共に背負う

主日礼拝メッセージ要旨 聖書箇所:マタイの福音書5章38〜44節 タイトル:共に背負う “『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。 求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。” マタイの福音書 5章38~44節 1  38節に「目には目で、歯には歯で」という言葉が記されています。 この言葉は出エジプト記21章24節とレビ記24章20節に記されていて、イエス様はこの言葉を引用したようです。 この御言葉は一見すると、目を傷つけられたら目に仕返しをして、歯を傷つけられたら歯に攻撃を仕掛けるようにと、まるで報復を促すかのようにも見える言葉です。 しかしこの言葉の意味は、昔復讐が行きすぎて目を傷付けられた人が相手の命までとってしまうことがあったので、それを抑えるために、目を傷付けられたら目までにして置きなさいという意味のものでした。 これでも十分怖く感じますが、法の主旨としては、報復を抑えるためだったということができます。 しかしこの律法を成就されたイエス様の命令は、これら被害を被った分の報復の権利すらも放棄するようにというものです。 ここからイエス様を信じて生きる弟子のあり方が見えてきます。 ⑴”しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。” マタイの福音書 5章39節 ここでは右の頬を打たれた場合を例に挙げてイエス様が語っておられます。 このような場合、旧約の律法では、やられた分で止めなさい、つまり右の頬を打ち返すところでとどめなさいということになります。 しかしイエスさまは弟子たちに向かってそれもやってはいけないと言われ、むしろ左の頬も向けるようにと言うのです。 ただ、実際この状況になった時に反対の頬も向けるようにという意味ではありません。 本当にこのようにすれば相手は余計に腹を立てるでしょう。 またこれは完全にやられっぱなしになれという意味でもありません。 イエス様自身が、役人たちが不当に頬を叩いたときに抗議しておられますし、パウロとシラスは謂れの無い疑いをかけられて牢屋に入れられた時に抗議しました。 では一体これはどういう意味なのでしょうか。 これは相手の要求よりもさらにこちらが譲ることを意味しています。 イエスキリストを信じる弟子のあり方、いわば行動原理を示しているところなのです。 これは次に続く言葉と一緒に考えるとよくわかります。 ⑵”あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。” マタイの福音書 5章40節 告訴という言葉から借金の返済や損害の賠償をしなくてはいけない人に向けられたものだと想定されます。 下着というのは、現代の肌着のことではなく普段来ている服のことです。 これは借金の返済の担保として取ることができました。 しかし上着は、昼間はコートとして用い、夜は毛布として用いるもので、ほとんどの場合一人一着しか持っていなかったと言われています。 それでこれは担保として取ることが律法で禁じられていました。 ですから本来は上着まで渡すことはありませんし、取り立てる方も上着まで要求できません。しかしイエス様はこのような場合にも上着まで与えるようにいうのです。 こちらも相手の要求を超えて、すすんで行動することを意味する言葉です。 ⑶ さらに41節にはこうありました。 “あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。” マタイの福音書 5章41節 相手が求めている1ミリオンではなく、その倍の二ミリオンいくようにと言います。 これは軍隊によって荷物運びのために徴用されることを想定しているお話です。 軍隊による徴用は、毎日をやっと生きている人にとっては大変な負担であったと思われます。 しかしその要求よりもさらにその倍を進んで行うことをイエス様は命じておられるのです。 こちらもまた相手の求めを超えて行動することを意味する言葉です。 2 イエス様はここでイエス様に従って生きることが一体どういうことなのかをインパクトの強い例えを用いて語っています。 そしてこの例えが示すものはいずれも、相手の要求を超えて行動することです。 私たちは自分で責任領域を決めて、これ以上は相手の責任で、ここから内側は私の責任だと考え壁を作ります。「ここまで!」と決めてしまうのです。 しかしその壁を壊して、人のことも自分のことのようにとらえられる生き方に招かれているのです。…