心がなることを祈る人こそ本当の意味での信仰者です。 ペテロもヤコブもそしてエルサレム教会の人々もそうでした。 自分の思いではなく、ただ神の御心がなることを求めた人たちでした。 だからこそペテロは命の危機にさらされてもあれほど深く眠れるほどに平安の中で生きることができたのです。 自分の思いにしがみついて不安の中で生きていきたいでしょうか。 それとも自分の思いではなく神様の御心がなるようにと祈りつつ平安の中で生きていきたいでしょうか。 祝福を祈ります。